〔対話〕保守的社会団体、どう動くか

2016年 秋号(通卷173号)

 

〔対話〕韓国の「保守勢力」を診断する(3)

 

李娜美(イ・ナミ)韓瑞大東洋古典研究所研究委員、漢陽大第3セクター研究所研究教授。著書に『韓国自由主義の起源』『韓国の保守と守旧』『理念と虐殺』など。
鄭鉉坤(チョン・ヒョンゴン)細橋研究所専任研究員、市民社会団体連帯会議政策委員長。共著に『天安艦を問う』。
鄭桓奉(チョン・ファンボン)『ハンギョレ21』記者。2013年「国家情報院大統領選挙世論操作および政治工作事件連続報道」で韓国記者賞大賞受賞.
藤井たけし歴史問題研究所研究員。著書に『ファシズムと第三世界主義のあいだで』、訳書に『翻訳と主体』(酒井直樹)など。

鄭鉉坤(司会) 『創作と批評』50周年記念の連続企画「韓国の保守勢力を診断する」の3回目のテーマは「保守市民運動と政府系団体」です。1987年の市民抗争の結果として民主体制が開かれて30年になりますが、社会が退行しているという不安感が依然として大きいと思います。特に2008年の李明博政権スタート以降、それは顕著に目立っているようです。格差拡大がますます激しくなる状況の中で、民主的ガバナンスを弱める抑圧的な地形が形成されました。韓国の保守がこのような抑圧体制の強化に一役買いました。近来になって一角で守旧勢力の「漸進クーデター」を警告したほどです(イ・ナムジュ「歴史クーデターでなく新種のクーデターの局面だ」『創作と批評』2015年冬号「巻頭言」)。4・13総選挙以降、徐々に社会の退行を推し進めるこの構造について、振り返って考える余裕が少しできたと思います。よって今号の「対話」では、韓国社会の保守運動の歴史と現在について研究・取材活動をしてこられた、3人の方を迎えて話し合ってみようと思います。まず、今年大きく話題になった「親(オボイ)連合」 1の問題を振り返ることから始めようかと思います。簡単な自己紹介とともにお話しをお聞かせ下さい。

李娜美 私は現在、韓瑞大東洋古典研究所で共和主義の韓国的起源について研究していて、また漢陽大第3セクター研究所が進める「韓国市民社会史」叢書の発刊作業に参加していますが、そのうち解放後から1960年までの韓国の市民社会について、研究と執筆を担当しています。おっしゃられた「漸進クーデター」は本当に格好の表現です。今、韓国社会は正常な状態ではありませんから。ですが、過去に政府系団体など保守団体が猛威をふるったのは、たいてい李承晩、朴正煕など独裁政権の時で、正当性の面で脆弱な政権の時でした。これは政権が国民の支持を失って正常な国政運営が難しい時、右翼団体や政府系団体を作ってそこに依存したことを意味します。最近、国家情報院が「親連合」を支援したという情況が出てきて話題になりましたが、やはり政権が正当性を失って、自らの力だけでは政治をうまくやっていけないということを示した出来事だと思います。

藤井たけし(以下「藤井」) 私は韓国現代史を勉強していて主にファシストを研究しました。李範奭を中心にした「族青系」 2を研究しながら、私が知ることになったのは、50年代中盤にファシズムの歴史的な流れが切れるということでした。よく朴正熙体制をファシズムと規定しますが、私は60年代以降の政府系団体は、ファシズムの流れとは異なると思います。ファシズムは保守主義とは明確に違っていて、ある意味で革命的な性格もあるからです。そうした点で既存の政府系団体の性格と異なる「親連合」の登場は、新しい事態だと思います。60~70年代、政府系団体が利権を媒介に上から組織された、いわば公式の政府系団体だったとすれば、「親連合」は下から生じた非公式の政府系団体です。最近の状況も、私は漸進クーデターの局面とは考えません。保守勢力や既得権層が社会を掌握しているとは思いません。誰かが勝っているのではなく、韓国社会全体が壊れているのです。もしかしたら朴槿恵という人物の象徴的効果で、かろうじて縫合されているのであって、この政権が終われば彼らもどうなるか……セヌリ党にも未来の展望のようなものがないでしょう。そのように社会が壊れていく兆候の1つが「親連合」の出現ではないかと思います。

鄭桓奉 私は国家情報院コメント事件 3を中心に取材してきて、最近も「親連合」関連の取材をしました。保守・政府系団体の歴史性よりは、最近の状況について主に申し上げるのが自分の役割かと思います。2000年代中盤以降、抵抗すべき目標を失った既存の保守集団が市民団体を作り始め、その後、似たような団体が数多く出てきました。「親連合」も2006年に設立されました。私は「親連合」が経た一連の過程が、権力と密接に関連した保守団体の明滅の過程をそのまま示していると思います。以降、どのように保守運動を切り開くかによって、保守団体の未来も変わりそうです。事実、力が強力な時は恥部があまり出てきません。「親連合」が今このように社会問題化したのも「うまくいっている時」にはあり得なかったことが重なった結果です。彼らの権力を維持した政権や国家権力がきちんと作動していないという傍証です。

鄭鉉坤 「親連合」の事態が新しい流れとして形成され、限界に直面した保守運動の循環周期を示すという鄭桓奉さんの指摘は興味深いです。彼らは何の名分なくとも、あのように騒然と無法状態だった時期が長かったという点を想起するならば、これまで政治権力だけでなく、さまざまな社会的権力が関連する一種の漸進的なクーデターの試みが進んだという指摘が出てくるでしょう。保守のロールバック(roll back)ともいえる彼らの動きについて、もう少し具体的に見てみようかと思います。

 

 

保守の政府系団体が街頭に出た背景

鄭桓奉 政府系団体は、あえて戦う理由も、自ら積極的に出てくる必要もない組織でした。軍部独裁の時期を見ても、政府が主張する反共・発展イデオロギーを民間次元で伝える役割を果たしてきました。ある意味で政権の下位パートナーだったんです。特に攻撃対象があったわけではなく、単に北朝鮮が悪いという主張を繰り返すだけで充分でした。そのような状況が、政権が変わり金大中の「国民政府」となって、韓国自由総連盟(以下「自由総連盟」)のようなところでも、自らのしたい話を充分にできない状況になったんです。2001年に「国民行動本部」という団体が設立され、2003年にはキリスト教組織が加勢した「反核反金国民協議会」(反金=反・金正日)が組織されました。その後、自由主義連帯やさまざまなニューライト組織も登場しました。反共・発展イデオロギーを説いてきた旧保守団体と、新自由主義イデオロギーを牽引してきたニューライト、この2種の団体が権力の空白期に独自に活動するために陣営を形成したのです。政府系団体やその他の保守勢力が市民社会に流れてきたと見ることもできます。いずれにせよ、国家の支援でなく、会費や後援金で運営される組織ができたということが、形式的にも質的にもかなりの違いだと思います。「アスファルト右派」という言葉が出始めたのもこのころです。煽動家たちが出てきて、李明博政権になってからはそのうちの一部が政界に進出したりもしました。国家情報院が保守団体に一定の役割をしはじめたのは、この時期からだというのが私の考えです。取材過程で知った事実ですが、自由主義進歩連合というニューライト保守団体が出す新聞広告の文案は、国家情報院の職員が作りました。無償給食に反対する内容などでしたが、このようなことが多かったと思います。そのように保守団体が力を得てきて、最近はかなり非難を受け、大統領選挙の世論操作事件などが明るみになって、支援も相当部分打ち切られたようです。それとともに大小の葛藤が保守団体の内部で爆発しています。金大中・盧武鉉政権の時に胎動した団体の没落を示す事例ではないかと思います。

鄭鉉坤 お話しを聞くと、権力に対する「従属性」という話題が提起できそうです。既存の政府系団体は権力に従属していますので、何かを企画したり、自らの目的によって動く必要がありませんでしたが、民主政権になって変わった社会の雰囲気のなかで、自らを1つの社会運動として再確立する過程を経ました。しかしその後、権力と新たに結合しながら、また従属性が強化されました。それとともに、いまや市民社会のなかで自らのアイデンティティさえ喪失する過程を経ているということでしょう。

李娜美 以前に比べて、政府系団体に自発性という要素が生じたようです。一方で忠誠競争をする感じもあります。生計型の保守運動もあると思います。充分な資金のない状態であらゆる保守団体が乱立しているからです。最近の保守団体には過去と異なる面がいくつかあります。まず市民団体を模倣しているという点です。自発性が高まったという意味ですが、集まってスローガンを叫んだりピケを張ったりします。もう1つは年齢層が高いという点です。過去の極右集団を見ると、李承晩政権の時には西北青年会や大韓青年団が代表的でしたし、朴正熙政権の時のセマウル運動(農村改良運動)などにも、主に青年たちが出ていました。今はそれに比べて構成員の年齢がかなり上です。また団体名称が「親連合」や「母親部隊」など、生活密着型に変わりました。外部の人でもなく、おかしな人でもない、普通の人だということを強調したいようです。国家との関連性があまりなさそうに見える名称です。

藤井 民主化以降にそのような現象が見られるということが重要です。新しい保守運動団体が主に出現したのは盧武鉉政権の時ですが、私は当時、ニューライトに関心がかなりあり、そちらの集いに出たりもしました。行くと彼らの危機意識にはすごいものがありました。在野勢力になってしまったという部分で受ける喪失感が大きく、それゆえにそれなりの反省をしたんでしょう。ですが、ニューライトは基本的にエリート集団だったという点で、「親連合」のような団体とは明確に区別するべきです。ここで新自由主義に注目する必要があって、ニューライトが新自由主義を信奉する集団なのに対して、「親連合」に入って活動する貧困層の老人たちは新自由主義の犠牲者です。実際にニューライトの登場と「親連合」の登場の間には時差があって、ある意味で新自由主義が保守勢力のなかでも格差拡大を促進したわけです。いまや「保守」という言葉で彼らをまとめて呼ぶこと自体が現実に合っていません。事実、日本にも似た現象が出現しました。2007年に発足した「在特会」(在日特権を許さない市民の会)ですが、過去に日本の右翼は「天皇万歳」を叫んで軍歌をかけて街宣するだけでしたが、在特会は市民運動のように出てきました。彼らは「親連合」がそうしたように、道端で喧嘩をしながら影響力を拡大しました。過去とは大きく異なる様相の保守運動が下から登場したわけですが、日本と韓国で同様に登場したこれらの運動の背景には新自由主義という共通点があります。崩壊した社会で捨てられた人々が「本来、自分より下にいるべき人々」、あるいは「社会から排除されるべきだった勢力」を攻撃するのです。それが日本では在日外国人(と見なされた人たち)に対する攻撃で、韓国では左派や「アカ」(というレッテルをつけられた人々)に対する攻撃として出てきたんでしょう。

鄭鉉坤 すでに国家の保護を受けていた政府系団体が捨てられて、一種の生存戦略の次元で運動を展開しているという話にも聞こえてきます。

藤井 そのように見ることもできるでしょうが、政府系団体の活動で生活している人々が看板だけを変えて運動しているようなことはありません。もう少し具体的に調べるべきでしょう。また李娜美先生が、年齢層が高いと指摘されたこととも関連がありますが、世代の問題も重要だと思います。60~70年代の文化の中で生きてきた人々の疎外感が、「親連合」のような形で出てきたとも考えられるということでしょう。軍事独裁の時期に正しいと学んだ通りに生きてきたのに、民主化したからといって、それまで学んだ習慣をすぐに変えられるでしょうか。彼らは民主的な待遇を受けたことがないので、非民主的な形態を示しているのですが、そのような人々にとって「民主化」とは何なのか、いま一度考えてみる必要もあると思います。

鄭鉉坤 保守運動が最も劇的に増えたのが2003~2004年です。2003年の三・一独立運動記念日に安保団体が「反核反金自由統一国民大会」に結集しました。保守キリスト教系も1月から禁食祈禱会のような行事を行いながら集結し始めました。そうするうちにその年の朝鮮戦争の記念行事のとき、双方が「韓米同盟強化」というスローガンで出会いました。当時、集会規模が10万人を超えました。2004年には国家保安法がイシューになり、やはり10万人規模の集会が開かれました。ニューライト運動も2004年11月に自由主義連帯を皮切りに公開運動に切り替わりました。このように、この時期にこのような動きが爆発的に増えた理由は何でしょうか?

李娜美 そのときは金大中政権から盧武鉉大統領にバトンが渡された時点でしょう。歴史的に保守言説が登場したのは1987年の民主化抗争以降です。金泳三政権の時から危機意識を感じた一部の保守的知識人が保守言説を作り、金大中政権の末期になって活動として出てくることになります。南北関係の変化、特に南北首脳会談が契機でした。韓国社会の主流の立場では、統一してしまえば体制変化が起きますし、そうなると自分たちが享受してきた特権を引き続き享受できるか不安だったんでしょう。予想とは異なって、朝鮮戦争を経験した世代は、北朝鮮に対して「虐殺」や「戦争」イメージよりは、本能的に「平等分配」や「所有権なし」の方を想起します。ですから、彼らにとって南北首脳会談は危機でしたが、そのような状況で政権が変わらずに盧武鉉政権になって、より一層絶望したんでしょう。盧武鉉政権になった2003年の3月、6月、8月はものすごいものがありました。教会から人を動員して企業から金を出すような感じでした。サムスンが1億ウォン、全経連(全国経済人連合会)が4千万ウォン、大韓商工会議所が3千万ウォン……公式・非公式組織がみな動員されて大規模な保守集会を支援したわけです。

藤井 盧武鉉政権の誕生が彼らにとってかなり大きな衝撃であったことは確かなようです。保守の立場で金大中政権までは認めることもできました。「3金」(金大中・金泳三・金鍾泌)という言葉もあるように金大中は大物だったからです。ですが、盧武鉉は彼らが見ても「見たことも聞いたこともない、どこかの馬の骨」です。既得権の立場では屈辱的だったでしょう。

鄭鉉坤 盧武鉉政権になった2003年に、保守勢力が持った社会主流としての危機意識、既得権としての危機意識は理解できます。ですが、留意すべき点は、当時、彼らが「反核反金」や韓米同盟を重要な名分として掲げたということです。これは2002年10月にアメリカが提起した北朝鮮のウラニウム核開発問題が契機になったのではないかと思います。このように見ると、保守の根元はやはり安保問題でないかと指摘できるでしょう。ですが、この時期をたどりながら、新たに登場したニューライトの動機や動力も、これと似ていると考えられるでしょうか。

藤井 実際にニューライト集結の最も大きな理由は、韓米同盟が崩壊するかもしれないという危機意識でした。2002年に米軍の装甲車による女子中学生轢殺事件が起きて、反米意識がものすごく高まりました。当時の世論調査で青少年の70%が、韓国の安保を最も脅かす国家としてアメリカをあげるほどでしたから。新しい教科書を作るべきだという話もそこから出てきました。2004年からは歴史教科書に対する攻撃が始まりましたし、そこで「教科書フォーラム」ができました。ニューライトが「旧保守」と完全に異なる点がここで明らかになりますが、それはつまり民族主義を否定するということです。過去の政府系団体は民族主義を重要に考えましたが、ニューライトは民族主義のために自分たちが滅びると強弁しました。重要なのは自由市場経済と自由民主主義であって、民族主義ではないということです。民族主義が反米とつながるので、ニューライトの立場ではこれを阻みたかったわけです。ある人は反日民族主義も問題視するべきだとまで言っています。反日を掲げたら、結局、反米にも対応できなくなるということでしょう。

李娜美 2003年度に、そのように荒々しく保守運動が起きましたが、実際にはたいして成果がありませんでした。国民的共感を得られなかったんでしょう。新たな対策の必要から登場したのがニューライトです。反共と安保という論理が陳腐だったために、彼らは自由主義という用語を持ち出します。ニューライトが2004年に作った団体が、先にも言及された自由主義連帯であり、また、その後に自由主義の関連書がかなり出ます。興味深いのは、これらが新自由主義でなく、自由主義を掲げているということですが、自由主義には王政に反対したという解放のイメージがあります。社会が個人を抑圧することに反対するという面も同じです。自由民主主義でなく自由主義を強調するのも注目するべきです。このときから民主主義をポピュリズムと同じだといって批判するんです。

鄭桓奉 「旧保守」と「新保守」は、中身も違っていて分かれていますが、まったく異なる性格ではないと思います。違いに集中するよりも共通点を探すならば、代表的なものとして、大衆に対する恐怖をあげられると思います。このときの大衆は、まず、これ以上北朝鮮を恐れない市民です。反共イデオロギーに抱き込まれない人々が出てきたんです。また、2000年代初期から非正規職の問題が深刻化して、抵抗する労働者が出てきたことも、やはり注目する点ではないかと思います。非正規職闘争は過去のように組織化された形で出てきたわけではありませんが、それは逆に、市場で管理できない労働者の怒りが登場しはじめたということでしょう。特に盧武鉉大統領の当選で、大衆が予想できない結果をもたらしうる、力を持った存在であるということを新たに悟ることで、既得権を保護しなければならないという考えが大きくなったと思います。以前ならば国家権力に寄り添ったでしょうが、そのようにしにくい状況になって孤立感を感じました。

藤井 そしてその時点で既得権層の使用語彙自体がかなり変わります。大衆に対する恐怖があるので「ポピュリズム」がたびたび言及されます。労組に対しては「集団利己主義」という風に攻撃を始めましたが、それ以前まで、集団で動くこと自体をさほど悪いと考えなかったことと対照的です。

 

 

「従北」攻勢、どこでなぜ始まったか

鄭鉉坤 保守勢力の集結が非常に複合的です。伝統的な問題意識だった安保の脅威を含めて、民主主義の進展にともなう大衆の進出に対する恐怖にまで結びついていますが、結局は社会的転換の受入困難からくる、混乱のように見えたりもします。私なりに表現すれば、南北分断体制が動揺して生じた変化に対する受容の問題だと思います。私は「混乱」という表現を使いましたが、「親連合」の事態がそのような現象を示す端的な事例になるだろうと思います。青瓦台(大統領府)が反対集会を要請したとか、全経連の資金が流入したとかいうことですが、どのような脈絡があるのでしょうか。

鄭桓奉 保守団体が市民団体のように装うことで向き合った運命のようなものだと思います。市民団体にとって最も重要なことは独立性と自律性です。事実、2003~2004年頃、これらは市民団体として活動可能でした。そのときは権力に抵抗していた時期です。ですが、その後に保守が続けて政権を運営することとなり、抵抗すべき権力が消えてしまいました。「これはみな盧武鉉のせいだ」といいながら動きましたが、これがこうだというようなことがなくなったんです。それとともに権力批判でなく憎悪で力を糾合するようになります。北朝鮮に対する憎悪や、労組に対する憎悪のように、役割が曖昧になった保守運動が、あらためて延命する契機もあったんですが、逆説的だったのは2008年の狂牛病牛肉ろうそく集会です。このとき集まったデモの人波に李明博政権も驚きましたし、保守団体も驚きました。政府は、それを可能にした背景に市民団体があると考えたでしょう。一種の背後勢力論ないし外部勢力論でしょう。政府も国家情報院もそれに対抗する何かが必要だと考えるようになったわけですが、それとともに脆弱化していた保守運動勢力に新しい仕事ができたんです。2009年に国家情報院で意味深長な話が登場します。当時の元世勳(ウォン・セフン)国家情報院長が局長や室長を集めて会議する場で、「若い層の友軍化・心理戦強化方案」という、心理戦団の作った文書を絶賛しました。文書自体が公開されたことはありませんが、どのような内容なのかは充分に推察できます。若い層を味方に引き込むための方案に悩み始めたのです。ですが、朴槿恵政権になって国家情報院の介入がますます出てきて、保守団体に対する直接の支援が減ることで、保守団体内部の葛藤が爆発することになります。このころ保守団体が過激になりました。行って喧嘩して特定人を攻撃すれば、暴行罪などで起訴されたりもしますが、支援を受けられないので罰金すら払えません。お金の問題がからまって、LH(韓国土地住宅公社)から1億ウォンの支援を受けた保守団体が資金を流用したなどと、暴露戦が展開されたりもしました。2000年代中盤には、持っていた自活力を保守政権下で喪失したので、こうしたことが起きるのです。本当に悲憤慷慨で集まるというよりも利害関係で集まる人々が増えましたし、それに反して政界進出や財政的な支援など、利益の機会はけっして充分でない状況が到来したのです。さらに李明博政権の時は、国家情報院が広告文句を作ったほどだと申し上げましたが、事実上、市民団体の政策を国家情報院が作ったわけです。大統領選挙の世論操作事件以降は、このようなことさえも容易でなくなったと思います。自活力が落ちるしかない状況です。

鄭鉉坤 お話しを聞いていると、今後、保守団体がどのように進むことになるか気がかりです。特に活動の持続可能性を探知する言説の問題が重要です。

鄭桓奉 弱者に対する嫌悪はもっと増えると思います。保守的言説の場合、「イルベ」 4や保守団体、保守言論などを、互いに横切りながら流通しています。保守団体がセウォル号沈没事故 5の真相究明をやめろという集会をすれば、保守マスコミが記事を書いて、この記事がイルベで共有されて過激な嫌悪が加わるという形です。こうしたことが繰り返されながら、いわゆる「ネット右翼」が自活力を持つようになったと思います。自活力を持った人が街頭に出て暴力を行使する可能性はいつもあります。セウォル号特別法と関連して遺族などの断食が続けている時、そばで「暴食闘争」をした事例がすでにありました。特定の保守団体がうまくいくかどうかということよりも、さらに重要だと思われる問題が、まさにこのように憎悪や敵対感を拡大再生産して、その過程で暴力が伴う可能性が増えたという点です。

鄭鉉坤 嫌悪のある対象でもあるでしょうが、「従北」 6の問題を保守言説の領域で扱うべきではないかと思います。これはかなり基盤があるように思えます。2014年12月の憲法裁判所の統合進歩党解散判決が、その基盤を示す1つの例になると思います。当時、政党解散の直接的な理由になった地下革命組織(RO)の実体と内乱陰謀の場合、大法院の判決が下される前に憲法裁判所が先に判断をしました。後で大法院がその部分については無罪を宣告しました。社会的に広がった従北嫌悪の情緒を憲法裁判所が利用したと思われます。今でも原状回復になっていません。

李娜美 保守勢力は一貫して北朝鮮問題を持ち出します。老人も青年も関係なくです。朝鮮戦争を経験しなかった若者たちも、北朝鮮に対しては批判的な場合が多いです。保守を標榜するという時、韓国の状況で特殊に最後に期待できる論理的なとりでが北朝鮮問題だからだと思います。「従北」という言葉が出てくるまで、微妙な変化があったという点は興味深いです。本来は「アカ」が主として使われました。魔女狩りの対象でした。それからに「親北」(親北朝鮮)や「容共」が登場して、特に「主思派」(主体思想派)という用語がよく使われました。ですが、広く使われたこの単語が消えた契機が興味深いです。1994年、安相云(アン・サンウン)弁護士が、西江大の朴弘(パク・ホン)総長の主思派発言を名誉毀損で問題視したのをはじめ、『韓国論壇』の主思派誹謗報道の法廷での争い、朴弘総長を相手にした韓国通信労組の勝訴などが続きましたし、以降、安弁護士主導で言論人権センターがスタートして(2003)、「主思派」という用語が消え始めます。主思派は具体的な用語なので、法律的に立証されるには物証がなければなりませんでした。主体思想の関連書を持っていたりという風にです。でなければむしろ名誉毀損で訴えられるので、もう少し曖昧な表現の「従北」という言葉になったと思います。「親北」は北朝鮮とうまくやろうという肯定的メッセージも含んでいるのであまり使いません。反面、「従北」は北朝鮮に「追従」するという面で「つまらない」感じを与えます。最近は美学的なものが重要ですが、「従北」という言葉がかなり古臭く見える点を狙ったんでしょう。ですが、問題は「従北」と指摘される彼らの大半は、本当に従北主義者というよりは、さまざまな面で社会的弱者、ないし彼らの味方になる勢力だということです。たとえばセウォル号沈没事故の遺族とその支持者です。脈絡が少し異なりますが、韓国の歴史で思い浮かぶ場面があるのですが、前近代の被差別階級「白丁」(ペクチョン)の平等運動「衡平社運動」に、最も激しく反対した階層の1つが、驚くべきことに似たような下層階級である妓生(キーセン)でした。妓生の立場では自分の下に白丁がありましたが、彼らの身分が上昇するのが嫌だったんでしょう。現在の保守集団も、社会の主流でない、一定程度疎外された人が主をなしていますが、彼らは貧しい人、女性、セクシャルマイノリティなどと自らを区別することで自尊心を守るので、彼らをさらに攻撃しようとするのだと思います。西欧でも原理主義的な極右は主として社会の周縁で生きる人々です。韓国社会の周縁人のなかにも「私は彼らとは違う」という気持ちで、実際の従北主義者だけでなく、自分たちの目に社会のあらゆる「輩」と見える人々を「従北」であると攻撃する場合が出てきたので、既得権層はその心理を利用するんです。

藤井 「従北」云々は、彼らが掲げる言葉がないために出てきた現象だと思います。誰かを敵として規定してしまえばそれで終わりで、さらに積極的に何かを提示する必要がありませんから。国家情報院が意図したのは、過去に保守と呼ばれた人たちを「大韓民国を支持する勢力」、進歩と呼ばれた人たちを「大韓民国に反対する勢力」にすることです。進歩―保守で行けば負けるだろうと彼らも考えたと思います。民族主義も大韓民国主義に取り替えて、スポーツ愛国主義もいくらでも活用します。大韓民国歴史博物館に行ってみれば、最後に出てくるのがスポーツ部門です。サッカー代表チームやキム・ヨナを支持し愛する人が、本当に大韓民国の人間であるという風にです。政治的なものではなく情緒的な一体感のようなものを強調しますが、その踏み台として「従北」という言葉を使うのです。何の内容もないのですが、むしろだからこそ誰でも「従北」になることがあります。結局、彼らが積極的に掲げるものがないという反証です。

鄭桓奉 2000年代の中盤になって、北朝鮮はこれ以上脅威とみなされなくなります。北朝鮮が何をしても株価が落ちません。株式市場は恐怖を測る尺度と見ることもできますが、いまや人々は、北朝鮮のせいで問題が生じるだろうとあまり考えないんです。そのために敵を内部に見出します。自分の利益や共同体の利益に反する人を、北朝鮮に利益になることをする人間であると攻撃します。北朝鮮は脅威になりませんが、従北勢力は脅威になるからです。「韓米同盟はいいことだが、従北は北朝鮮の利益だから反対する」というような、簡単に説明できる論理ができるんです。過去にはあえて内部の敵を作る必要がありませんでした。北朝鮮やスパイが問題だったのであって、内部を広範囲に区別する必要まではなかったんです。むしろ北朝鮮に対抗して団結しようと主張さえすればよかったんです。国家という強力な権力があったからです。ですが、いまや内部の敵を作る形で組織化されているようです。伝統的な保守という人々も、いまや北朝鮮の政権をののしるよりも、韓国内の従北勢力の方をさらに強く糾弾します。政府を批判する人間を従北勢力という範疇に入れます。まさに私たちの周辺に内部の敵が多いのだという恐怖感を与えることで、誰かを簡単に敵対させてしまうことに成功したようです。

藤井 そうした点で、「従北」は嫌悪言説の一種と考えるべきでしょう。嫌悪の流れのなかにあるんです。

鄭鉉坤 「従北」の効果が国内的な統治機制になるという指摘は重要に思えます。だから、その統治機制をもう少し検討する必要がありそうです。私が注目する点は、消えるべき言語が「アカ」から「主思派」に、そしてまた「従北」へと続いてきた過程です。本質的には、同じ目的を持つ言語が他の名前で再生産されれば、その根拠があると思います。これはすなわち、強固に維持されてきたある種の体制を維持しようという試みであって、それは北朝鮮と敵対関係にあります。これによる脅威はファクトです。「従北」という言葉は、この脅威を虚構化して軽蔑させます。南北対話のように脅威を平和的に除去しようとする努力は真剣にせずに、国家安保だけを前面に出す勢力がこれを活用します。和解・協力の政策を敵対視して、そのような主張をする勢力を抑圧することになるということです。とにかくこのような効果を持った従北言説で、執権勢力はこれまで甘い汁をすすりましたが、今回の4・13総選挙ではイシューになりませんでした。

 

 

政府系団体の長い歴史

鄭鉉坤 これまで民主化以降に登場した保守の流れについて見てきました。ですが、さらに遡れば、セマウル運動中央協議会、正しく暮らす運動中央協議会、自由総連盟、大韓民国在郷軍人会などが主要な政府系団体だろうと思います。これらの団体の歴史、また現在の状況についても検討する必要があるでしょう。

藤井 私が見るところ、これらの団体は、今、さほど強力な力を持ってはいません。在郷軍人会は事業に失敗して深刻な資金難に直面しており、自由総連盟も実際にできることはほとんどありません。

李娜美 いくつかの主な団体に対して申し上げれば、在郷軍人会の前身は日帝強占期に作られた日本人のネットワークです。換言すれば、朝鮮内の日本人たちの関係網が在郷軍人会でした。朝鮮人を監視・弾圧する役割を果たしました。関東大震災の時は朝鮮人虐殺にも参加しました。国家の必要によって上から作られたのは、このときも異なるところはありませんでした。以降、1951年6月末、北朝鮮の休戦提案に李承晩大統領が反対し、当時のUPI(国際合同通信)記者とのインタビューで、韓国が25万の兵力をさらに創設できると言ったために、国防部が予備役将兵、徴集対象者、国民兵役および補充兵役対象者などで構成された在郷軍人会を組織します。一般的に外国では在郷軍人会が自発的に組織され、その目的も相互扶助、会員間の親睦、軍人と遺族の福祉追求などです。反面、韓国は国家が戦時に不足した軍人数を埋めようとして作っています。東亜日報の1952年3月12日付の記事を見ると、大韓民国在郷軍人会を「兵役法第8条とそれ以外の諸規則によって現役を除くすべての兵役義務者を組織し、予備役、後備役、補充兵役、国民兵役、退役将校までを含めて組織」し、「在郷軍人会の組織が完成すれば、機会があり次第、精神訓練や軍事訓練を実施し、つねに国土防衛義務を自覚」させると書いてあります。実際には主として反共集会に参加するなど、政府系団体の活動をしていましたし、それによる批判世論が強く、1961年の朴正煕陸軍少将(のち大統領)の5・16クーデター以降解体されます。その年に再建され、以降、金泳三大統領の文民政府(1993-1998)の時までは別に活動をしませんが、1990年に、当時、野党党首だった金大中前大統領が在郷軍人会の行事に参加してから地位が高くなりました。数百億ウォンの予算を支援されたこともあり、会員が増えたりもしました。今は自制しているようですが、依然として政府従属性がとても強いです。自由総連盟の場合は、1954年に李承晩と蒋介石が作った「アジア民族反共連盟」がその前身で、以降、1960年の4・19学生革命の時に危機を迎えましたが、1960年代の朴正熙政権以降、政府の全面的な支援を受けて全国組織に発展しました。興味深いのは、彼らが盧武鉉政権期に対北朝鮮支援事業に参加したということです。ですが、そのときアイデンティティの混乱をきたして会員の半分が脱退したといいます。今でもやはり政府系団体の役割をしているようです。セマウル運動中央協議会は朴正熙政権の時に育成された団体です。セマウル運動は農村で伝統的な指導勢力を追い出し、青年たちに力を与えたものですが、農村共同体間の絆を断ち切って互いに競争させることで、農民が国だけを見て忠誠を尽くさせるのがこの運動の本質です。彼らはセマウル金庫まであるので、組織や財政の面でとても強いです。ですが、この団体も金大中政権期には統一事業に参加し、盧武鉉政権時には戸主制廃止運動に参加します。これらの政府系団体はどのような政権になるかによって立場が異なります。これが政府の支援を受ける政府系団体の属性でしょう。

鄭鉉坤 政府系団体の組織化が、主として朴正熙政権の時なら、どのような契機があったのでしょうか?

藤井 50年代には除隊軍人や傷痍軍人が問題を起こす場合が多かったと思います。マフィアのように乱暴を働いたりもしました。1950年代までは非公式暴力というのが重要だった時期です。政治マフィアの時代でした。5・16軍事クーデター以降、彼らを抱き込もうとする努力を通じて、国家の公式暴力として統合されたと思われます。そのために政府系団体という形で組織化したんでしょう。組織自体は他の国にもないわけではありません。おっしゃったように在郷軍人会もさまざまな国にあります。ですが、彼らが実際にそのように大きな機能を果たしたのかは疑問です。在郷軍人会のような場合も、ひとまず軍人を管理するという目的が最も大きかったと思います。5・16直後といえる1961年8月に軍事援護庁が設置され、傷痍軍人をはじめ彼らに対する就職斡旋や年金支給などの役割を担当しましたが、それはあくまでも問題を起こさないようにすることが目的でしたし、そうした点では、結局、暴力を行使できる存在を自己の管理下に置こうというのが基本的な問題意識だったようです。

李娜美 政府が正当性を欠いて腐敗し、官僚体系がきちんと作動できない時、官営保守団体に一層依存すると思います。李承晩政権の腐敗は言うまでもなく、最近の「親連合」などが猛威をふるっていますが、朴槿恵政権下でも側近や官僚の不正がずっと出ています。政府系団体は、事実、李承晩政権の時からかなり過激だったと思います。李承晩政権の時、警察力が急成長しますが、それでも抵抗する勢力が大きくなるので、警察兵力を助ける官営・右翼団体が必要だったのでしょう。民族反共連盟や自由総連盟は、名前だけが変わったのであって、構成員の性格は同じで、また西北青年会などのさまざまな青年団体が統合して大韓青年団が作られます。先日、ある保守団体が西北青年団という名を使ったのも、当時の極右集団を継承するということですが、きわめて危険な発想でしょう。

 

 

活動状況の変化、嫌悪情緒の拡大

鄭鉉坤 ならば、87年の民主化以降、これらの政府系団体の流れがどのように変わったのでしょうか。新たに組織された団体も含めてです。

鄭桓奉 韓国社会で、権力を取得する経路がかなり変わったということが、重要な点だと思います。政府系団体にとって重要なのが地域組織です。地域で討論や教育や説得を通じて保守イデオロギーを共有する活動が、保守が選挙で票を獲得するのに大きな役割を果たしてきたからです。ですが2000年代以降、状況が変わります。メディアの影響力が大きくなったためでしょう。盧武鉉大統領の当選がこれをよく示しています。言い替えれば、そのように大きな組織を運営しなくても、権力獲得が可能になったということです。「親連合」のような小規模組織も、メディアにしばしば出て、ある種の傾向を作り出すことができたからです。ただ、資本と人員の問題があるので、インキュベイティングが必要です。彼らを育てるインキュベーターの役割を、いわゆる政府系団体がやるんです。予算や場所などを支援します。実際に政府系団体で、ある在郷警友会が「親連合」に資金を支援した事実が明るみになったことがあります。直接的な活動は、機動性のある小規模な保守団体がやればいいんです。たとえばセウォル号沈没事故で遺族の方を非難したり、真相究明の組織を作るのは不要だという保守団体の声が、「このような意見もある」という形でメディアに登場しました。実際には少数なのに、比重ある意見のようにメディアを通じて映るわけです。あえて資金と資源を投入して、地域組織を広範囲に動かさなくても世論を動かせるので、既存の政府系団体の位置づけがかなり低下したようです。

藤井 その点が核心だと思います。大統領を体育館で選んでいた時は、政府系団体の影響力にものすごいものがありましたが、地域代表に意味がなくなった状況では既存の政府系団体ができる役割があまりありません。

鄭桓奉 直接行動よりは、在郷警友会の事例のように、財政などを支援しながら小規模の保守団体の支柱的な役割をしていると思われます。ですが、このような役割だけを果たすには、既存の政府系団体はすでにかなり肥大化した組織です。なので、最近は経済的利益をかなり追求します。特定会社に投資して持分を取得し、さまざまなサービス事業などに参加します。組織を維持するだけでも多くの費用がかかる状況ですから。新たな集団に保守的イデオロギーを形成させた後、実際に行動する役割を譲り渡して、今、このようなことをしているようです。

鄭鉉坤 巨大だった組織ならば、権力の交代によって自主的な生存戦略を追求したとも思うのですが。

李娜美 政府系団体の生存戦略は「静かに実を取ること」に変わったようです。メディアに出るほど調査されることも増えますから。変化の兆候は、やはり2003年あたりから見られます。このとき自由総連盟が三・一節(独立運動記念日)と6・25(朝鮮戦争勃発記念日)には保守集会に参加して声明も発表しましたが、8・15(光復節=解放記念日)からは静かでした。大規模集会に出て行ってメディアに出たら、その間に非難をかなり受けました。特に2004年の盧武鉉大統領に対する弾劾訴追案が憲法裁判所で棄却されて、かなり気勢をそがれました。その後はできるだけ露出を避けて、静かに利益事業をしながら、周辺に資金を出す形に変わったように思えます。李明博・朴槿恵政権の時に特にそうした点が目立ちます。

鄭鉉坤 お話しを整理してみると、政府系団体が民主化という時代の変化によって、その意味がかなり弱くなったという点を確認できます。私たちが先に新たに登場したという保守市民運動の場合も、循環周期を経て、現在としては非常に弱くなったという診断をしたわけですが、全体的に保守市民運動と政府系団体に対して、診断と展望をしてみる必要があるかもしれません。

李娜美 私が守旧と保守を分けるのもそのような理由からです。保守はずっと変化して利益を取りまとめる方向に行き、守旧は過去の思考とやり方を守って消えていくと思います。過激派もやはり同じです。保守は彼らをしばらく活用するんです。保守は守旧とは違っていて、大勢に便乗しながら、長期的に自らの利益を確保できる装置を準備します。持続的なメディア監視と統制、自由市場を強調するイデオロギー流布、植民地の歴史と親日派を美化する教科書編纂など、自らの特権をずっと維持できる構造を再生産しようとします。したがってこれは「漸進的なクーデター」だと言えます。

藤井 民主化以降、盧武鉉政権の時が、既得権層が最も不安だった時期です。新たな代案を作るといってニューライトが登場しましたが、確実な代案になりませんでした。ですから、過去の亡霊を呼び出すしかありませんでした。2012年の大統領選挙で朴槿恵に入れた人たちの相当数が、事実は朴槿恵に入れたというより朴正熙に入れたわけですから。そのような面で、いまや保守には何らのビジョンもないということが明白だと思います。先に話されたように、さらに掲げるものがないので、ずっと「従北」のレッテルを周囲につけてばかりいるんです。

鄭桓奉 ですが、これまでの流れが止まったとしても、それらが生み出した効果は残っています。いつからか保守団体が憎悪心を強調しながら出てきましたが、これが弱者に対する憎悪として派生したり、内部の敵を作る形に変わっています。つまり、憎悪が新しい形の運動として出てくることもあると思います。社会的弱者や労働者に対する憎悪を基盤とした組織が結成されて、力を得る可能性が依然として充分にあります。社会が安定しなければ暴力は私有化されやすいんです。そのように私有化された保守勢力の暴力が連合する可能性もあります。北朝鮮問題のような場合も影響を及ぼしかねないでしょうが、事案によって異なると思います。韓国にミサイルを撃ったりすれば、当然、途方もない反対があるでしょうが、今のような挑発では持続的な動きができそうにありません。もちろん保守は街頭に出てきた経験があって、組織を運営した経験もあるのですから、そのようなノウハウをもとに特定の争点に対して集結する可能性はつねにあるでしょう。ただ団体中心の形態ではないと思います。

李娜美 西欧では移民者に対する恐怖が大きいので、それをもとに極右政党が勢力を伸ばしています。韓国にも進歩―保守を越えて、朝鮮族や外国人労働者が増えて、働き口を奪われるなど、社会のなかに見えない恐怖と嫌悪の情緒があるようです。さらに極右的な政党が出てきてイシューを提起すれば、人々がそちらの方で1つになる可能性が韓国社会にもあると思います。北朝鮮イシューよりは失業者、あるいは挫折に陥った若者たちを中心に形成された反外国人情緒の潜在力の方が大きいと思います。

 

 

合理的「保守」運動は可能か

鄭鉉坤 保守と通称しながら、保守と極右を一緒にして見るのは避けられないように思えます。今日、お話ししたことを念頭に考えるならば、私たちが見てきた保守は極右的な感じが強いです。ですが、それは理念体系ではなく、実は既得権だけを守るための戦線企画としてイニシアチブを握るようです。いわば守旧ということです。虚構的な「従北」言説が保守全般に通じたと認めるならば、これは守旧のイニシアチブがあったと思います。私はこのような現象を南北分断体制の特性と理解しています。ですが、保守というならば、基本的に何かを守るという意味であって、そこには価値の問題が含まれるはずですが、いわば自由主義や反腐敗、遵法、ひいては公私の区分、犠牲精神のようなものです。だとすれば、韓国社会でこのような本来の意味の保守運動自体がなかったということでしょうか?

藤井 歴史的に韓国の保守層という人たちが、理念的に1つになったことはありませんでした。政府系団体もやはり基本的に利権団体でした。ですので、まず「保守」という範疇自体を歴史的に見る必要はないと思います。理念型として設定される「保守」について議論することが、どれほど意味があるのかよく分かりません。

李娜美 おっしゃったような肯定的意味としての保守理念を主として主張する人々は「保守」を掲げないようです。保守の良い価値、慎重さや均衡感を、韓国社会では普通「中道」といいませんか? 韓国社会があまりにも右傾化しているので、健全な保守は中道を標榜すると思います。

藤井 過去の自由党や民主共和党が、伝統的な意味での保守でなかったという点が重要です。むしろ正統保守は、今の民主党まで続く流れです。ある意味で前衛党のように社会を変革するといって出てきたのが自由党と共和党の初期の姿でした。もちろん初期だけそうだったのであって、政府与党として保守化しましたが、それでもそのような与党も自らを「保守」として表現した場合は多くありませんでした。私たちは最近数十年の経験だけで、「保守」や「進歩」を自明のことのように語っているのかもしれません。

鄭鉉坤 興味深いお話しです。ですが、保守を否定的な意味だけが含蓄されていると考えて、それを中道と明確に区分できるかどうかはわかりません。「合理的保守」という言葉がまた通用したりもします。「汎市民社会団体連合」という団体があります。300あまりの団体の連合体で2012年1月にスタートしましたが、「古い法秩序に基づいた自由民主主義」「合理的進歩と改革的保守の統合」を旗印にしました。「市民運動は政治的に中立を守るべき」という価値を主張してきた「公明選挙実践市民運動協議会」グループの主流と安保保守団体が一緒に作りました。彼ら自らは、いわゆるアスファルト保守と差別化する必要を感じたものと理解しています。前回の総選挙の時をみると、「いい候補」を選んで発表するなど、政治に対する介入も強化しましたが、いわゆる進歩団体の活動体だった「総選挙ネット」(2016総選挙市民ネットワーク)と競争するという印象を与えました。彼らは自らを保守と呼ぶことに躊躇しませんでした。保守の未来をどのように診断しますか?

鄭桓奉 保守言説も、保守イデオロギーも、保守的な人々も、当然ずっと存在するでしょう。ですが、彼ら全てが「保守」団体としてずっと形態を維持できるかは疑問です。私の考えでは、政府系団体は消え、利益団体として残りそうです。アメリカを見ると、銃器関連団体をはじめとして、保守指向の多様な利益団体が活発に活動しています。またおっしゃった通り、政策提案者やシンクタンクの役割をする集団が形成されることもあるでしょう。要するに、既存のように「反核」「反北朝鮮」「自由民主主義守護」「憲法精神守護」のような形でまとめていては、動力を見出すことがますます難しくなるでしょう。もちろんオンラインなど、外郭にはイデオロギーを中心にした保守集団がずっと存在するでしょうが、今のように明確な団体中心の活動スタイルが持続するかは疑問です。

李娜美 私は、利権をまとめながら本人を出さない方向に隠れる方向と、むしろ過激になる2つの方向を考えます。保守の長所は、韓国社会の欲望をよく読んでいるという点です。また、変化の方向として、どのように生き残るのかを本能的によく知っています。他方では、むしろさらに過激になる集団と個人が出てくる可能性もあります。まるでIS(イスラム国家)のようにです。江南駅殺人事件 7のように破片化された形で暴力が蔓延することもあるんです。イルベなどの極右インターネットコミュニティは、中央で会員を統制するのが難しいという点と、会員の匿名性が特徴ですが、そのことで過激さを自制させにくい面があります。しかも、無差別殺人、女性嫌悪、漠然とした憎悪など、社会の危険な兆候が見え始めています。また、保守―進歩の境界線にあったり、そのようなものと関係がない多様な集団も出てくるだろうと思います。たとえば最近、梨花女子大で生涯学習単科大設立反対を主導した「梨花人」(イファイアン)も、進歩―保守で区分できる集団ではありません。もちろん自発的・民主的に運営される集団です。

藤井 保守運動と呼べるほどの組織化が続きそうではありません。何か匿名形態になるのではないでしょうか。日本の在特会も同じです。会員でないのにデモに参加したりもして、大規模行動をしますが、実際に誰が会員なのかは不明です。そうした点で「団体なき運動」が韓国でも出てきそうです。

鄭鉉坤 今日、私たちは、韓国の歴史の歪曲された理念地形と関連した、保守や政府系団体の様相を追跡してみましたが、結局、このような歪曲は、市民社会内に健全な公論の場の形成が遮断されているために起きているんです。もう少しいい保守、合理的保守の形成のためには、市民社会の公論の場が活性化する必要があると思います。そのためには何が決定的に必要でしょうか?

鄭桓奉 政府が透明になることが最も重要だと思います。保守ないし政府系団体がこれまで見えないところで支援されてきましたが、このようなことが韓国社会の議論の地点を歪曲させたと思います。たとえばTHAAD 8の配置がどれくらい危険なのか、交渉がどのように進められたのか、きちんと知らせない状況では、公論の場の形成自体が不可能です。情報がないので合意も不可能です。これを解決するには、争点になる情報に自由に接近できるようにすることが重要です。

李娜美 今は国家が率先して情報を歪曲し、人々の間の分裂を起こしている状況です。なので、まず国家とメディアが公正になって、正確な情報を一般人に提供すべきです。進歩でも保守でも、平和にいい暮らしをしたいという目標は同じなので、彼らの討論の場を公開的に準備して、共同の目標を確認させることが重要だと思います。

藤井 情報公開はもちろん重要ですが、討論だけが代案かは疑問です。討論は結局、話し上手な人、多くを学んだ人が勝つことになります。アスファルト右派を見ると、学歴のない人が多いですが、そこには学歴のある奴が嫌いだという、もしかしたら当然の反感があり得ます。このような反応を、反知性主義というレッテルを付けて批判するのは容易ですが、そうすることで維持されるのは、エリート中心的な、つまり非民主的な階級構造です。このような部分に対しても考えなければ、討論自体が危険な発想になる可能性があります。

李娜美 審議民主主義に対する重要な反論です。特に難しい問題で、礼儀正しい討論で私たちが有益な結果だけを期待することはできないでしょう。ですから、難しく抽象的な公論の場でなく、生活に密着した公論の場から始まって、下からの欲求や意見を充分に取り入れるべきだと思います。たとえば、ある地域にゴミ回収場を建設する問題に対する討論が、はじめは住宅価格の下落の問題から始まっても、その後、環境問題に進展したりもします。NIMBY(Not in my backyard=公共施設建設に反対する集団利己主義)から始まっても公益に変化しうるということです。現在の政府がTHAADを星州(ソンジュ)への配置についての討論も同じだと思います。

鄭鉉坤 最近、市民社会で注目する重要な現象は、地域共同体単位で形成される疎通の可能性です。地域社会は政府系団体の活動舞台で、彼らのイニシアチブが貫徹される空間です。地方自治が活性化して形成されたオールタナティブな村の運動が、これら政府系団体と互いに競争の構図にあります。今年、行政自治部が「村基本法」を制定しようとしていますが、地域社会の共同体の単位が財団を作り、この財団を地方自治体と地方企業が支援しながら、地域共同体を活性化するという構図です。政府系団体の再組織という政治的意図が疑われる部分ではあります。なので、初期に村基本法が提案された時は疑惑がありましたが、対話を重ねながら、地域共同体の成長という点で次第に理解され、一致する領域を見出していったようです。最近聞いてみると、政府側と村運動側が互いにかなり了解したようです。私はこのようなつながりを達成する能力が「中道」であると考えています。保守を引っ張りだします。このことが示唆する点は多々あります。私たちが今日、議論したように、韓国の保守市民運動が、独裁権力への従属性の中で市民社会の健全な成長を阻害し、暴力や嫌悪などを拡散してきた点は明らかだと思います。特に民主政権の樹立、また南北朝鮮の関係の転換とあいまって、一種の反対勢力として政治的に動員された点は、何度考えても残念な部分に違いありません。明らかに1987年の民主体制の退行性を示した現象ですから。そうした点で、合理的保守の自己基盤のための努力が今後もかなり必要なのではないかと思います。今日は、保守の市民運動や政府系団体の現象を、全体的に見渡すことができ、とても勉強になりました。長時間の討論、お疲れさまでした。ありがとうございました。(2016年8月2日/創批細橋ビル)

(翻訳: 渡辺直紀)

Notes:

  1. 「親(オボイ)連合」――大韓民国親連合(Korea Parent Federation)2006年5月設立。極右反共主義的な性格を持ち、集会等を通じた政治活動に活発に参加。枯れ葉剤戦友会などとともに韓国の代表的な右翼団体。
  2. 「族青」――朝鮮民族青年団。李範奭を中心に1946年10月に「国家至上」「民族至上」というスローガンを掲げて設立されたファシズム・反共主義的極右翼団体。
  3. 「国家情報院コメント事件」――国家情報院による世論操作事件。2012年の大統領選挙期間中、国家情報院所属の心理情報局の所属要員らが国家情報院の指示でインターネットに掲示文を残すことで、国家情報院が大統領選挙に介入した事件。当時野党だった民主統合党が2012年12月に問題性を提起した。
  4. 「イルベ」――「日刊ベスト保存所」の略称で韓国のインターネットコミュニティ。主に政治、ユーモアなどを扱い2010年頃から活動が活発化した。全体的に政治指向は極右と評価され、各種の事件・事故によって議論を呼び起こしている。
  5. 「セウォル号沈没事故」――2014年4月16日に全羅南道珍道郡近海で沿岸旅客船が沈没した事故。乗客・乗員476人のうち295人が死亡、9人が失踪。特に修学旅行中の高校2年生324人が含まれていて若い生徒の犠牲が多かった。
  6. 「従北」――北朝鮮に追従する勢力の意。韓国の国内世論で、政治的なダメージを与えるために、進歩派をこのように呼ぶ現象が2010年代以降、見られるようになった。
  7. 「江南駅殺人事件」――2016年5月17日未明にソウルの地下鉄・江南駅近くにあるカラオケのトイレで30代の男が不特定の女性を殺害した事件。
  8. 「THAAD」――THAADミサイル(終末高高度防衛ミサイル、Terminal High Altitude Area Defense missile)。アメリカ陸軍が開発した弾道弾迎撃ミサイル・システム。駐韓米軍司令官は2014年6月に韓国にTHAAD配備のため韓国政府と協議を進めると明らかにした。主として北朝鮮のミサイル発射に対する対抗措置だが、中国やロシアはこれに反対しており、韓国内でも世論が大きく分かれ反対運動も広がっている。