[卷頭言] 進歩陣営は政策的代案勢力として生まれ変わるべきである (2005 冬)

李南周

 
 

去る10月26日の再·補欠選挙はハンナラ党の圧勝で幕を閉じた。低い投票率と地域的な制限性を考慮すると、この選挙に信任投票のような政治的意味を求めるのは度が過ぎるような気がするが、ヨルリン・ウリ党と民主労働党は選挙の結果を国民的審判として受け取り、指導部が辞退した。来年の6月に予定されている地方自治団体長選挙を意識したものであろう。来年の選挙の敗北は続く大統領選挙における主導力喪失へと繋がり、さらには党の存続にも影響を与える可能性があるからである。

 

しかし今回の再・補欠選挙の結果は与党、野党の二党に対する単純な政治的評価ではなく、1987年以降、韓国の政治・社会的変化に大きな影響を与えた進歩的改革勢力に対する評価とも受け止められるだろう。まず世論を主導している首都圏で、保守勢力は何の抵抗もなく殆んど勝利を得たが、進歩的改革勢力は何ら意味のあるアジェンダ(Agenda)すら強調することができなかった。また、民主労働党は党の拠点といえるウルサン選挙区でも敗れ、今回の選挙が民主労働党に対する非定期職(正社員でない)労働者たちの審判であったとの政治的解釈もなされている。


このような状況において、単純にハンナラ党は再・補欠選挙の専門政党(過去にも再・補欠選挙ではいつもハンナラ党の圧勝であった)であるだけで、結局最後には国民は進歩と改革を選択するであろうという漠然とした期待だけでは現状を克服することは困難だと思われる。進歩的改革勢力がどのように国民の信頼を得られるか、抜本的な反省と新たな努力を必要とするところであろう。特に進歩的改革勢力が占めている韓国社会内の位置と役割に対して、客観的な評価と主観的な認識の間の乖離を克服し、ただの批判勢力ではなく、政治的代案勢力として自らを定立することが何よりも重要であろう。

 

保守勢力と保守的なマスコミ勢力は韓国社会が進歩主義、又は‘パルゲンイ(‘赤い奴ら’という意味で左翼のこと)’によって左右されると不平不満を漏らしている。これに対して進歩的改革勢力はこれらの主張は進歩勢力を孤立させるための理念攻撃にほかならないと反撃している。このような 進歩勢力の主張が全く根拠のないものではないが、現在、韓国社会で進行している多くの変化が進歩的改革勢力の影響の下行われていると国民たちが評価しているのも事実である。だけでなく、去る数年間、韓国社会において社会的な‘力の移動’がなされ、進歩的改革勢力は単純な批判勢力ではなく、社会の変化に重要な責任を負う勢力として発展した。それにもかかわらず進歩的改革勢力は国民よりも自分たちの重要とするところのアジェンダにだけ捕らわれ、理想は遠大であるが責任感の欠如した論議に埋もれてしまい、その限界から抜け出せないでいる。このような接近は批判勢力として認められていた時にはそれなりの斬新性と正当性として受け止められたが、社会的責任と役割に対する評価が変わった現状では否定的な結果をもたらす可能性が高い。

 

このような問題が今後も繰り返される可能性もあるだろう。最近進歩的改革勢力は 両極化問題を社会的イシューとして取り上げている。しかしこのような努力が保守勢力との差別化を強調するレベルに留まり、現実的な代案提示へと繋がらない場合、長期的には成長至上主義への反動が起こる恐れがある。最近、住民投票を通して放射性廃棄物処分場の誘致地域決定の過程において環境運動勢力の声はあまり聞こえなかった。これは住民たちの中へ入り込む通路と手段がなかったためと見られるが、それと同時に環境運動をはじめとする多くの社会運動が運動自体としての意味はあるが、果たして現実問題を実際的に解決する能力があるのかどうか、という懐疑的な面も少なからず影響を与えたと思われる。進歩的改革勢力は1987年以降、現在に至るまで韓国社会の発展のために意味のある財産を蓄積してきた。民主主義の発展は我々の社会が持続可能な発展を追及できる重要な政治・社会的基礎を構築した。さらに冷戦解体以後、韓半島(朝鮮半島)における戦争に対する脅威を減少させ、韓半島と東北アジアを新たな跳躍の場として想像可能にしたのは進歩的勢力の役割なしでは不可能であっただろう。

 

今後我々はこのような成果をもとに複雑な現実の中で生命力を保つことのできる進歩的な代案を設けるため、深く自省しながらも知恵を集め、運動性を回復できる国民的通路を開拓しなければならないだろう。

 

 

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今回の130号の特集‘87年体制の克服を目指して’も、このような問題意識と関連している。去る7 月の「創批と市民行動の共同シンポジウム」以後、‘87 年体制’に対する多くの論議が行われているが、今回の特集はこれらの論議をより豊富に、より実践的なものにするであろう。創批が‘87 年体制’という問題を提起したのは1987年以降、我々の社会は基本的には発展的な方向へと変化してきたが、同時に非徹底的な改革の持つ限界を克服しなければならない時点に至ったという認識によるものである。5 編の論文はそれぞれこの問題について新鮮ながらも意味のある見解を示している。

 

金鍾曄(キム・ジョンヨップ)は87年体制が分断体制の中でどのように位置づけされ、87年体制の克服と分断体制の克服がどのように有機的に結合可能であるかを模索し、持続的な民主化、社会的妥協、そして平等主義的エネルギーと集合的プロジェクトの結合などを主な方向として示している。朴明林(パク・ミョンリム)は政治エリートたちだけの狭小な制度圏協約によって樹立した87年憲政体制の根本的な限界と、最近憲政主義が民主主義を抑圧する問題点を克服するための代案として‘民主憲政主義’を提起し、市民社会の参加を通した憲法改革の必要性を強調している。尹相喆(ユン・サンチョル)は87年体制を、市民社会の動員により政治的多元性は増加したが、内的な調整の不可能により社会的協議と政策決定が遅滞する過度期的な体制と規定し、改革的な支配政治連合の形成と再生産を通しての方法を見出すべきであると主張している。劉哲奎(ユ・チョルギュ)は87年体制の中で民主化と共に進められた市場化が政府を全面的に後退させ、これが外換(外国為替)危機をもたらし、新自由主義を拡散させた主な原因であると指摘しながら、民主主義体制の発展と対応できる社会経済体制の構築を現体制の克服方向として提示している。金明煥(キム・ミョンファン)は87 年以降、社会の変化と噛み合う文学的地形図を示しながら、その概念の効果に対する批判的な見解が少なくない状況において民族文学論が現社会体制の克服のため、どのような貢献ができるかについての興味深い論を展開している。

 

論壇は環境と生態問題に関して我々に抜本的な理由、原因を求める論文で構成されている。李必烈(イ・ピルリョル)は近代克服のための言説として‘生態的転換’という概念を提示し、そのための実践戦略を論議しながら分断体制の克服に生態的転換の問題意識をどのように適用させるか、という新たな悩みをも示している。ハリケーンカトリナが単純にニューオーリンズという地域的次元の問題ではなく、全地球的生態と人類文明に対する挑戦の先例になるであろうと主張するビル・マッキベン(Bill Mckibben)の論文、アフリカのスーザンで起こっている戦争と虐殺という野蛮的な悲劇の背後には石油資源をめぐる強大国の暗闘が存在していると暴露したデビッド・モース(David Morse)の論文も非常に興味深い。

 

集中照明では近来、韓国内の読書市場において増加しつつある外国文学に対する評論を集めてみた。翻訳された外国文学の動向を重要な文学現象として分析する一方、それぞれの作品を評価しながら、その虚実を知らせる批評的な分別が重要であると判断したからである。孫香淑(ソン・ヒャンスク)はハリーポッター(Harry Potter)シリーズが世界的なベストセラーとなり得るに十分なストーリ構造を持っているが、社会秩序の維持に必要な通念の再生産ではなく、新たな価値の可能性を探索する児童文学の古典としては物足りないと主張している。李旭淵(イ・ウッヨン)は強く現実的な政治性を含んでいる中国小説の特徴を示し、莫言(モーイェン)の作品世界の分析を通して我々が中国文学をどのように読むべきであるかという問題を提起し、白池雲(ぺク・ジフン)は村上春樹の作品が日本と韓国、そして中国で読まれている背景には疾風怒濤のような歴史に対する記憶とそれらから抜け出して距離を置こうとしている心理的状況が共同的に内在していることを示している。本誌は今後も外国文学に対する批評的な関心を持ちつづけたいと思う。

 

今回の記念号の文学欄は非常に充実しているが、まず小説では中堅作家たちの重みと新人作家たちの斬新さが調和をなしている。金源一(キム・ウォンイル)は離散家族の出会いを素材とした分断の悲劇を通して、小波のような感動を我々に与え、金薰(キム・フン)は灯台を媒介として人生の劇的な転換を対比させ、人間の前に置かれた希望と不安を同時に表現している。金度言(キム・ドオン)、金愛爛(キム・エラン)の短編にも若い作家らしいチャレンジ精神が発見でき、半ばを過ぎた朴玟奎(パク・ミンギュ)の恋愛小説も興味深い展開を見せている。これらと共に鄭喜成(ジョン・ヒソン)、李起哲(イ・キチョル)、張錫南(ジャン・ソクナム)、イ・キョンリム、張大松(ジャン・デソン)、李仲基(イ・ジュンキ)、ジョ・ウンキル、崔丞喆(チェ・スンチョル)、朴蓮浚(パク・ヨンジュン)、浪淘沙(ランタオシャ)などの詩編、そして姜恩喬(カン・ウンギョ)の長詩などは読者たちに多彩な詩風を披露している。特に今年の創批新人文学賞により文壇に入門したキム・サクァ、金成大(キム・ソンデ)の作品には読者の皆様も注目していただきたい。

 

最近の文学の流れを精密ながらも独創的な解釈を通して誠実に分析している季刊小説評·詩評は短いながらも鋭い論をもって創批の紙面を華やかに補っている。寸評では三星(サンソン)問題、過去清算問題のような現実的な争点から歴史、文学、科学、思想に至る多種多様な素材を取り扱っており、二編の文学評は最近の韓国映画の流れを読み取る上で意義のある論評であろう。今回の冬の号から李南周(イ・ナンジュ)が新常任編集委員として参加し活動している。本人の紹介を恥ずかしながらもしたが、常任編集委員としての新たな出発をより厳重に刻み込みたいと思う。また同時に去る1年間、固定筆者として本誌に素晴らしい文を寄稿してくださった蘇光燮(ソ・クァンソップ)、成銀愛(ソン・ウンエ)、朴瑩浚(パク・ヒョンジュン)、白智延(べク・ジヨン)の4 人の方に心から感謝の意を伝えたい。本誌は来年の春の号をもって40周年を迎えることとなるが、進歩的な改革勢力の発展と文学の新たな跳躍のために、より一層積極的な努力をいたすことを約束し、全力を尽くして体制を再整備したいと思う。今後も読者の皆様の変わりのない励ましとお叱りの言葉を願いたい。

 

訳・申銀兒

季刊 創作と批評 2005年 冬号(通卷130 号)
2005年12月1日 発行
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