葛藤と不信の時代に南北現代史を読み直す

論壇と現場

 

 

 

金聖甫(キム・ソンボ)kimsbo@yonsei.ac.kr

延世大学史学科教授。『歷史批評』編集主幹。主要著書に『南北韓経済構造の起源と展開』『和解と反省のための東アジア歴史認識』(共著)などがある。

 

 

 

1. 歴史問題が葛藤の源泉となる社会

 

国際的には冷戦が解体し、国内的には民主化が実現して20年になるが、依然として韓国社会には相互不信と葛藤の溝が深い。却って冷戦解体と民主化により、政治社会的葛藤が一層深まったとも言えよう。葛藤がなければ発展もないものだが、その葛藤の度が過ぎると内的発展のエネルギーを使い果たしてしまい、その社会の退行と崩壊をもたらす可能性もある。現在の韓国社会の葛藤は度を過ぎた感がある。

葛藤の中心には歴史認識の問題が横たわっている。過去を省み、よりよい未来を展望する洞察力を養おうというのが歴史学の本領である。にもかかわらず、なぜ今日、歴史の言説は葛藤を癒す知識の泉というよりは葛藤を促す災いのもととなっているのだろうか。親日反民族行為、韓国戦争(=朝鮮戦争)前後の民間人虐殺、民主化運動と疑問死亡事件など、過去事を整理するため、国会レベルでの合意により法律に従った委員会が設けられ、広範囲による調査が行われている状況である。しかし、過去事整理自体に対する不信と懐疑的な視線が依然として根強く残っている。このような状況下にて、果たして「真実・和解のための過去史整理の基本法」の趣旨通り「真実と和解を通した国民的統合」が可能であるかどうかは疑問である。一方、韓国近現代史教科書の偏向を正そうとニューライト(New Right)側が最近別途の教科書試案を発表したが、歴史を均衡のとれた目で見つめるというよりは却って逆偏向を露にし問題となった。また脱近代言説が流行り、民族·民衆中心の近代的歴史認識自体を解体すべきであるという主張が広がりつつある。国外へと目を向けると日本の右傾的な歴史解釈や教科書歪曲、中国の東北工程問題などが東アジアの歴史葛藤を長期化させている。そのため歴史紛争、さらには歴史戦争などとまで言われている。

このような状況にて一部では東アジアの平和、韓国社会の統合のために歴史問題を寧ろ伏せておくべきであるという声まで上がっている。苦しい経済事情により歴史を論ずること自体に背を向ける大衆的現象も広がりつつある。しかし問題を伏せておくといって葛藤自体が解消されるかどうかは疑問である。これら全ての問題が帝国主義侵略の歴史、冷戦という国際的環境の中で十分に解決されないまま後代へと引き継がれて蓄積された産物という点において、今またこの問題に蓋をしてしまうならば、葛藤はより深刻化してゆくであろう。内部で腐らないように今後如何なる方法を使っても表面化させ真剣に取り組み、葛藤を癒す知恵を求めるべきである。

 

 

2. 脱近代論的な歴史認識は代案になり得るか

 

最近、韓国近現代史に関する既存の歴史認識を批判しながら、違った角度でのアプローチを唱える厚みのある書物が何冊か出版された。『解放前後史の再認識』(朴枝香(パク・ジヒャン)·金哲(キム・チョル)·金一榮(キム・イルヨン)·李榮薰(イ・ヨンフン)編、チェクセサン 2006)や『近代を読み直す』(尹海東(ユン・ヘドン)·千政煥(チョン・ジョンファン)·許洙(ホ・ス)·黄秉周(ファン・ビョンジュ)·李庸起(イ・ヨンギ)·尹大石(ユン・デソク)編、歴史批評社 2006)などが代表的なものである。これらの著書の編集陣は共通的に、これまで主流を成してきた韓国近現代史の研究傾向を民族主義と民衆主義又は左派民族主義として規定し、その図式性を 批判している。提示している代案はそれぞれ違っていて、『解放前後史の再認識』では反共主義と成長主義を軸としたニューライトの歴史認識と脱民族・脱民衆を主唱する脱近代論の歴史認識が同居している。この同居を居心地悪いと感じる脱近代論的な歴史学者らが新たに書き上げたものが『近代を読み直す』である。これはニューライトと民族・民衆中心の歴史認識のいずれも批判している。どちらも「民族と国家を分け合ったまま、又は共有したまま近代を特権化する知的実践の一環」であることに違いがないということだ。その代案として『近代を読み直す』の編集陣は国家と市場の暴力によって支配される近代的な生を省察し克服することを求めている。

ニューライト側は分断国家である大韓民国の正統性に執着し独裁の歴史を合理化することに没頭している。果たしてそのような論理をもって民主主義の時代に合った歴史認識、南北和解や分断克服への道を提示する歴史認識の定立が可能であろうか。依然として過去回帰的で二分法的な冷戦の歴史認識であるといわざる得ない。

ニューライトの論理が過去回帰であるという点において時代錯誤的であるならば脱近代論的論理は現実の要請を無視したまま未来へと遠く行き過ぎたという点において時代錯誤と言えよう。 現在、韓国社会は近代から脱近代へと移行してゆく過渡期ではなく、特殊な近代から普遍的な近代へと移行してゆく過渡期なのである。植民地の被支配と分断という韓国的な特殊性のために主権回復や統一といった巨大な言説が社会の議題を圧倒していたため個人の人権、自由、個性、多様性の尊重のような普遍的な近代的価値は注目されなかった。1987年の民主化以降、韓国社会は分断克服のような韓国的な特殊価値と共に個人の人権や自由のような人類普遍の価値を実現していく段階へと変わりつつある。逆説的に現在韓国の脱近代論者の論議は本格的に近代を解体しているというよりは韓国的な特殊近代に対する省察を通して人類普遍の近代的価値に注意を促す役割を担当している拙稿「近代の多様性と韓国的近代の生命力」、『歷史批評』2001年秋号、189~96頁。。脱近代論のさらなる問題点は巨大な新自由主義の波、富益富貧益貧(富む者は益々富み、貧しい者は益々貧しくなる、の意)の社会両極化、米国を含めた強大国の自国中心的な外交など、現在韓国社会が国内外的に直面しているこれらの問題に対して説得力のある解答を出せないでいるという点である。脱近代論は批判の武器ではあり得るが、代案の武器にはなれないのである。

上述の書物と共に韓国近現代史の新たな理解に多くの示唆点を与えてくれる『韓国の植民地近代性』(申起旭(シン・キウク)・マイケル・ロビンソン(Michael Robinson)編、都冕會(ト・ミョンフェ)訳、サムイン、 2006)や『大衆独裁』(林志弦(イム・ジヒョン)・金容右(キム・ヨンウ)編、チェクセサン、 2004~5)なども注目される。植民地近代性論は西欧的な近代を近代性の唯一の指標として設定し、韓国の近代性は歪曲されたり未実現された状態として把握されがちな傾向を非難しながら、植民地支配を通して形成された近代性もやはり西欧的な近代性と対比されるもう一つの近代の形であるという見解を示している。これは近代性自体を批判的に省察し超えなければならないという脱近代論の延長上にある。大衆独裁論はファシズムとナチズムに大衆が熱狂していた事実に着目し、近代的な独裁が強制よりは同意に基づいているということを主張している。『大衆独裁』の編集陣は朴正熙(パク・ジョンヒ)の独裁も大衆独裁の一つの事例として見ている。これもまた民主主義と独裁を二分法的に捉えているこれまでの通説に反対し、両者共に近代の一つの形として見ており、この近代性自体を飛び越えなければならないという脱近代論的な考え方と結びつく。植民地近代性論と大衆独裁論は「近代性」という問題に対してより幅広い視野を提供してくれるという意味において意義があると思われる。が、この二つの理論は韓国近現代史を説明するには確かな限界を持っている。

幾つかの限界のうち、最も表立ったものはどちらも韓国社会の内面の視覚や下からの視覚から見つめずに基本的に外部からの視覚や上からの視覚から見つめているという点である。植民地近代性論は結局韓国の近代というものは植民地の支配者から近代性を受け入れる過程において形成されたことを前提としている。開港を前後した時期の朝鮮社会自体の近代化志向や帝国主義に対する闘争過程において形成された近代性には注目せず、専ら帝国主義と植民地の関係からだけ近代性を把握しようとする外因論的な限界を露にしている。大衆独裁論もまた、独裁に対する大衆の能動的な支持という側面を強調してはいるが、結局独裁者の意志がいかにして大衆へと浸透し大衆が動員されたかに焦点を合わせることにより、独裁に対する民衆の闘争は認めながらも消極的な意味を与えるだけで支配権力の影から離れた大衆の自律的な空間は見過ごす限界を抱えている。脱近代論及びそれに関連した植民地近代性論、大衆独裁論は韓国近現代史の流れを内部から、下から理解するにはまだ多くの問題点を抱えており、そのような点において民族史学・民衆史学が依然として力を発揮していることが読み取れる。

ならば、既存の韓国近現代史の認識を代表する民族史学・民衆史学に問題点はないであろうか。ないとは言えない。1980年代後半の時代の変化、即ちソ連・東欧の共産圏の崩壊と脱冷戦の潮流、新自由主義の拡散、韓国の民主化、北韓(=朝鮮民主主義人民共和国)の経済危機、南北関係改善の流れなどが積み重なり新たな変化が求められている。何よりも民族対反民族、資本主義対社会主義、民衆対支配層といったような二分法的な世界観は限界をみせている。善悪の二分法的な世界観は理念の時代が終わりを告げ、価値の相対性が尊重される今の時代につりあわないのである。また、民族と民衆という巨大な言説のもと、それ以外の多様な価値が十分に注目されなかったという点も事実である。これからも民族と民衆の言説は依然として有効であるが、それ以外の価値も共に尊重される歴史観が求められる。南北が歩んできた現代史の軌跡を理念的な偏見から離れ、冷静で批判的に省察する歴史認識、二分法的な図式ではない歴史の複合性と多様性、そして相互関連性を重視する歴史認識、理想と現実の調和のなされた未来を展望するのに適した歴史認識が必要なのである。

 

 

3. 歴史的事実の複合性

 

1980年代以降、政治学・経済学・社会学・歴史学など、多くの分野において韓国現代史に関する研究成果は驚くほど広範囲にわたってなされ蓄積されてきた。この成果を通して今我々は韓国現代史を単純な二分法的な論理から離れ、多様な角度から立体的に理解できるようになった。それにもかかわらず時折マスコミやインターネット上にて沸き起こる韓国現代史をめぐる論争を覗いてみると、論争の構図がこの上もなく単純な二分法に止まっている場合が殆んどである。「韓半島(=朝鮮半島)を分断した責任は米国とソ連、どちらにあろうか」「李承晩(イ・スンマン)は建国の父であろうか、分断政府樹立の先頭に立ち独裁で一貫した人物であろうか」「朴正熙は韓国近代化の指導者であろうか、独裁の化身であろうか」「金日成(キム・イルソン)の抗日運動の経歴は真実であろうか、偽りであろうか」など、両者択一的な論争が殆んどである。これらの論争においていつも社会的に注目されるのは極端的な見解だけであり、慎重な第3の見解は注目されないまま姿を隠してしまう。このような論難の多くは今まで積み上げられた歴史研究の成果をじっくりと見直すだけでも解消可能な問題である。

歴史において客観性を持つものは破片化された個々の事実である。そのような事実を結び繋げて一つの<像>を描いてゆく過程、即ち歴史化の過程は今現在を生きる人々の主観を媒介とするしかない。そのような意味において先述の幾つかの質問には全て何通りかの解答が考えられる。ただ、それらの解答のうち、初めから客観的な事実に合わないものは誤答として見なすべきであろう。韓国近現代史においては「客観的な事実」だけを明らかにするだけでも不必要な論争なく「歴史的真実」に近づける例が多数ある。客観的な事実自体が歴史的な真実の十分条件であるとは言えないが、必要条件であることは間違いない。もし、脱近代論者らの見解のように初めから客観的な事実を認めないならば、如何なる歴史歪曲も歴史解釈の多様性という名分のもと、受け入れなければならなくなる。勿論、我々は少なくとも客観的な事実に基づいて出された解答であるならば、それが如何なる観点からの見解であっても一つの解答として認めることのできるゆとりを持つべきである。多様性の尊重なしに民主主義の実現は不可能であり、それは歴史認識の問題においても同様である。

金日成の抗日運動偽り説を例として挙げてみよう。数多くの関連文献資料が公開され、北韓の指導者金日成が抗日運動に参加したことがないという偽り説はもう通じない。しかし同時に北朝鮮が強調してきた朝鮮人民革命軍の歴史は独自のものではなく実際には中国共産党が指導していた東北抗日聯軍の歴史の一部であることも20年程前に既に明らかになった事実である。金日成の抗日運動偽り説や金日成の独自的な抗日武装闘争説のどちらも南北対立の条件の中で政治論理によって歪曲されたり神話化された主張であることが客観的な事実の確認を通して明らかになった李鍾奭(イ・ジョンソク)「北韓指導集団と韓日武装闘争」、『解放前後史の認識5』、ハンギル社 1989; 和田春樹 『金日成と満州抗日戦争』、李鍾奭訳、創批 1992; 辛珠柏(シン・ジュべク)『満州地域の韓人の民族運動史(1920~1945)』、アジア文化社 1999。。一度明らかになった客観的事実は北韓の歴史叙述にも影響を与えたようである。抗日武装闘争に関する資料が十分に公開された後作成された金日成の回顧録『世紀と共に』(全8冊、朝鮮労働党出版社1992~98)には金日成自らが東北抗日聯軍の所属であったことを述べている。今日、歴史学会における論議は金日成の抗日運動の真偽ではなく、東北抗日聯軍所属の韓人(=朝鮮人)が繰り広げた活動を韓国全体の民族運動史の流れの中でどのような位置付けをするべきかの次元で進行している。

1950年10月に起こった信川(シンチョン)虐殺事件の事例も南北の冷戦的対立の中で歴史的真実を確認する作業がどれほど重要であるかを物語っている。筆者は4年前、信川博物館を調査に出かける機会があった。博物館の内部は米国を「殺人鬼米国」と決め付け、その蛮行を糾弾する展示物で溢れていた。火に焼け死んだ子供と女性の写真、保存された虐殺現場や虐殺された人々の墓は、人間よりも残酷な動物が果たしてこの世に存在するだろうかという疑問を抱かせる程であった。北韓側の主張によると、当時信川郡の人口の4分の1にあたる3万5千人余りが米軍によって虐殺されたそうだ。しかし黄晳暎(ファン・ソクヨン)の長編小説『客(ソンニム)』(創批 2001)に書かれているように、この事件は黄海道(ファンへド)現地の住民同士の左翼右翼の分裂と対立の結果であったということが徐々に明らかになっている朴明林(パク・ミョンリム)『韓国1950-戦争と平和』、ナナム出版 2002、623~32頁。。これを北韓では反米意識を訴えるために米軍の仕業と思わせ反米教育に利用しており、韓国では左翼の仕業としたり又はその事実自体を隠そうとしてきた。韓国社会が戦争時に起こったこのような残酷で恐ろしい虐殺事件の客観的事実へ近づこうとする勇気を持つならば、この事例は南北分断の悲劇が生んだ傷跡がいかに深くその傷を癒すために南北間の和解がいかに切実であるかに気付かせてくれる貴重な素材となり得るだろう。いつかは信川博物館が怒りの教育場ではなく和解の教育場となってほしい。

次に韓半島分断の責任問題について考えて見よう。38度線分轄と米国・ソ連両国の軍隊駐屯、左右対立と分断政府の樹立へと繋がる分断の悲劇の究極的な責任は誰にあるのだろうか。これに関しては国内外の学者の間で数多くの研究と論議が行われてきた。38度線分轄を米国が先に提案し、それにソ連が同意したということは客観的な事実といえよう。しかしその事実をもって分断の責任の所在が整理できるわけではない。米国の38度線分割の提案には単に日本軍の武装解除のための軍事的便宜だけではなく戦後の東アジアの主導権確保のための政治的意図が介入していたことは推し量ることができるが、明確に実証されたわけではない。その提案になぜソ連が容易に同意したのか、38度線の北側に駐屯したソ連軍が最初から親ソ的な政府の樹立を望む政治的目標を持っていたのだろうか、いずれも確かではない。ただ、これまでに学会で研究された内容を総合して見ると、第2次世界大戦以降、世界秩序を主導したのは米国であり、ソ連はそれに受動的に参加した。東北アジアにおいても事情は変わらず、米国が太平洋と日本の安保のために韓半島の分割を目指し、ソ連はその構図に共に参加しながら国境の触れ合う韓半島の北部地域に親ソ的な権力を樹立するため、社会主義勢力を支援した。結局のところ、米国とソ連はそれぞれ自由民主主義と社会主義という理念的な制約を受けながらも究極的には国家利益のレベルで韓半島の問題に近づいたのである。両国家が最初から分断国家を樹立しようという明確な目的を持って軍隊を駐屯させたわけではないが、自国の利益を代返してくれる統一国家が樹立する可能性がないのなら、その代わりに分断国家の樹立を支援するという内部方針を作り上げていた。このような意味において分断の主な責任は米国にあるが、ソ連も責任問題において逃れることはできないであろう拙稿「ソ連の対韓政策と北韓においての分断秩序形成、1945~1946」、『分断50年と統一時代の課題』、歷史批評社 1995; 鄭容郁(ジョン・ヨンウク)『解放前後の米国の対韓政策』、ソウル大学出版部 2003。。

李承晩や朴正熙などの政治家に対する評価も社会的な論議が学会の研究とは全く関係なくいかに単純に行われているかが分かる。李承晩の治績とされている1950年の農地改革を例に挙げてみよう。農地改革を実行するに当たって李承晩の意志が作用したことは事実である。しかし地主制が解体される大きな社会変化の中で李承晩という個人の役割は非常に限られたものであった。前近代以来、保たれてきた「耕者有田(=自作農)」の情緒、農民運動の伝統、日本帝国主義の急速な崩壊、一足先に土地改革を実施した北朝鮮との体制競争、体制安定のため土地改革を実施すべきだという米国の圧力、初代憲法に農地改革を明文化し、農地改革法案を貫いた進歩的な国会議員らの努力など、数多くの要素が結合して農地改革は実施されたものであって、個人一人の業績とは言えない。1960年代の産業化もやはり朴正熙という個人の役割だけでは説明不可能である。産業化の過程にて朴正熙のカリスマが大きく作用したことは確かだが、彼の意思が実現できた背景には近代的な官僚層の形成、1950年代の資本の蓄積、世界の資本主義経済の変動、米国の東アジア政策、日本の韓国政策、そして何よりも産業化の貢献者として経済成長のために献身的な努力を惜しまなかった労働者たちの情熱が挙げられる。このようなものがなかったならば産業化は実現できなかったであろう。

今後は学会の研究成果とかけ離れた単純な二分法的な歴史論争はマスコミやインターネット上で中断されるべきである。これまで学会が研究成果の大衆化のための努力を怠ったのは残念であるが、だからといって全ての人々がまるで専門家のように論争に割り込むようなことは望ましくない。学者としての姿勢を捨て、歴史問題を単純化し、葛藤を深めるようなことも今後は克服すべきである。

 

 

4. 南北現代史を読み直す

 

現在、南北韓(=韓国と北朝鮮)において現代史を冷静で批判的に省察できない最大の障害物は、深く根付いている冷戦的な認識によって依然として両国で同じように繰り返されている正統性の競争意識である。南北韓のどちらに正統性があるのかを論ずるのは、政治現実においては意味のあることかもしれないが、歴史を理解するには全く役に立たないことである。外部勢力により強制的に分断され、その分断状況を主体的に打破していく力が足りなかったため、結局は二つの分断政府が建てられたのであるが、そのどちらに正統性や正当性があるのかを問うことが果たして意味のあることであろうか。これは二つに割ったりんごを前に置いてどちらが本当のりんごか選べと言っていると同様に愚かなことである。正統性を論ずるのは王朝中心の前近代的な歴史叙述などで行われることである。政治現実を置いてみても南北韓の正統性をめぐる競争は各体制の存続のため両国の執権層には役に立つかもしれないが、南北韓の和解共存への道には障害物となるだけである。

北朝鮮は公式的に自国の歴史的正当性を抗日武装闘争の伝統から見出しており、それにひきかえ韓国政府は、親米・親日勢力によって建てられたものとして低く評価している。一方韓国では公式的に3・1運動と大韓民国の臨時政府を歴史的正当性の基として北韓の政権をソ連中心の集団として見なしている。このように相反する二つの論理はどちらも歴史的真実を総体的に反映できずにいる。南北両国がどちらも米国とソ連の強力な介入によって形成された国家権力であることは否定できない事実である。米国は軍政を実施し国連の権威を動員して南側に親米的な国家を樹立するのに決定的な役割を果たした。ソ連は形式的には北側に軍政の実施はしなかったが、1990年代から公開され始めた資料によると北韓の政府樹立過程にて全ての重要な事項においては直間接的に介入している。ソ連は少なくとも韓半島の北部地域に親ソ的な権力を樹立することが自国の安保において必須的だと判断し、自国に友好的な勢力を積極的に支援したのである。ただし分断国家の生成過程において米国とソ連は後援者の位置にいただけで直接的な権力の主体ではなかった。

両強大国の分割占領という条件を活用し、自分たちの目指す国家を建てた主役は李承晩と金日成に代表される左翼右翼の政治家らであった。李承晩と金日成は二人とも抗日運動の経歴という正当性を確保し、また一方では米国とソ連それぞれの理念と国家利益を代返することにより彼らの後援を積極的に得ることができる力量を備えた人物たちであった。結局両人物を代表として日帝の下、資本主義国家建設の流れと社会主義国家建設の流れはそれぞれ米国とソ連という外部勢力と結合し南北に二つの国家として現実化された。

南北の国家形成期の二つの執権層を単純に比較して見ると、北韓の執権層が韓国の執権層よりも抗日運動の経歴という面において優位に立っているということは事実である。立法機関を比較すると、北韓の第1期朝鮮最高人民会議の代議員572名のうち、抗日運動のため逮捕、監禁された経歴のある者が248名と全体の43.3%であり、彼らが監禁された期間を合わせると957年4ヶ月となる『北韓最高人民会議資料集1』、国土統一院 1988、100頁。。これに比べ韓国の制憲国会議員200名(補欠選挙含めて206名)のうち、新幹会、大韓民国臨時政府、朝鮮共産党、朝鮮語学会事件などの抗日運動に参加した経歴のある者は33名であり、抗日運動のため逮捕され投獄された経歴のある議員は35名である。一方、積極的に親日活動をしたり公務員、裁判官、金融組合幹部など、殖民政策に奉仕した経歴のある者は55名にのぼる金得中(キム・ドクジュン)「制憲国会の構成過程と性格」(成均館大修士論文)、1994、94~99頁。。行政機関と立法機関を比較して見ると、その違いは一層大きくなり、李承晩政権の下、親日反民族行為者の処罰が挫折し、韓国政権の正当性は深刻な打撃を受けた。しかし国家形成期の執権層の経歴がそのまま国家の性格を全的に規定するものではないという点を念頭に置く必要があろう。

北では保守的な民族主義の人物と朴憲永(パク・ホンヨン)系列の社会主義者の殆んどが徐々に権力から排除され、最終的には金日成中心の抗日武装闘争勢力だけが権力の核心を独占した。南では正当性の根拠をなす大韓民国の臨時政府系列の殆んどが実際には権力から排除されたが、政府には参加せずに国家としての韓国を選択した中道、又は保守傾向の民族主義者、自由主義的な人物が数多く存在した。さらに3・1運動と大韓民国の臨時政府に象徴される「独立精神」が初代憲法に明示されて以来、現在に至るまで民族運動の伝統は誰も否定できない憲法的な権威を保ってきた。これは民主主義の当為性と結びつき如何なる政権も民族主義と民主主義を否定できないものとし、これを損ない傷つけた政権には正当性の欠如として、反政府勢力としては運動の正当性を確保する財産として作用してきた。国家形成期の権力の正当性の限界と長期間の独裁にもかかわらず経済成長と共に民主化が実現され、対米従属性が徐々に解消されつつあるのは、やはり韓国が単に親米・親日勢力の国家ではないという事実を物語っている。権力レベルの正当性と国家レベルの正当性はこのような点において区別されるべきである政権と国家の関係、正当性の問題、分断と民主主義の関係などに関しては既に白楽晴(べク・ナクチョン)·姜萬吉(カン・マンギル)·崔章集(チェ・ジョンジプ)·金東椿(キム・ドンチュン)·朴明林など、多くの学者の研究があった。余りにも膨大な研究成果があり、本論文では具体的には論じないことにする。。

北韓では執権層が初めから正当性を独占し、彼らの抗日運動の経歴を唯一の革命伝統として固定しそれ以外の如何なる勢力の挑戦も許さなかった。これは体制の硬直化へと連動する問題である。一方、韓国は執権層が抱ええていた正当性の限界の中で民族主義・民主主義志向勢力の絶え間ない挑戦が続いたため体制の力動性が保たれ、その過程において徐々に国家としての正当性が拡大された。最近政府と国会が推進している各種の過去事整理作業は損なわれた国家の正当性を確保してゆくための一つの手続きである。大韓民国の正統性を主張する反共的な保守派が国家の正当性を確保する手続きを強烈に反対しているという事実は歴史のアイロニーと言えるだろう。

筆者は過去事整理の意味が韓国の正当性を確認する通過儀礼として縮小される可能性があることが憂慮される。過去事整理は現在の条件においては南北が各自進めるしかないが、最終的には南北の和解という大きな流れの中でなされるべきである。そうすれば韓国の国家的正統性の確認ではなく、韓半島全体レベルでの和解と統一国家建設のための歴史認識の形成に役立つであろう。

1876年の開港以来21世紀を迎えた現在に至る130年間余り、韓国の近現代史は激変の連続であった。そのような歴史を単純明快に一言で纏めることはできない。ここで中国の現代思想史を「啓蒙と救亡の二重変奏」という脈絡から整理した李澤厚(リ・チョホウ)の論旨を借りてみたいと思う。彼は近現代中国が終始一貫して強国の逼迫に迫られていたため、反帝国主義の任務、即ち「救亡」が「啓蒙」(思想啓蒙、人権と自由、個性、民主主義と科学、反封建)を圧倒してきたと解釈しながら、今後は中国社会で「啓蒙」の価値が尊重されることを望んでいる李澤厚『中国現代思想史の屈折』、金衡鍾(キム・ヒョンジョン)訳、知識産業社 1992、「訳者序文」と「第1章」参照。。この論旨を引用して筆者は暫定的に韓国の近現代を自主的な改革と従属的実用の二重変奏として整理してみたい。19世紀末の内憂外患時期以来、韓国社会は反帝国主義・反封建の自主的な改革を求める集団と帝国主義・資本主義の世界秩序の現実を認めながらもその中で漸進的な主権回復と経済成長を図る集団が対立・衝突してきた。二つの流れの対立が余りにも強力であったため、両者を折衷・調和させる指導者や中間集団は歴史の中に姿を現すことがなかった。従って分断や戦争を避けることができず、韓国の内部でも独裁の下、経済成長を目指す側と民主化を目指す側が絶え間なく対立してきた。このような葛藤や対立は時には韓国社会を破局へと導きもしたが、その一方では一瞬も休まず力動的な変化と発展を可能にした。しかし二つの流れの葛藤や対立を軸とする韓国近現代のダイナミズムはこれまでの歴史を説明する時にしか意味がない。韓国の内部的には経済成長と民主化の二重課題を同時に実現してから既に20年が過ぎ、韓米関係も徐々に対等な関係へと変化している。南北関係も相互対立を踏まえて徐々に和解と共存への道へと向かっている。今後は葛藤や対立ではなく、相互理解と尊重の姿勢を守り、今日の実用的建設の土台の上で自主性と改革を漸進的に実現してゆくべきである。そしてこれまで圧縮的な近代化の過程において両国で十分に注目されなかった個人の人権と自由、多様性尊重の価値の実現に努力を惜しまず韓国的な近代の完成を期待すべきではないだろうか。

 

 

5. 終わりに

 

と白が対立している時、灰色の代案を提示するのは弥縫策に過ぎない。無彩色であることには変わりないからである。無彩色以外に有彩色の世界があるということを知った時、認識の進展、視野の拡大がなされる。それによって一段階高いレベルにおいて低いレベルでの葛藤を解消できる慧眼を養うことができる。

韓国の歴史学会において主流を占めている民族史学・民衆史学は今も挑戦に直面している。1987年の民主化を通して冷戦と独裁の時代から脱冷戦と民主主義の時代へと移って既に20年という年月が過ぎた。依然として過去の二分法的な図式に縛られたり、些細な実証に満足するようなやり方では挑戦に十分対応でいない。これからは理念の偏見から抜け出し、より広い視野を持って分断克服と民主主義の定着に力を注ぐべき新たな歴史学が求められている。勿論、民族と民衆、民主主義のような巨大な言説は今もなお有効であり、従って民族史学・民衆史学の生命力は残っている。しかし新たな流れに積極的に応じなければ、未来を開く進歩的な歴史学ではなく現実に満足しドグマ(dogma)化される退行的な歴史学になってしまうであろう。

民族主義の固守なのか脱民族主義なのか、といった極端な論議は非生産的である。極端的な判断を避けながら民族主義を漸進的に止揚・克服することを通して韓民族が世界と共存できる知恵を得るべきである。民衆は先験的な変革の主体ではなく実に多様な個人個人の生き方が複合的に調和している総体としてダイナミックに捉えなければならない。脱冷戦と民主主義の時代に客観的な事実をより多く明らかにし、これを基に歴史的真実を求め、葛藤と対立よりは和解と相互尊重の価値観の反映された「民主的歴史学」、「歴史認識の民主化」が切実に望まれる時代である。

 

 
訳 :  申銀兒
季刊 創作と批評 2007年 春号(通卷135号)
2007年3月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2007
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea