新自由主義、グローバリゼーション、韓国経済

特集│新自由主義、正しく捉えて代案を探す

柳鍾一(ユ・チョンイル)  jyou@kdischool.ac.kr

 

KDI国際政策大学院教授、経済学。著書に External Liberalization in Asia, Post‐Socialist Europe, and Brazil (共著)、論文に「労使関係変化の政治経済学」などがある。

 

 

1.新自由主義をめぐって

一人当たりの国民所得が2万ドルにのぼり、株価は2000を突破するに至ったにも関わらず、経済の現実に対して国民の大多数は不満をもっている。わずか何年か前には夢のように思われた数値が現実化されたのに、である。その理由は両極化〔格差社会〕だ。富める者はますます富み、 貧しきものはますます貧しくなっていき、総量的な成長にもかかわらず庶民大衆の生は窮していく。最近発生したEランド篭城事態〔非正規職の大量解雇とそれに反対した人々の座り込み闘争〕に見られるように、雇用不安も庶民の生を抑圧している。だからといって経済成長がうまくいっているのかといえば、そうでもない。数年ぶりに潜在成長率が下回っている。企業も復活した日本経済と、猛烈に追撃してくる中国経済の間に挟まった「サンドイッチの身の上」を訴えながら、どうにもできないでいる。

左右を問わず何かが大きく間違っていたのではないか。金大中(キム・デジュン)政府と盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府の時期が「忘れ去られた10年」になったと嘆く。いわゆる民主化政権あるいは改革政権といわれるこれらの政府のあいだに、租税負担と国家債務が増えて福祉支出が増加し、財閥規制が強化されるなど、経済政策がポピュリズム、はなはだしくは社会主義的性格を帯びたせいで経済活力は失われ成長が鈍化したのであって、これによって雇用の創出は低迷し両極化も深まったというのが右派の診断である。左派の視角はこれと正反対だ。IMF危機とともに出帆した金大中政府は、新自由主義の伝道師格であるIMFの要求に忠実にしたがうことで開放を加速化し、公企業の民営化と規制緩和、労動市場柔軟化など、典型的な新自由主義の改革政策を追求したというのだ。民営化政策などにおいて若干の軌道修正はあったものの、盧武鉉政府も概して同じ政策基調を維持し、韓米FTA の推進に現われたように、むしろ新自由主義をより一層強化したと思われる。このような新自由主義政策のせいで両極化が深化したのはもちろん、外国資本の攻勢を前に企業投資が萎縮し、成長の沈滞まで引き起こされたというのが左派の視角だ。

果たしてどの話がより的を射ているのか? この10年間の経済政策を新自由主義の改革政策だと規定できるのか? そしてこれが成長動力の弱化と分配悪化の根本原因なのか? グローバル化時代にあって新自由主義的な政策は選択ではなく必須だという見解は妥当なのか? 新自由主義の未来とはどのようなものか? このような数々の疑問に答えるのが本稿の目的である。そのために、四つに分けて議論を進めようと思う。

まず、新自由主義とは何なのかという概念規定をはっきりさせたい。国家の経済的役割を縮小して市場機能を拡大する政策を、何でもかんでもひっくるめて新自由主義と呼ぶきらいがよくある。例えば、最近、スウェーデン、ドイツ、フランスなど社会民主主義的経済政策を追求してきたヨーロッパ諸国で、右派が政権を取るようになったが、これを新自由主義の勝利とみなす視角が台頭した。しかし、競争と市場の役割を少しだけ強化するとか、福祉を少しだけ縮小したりするだけで、これを新自由主義と呼ぶのなら、歴史的現象としての新自由主義の意味は消え去ってしまう。したがって、新自由主義が西欧で登場した歴史的コンテクストの中でその性格を正確に捉える必要がある。

次に、新自由主義とグローバル化の関連性を明らかにし、このような諸現象の未来の展望を論じていく。新自由主義的グローバル化が、とりわけ80年代後半から急速に進んだがゆえに、この両者をほとんど同一視したり、ふたつが必ずや繋がって現われるものだと理解されることがある。実際、新自由主義は急進的な開放を追求するものなので、グローバル化の強力な駆動力となる。しかし、グローバル化は必然的に新自由主義と結びつくのではなく、必ずや新自由主義を促進するというものでもない。また、グローバル化は、紆余曲折はあっても確かに先に進み続けるのに比べて、新自由主義はもはや生命力を失いつつあるようだ。私たちがグローバル化に対応する姿勢も、こういった状況認識を土台に据えねばならないだろう。

最後に、韓国経済において新自由主義がもつ意味を考察する。私たちが10年前に経験した外為危機と金融危機は、果たして新自由主義によるものなのか? 危機以後に推進された経済改革は、果たして新自由主義政策なのか? 分配を強調した盧武鉉政府の経済政策はどうなのか? このような問いを通じて改革政策を単純に新自由主義として把握するのが妥当ではないこと、そして同時に新自由主義の影響力が決して無視できない勢いを増していることを指摘していく。市場の歪曲を是正しようとする改革政策が、市場の過剰を生む新自由主義の影響によってその本質を色あせさせ、混乱させているのである。

 

2.新自由主義とは何か

新自由主義とは、市場に対する無限の信頼を前提に、市場が経済問題のみならずほとんどすべての社会問題においても最善の代案であるとする、市場万能主義あるいは市場根本主義のイデオロギーの現代的形態といえる。このような市場万能主義的思潮は、19世紀の古典的自由主義時代に登場した自由放任主義をはじめとして、ハイエク(F. A. Hayek)など、オーストリア学派の伝統に連なっているともいえるが、1980年代以後、新自由主義として再登場したものである。新自由主義の主要政策アジェンダは、規制緩和と開放を通じて貿易・投資・金融をはじめとする企業活動を自由化し、公企業を民営化して国家の経済的役割を縮小することと、マクロ政策においてはインフレ統制を優先視する通貨政策と健全財政主義を掲げる財政政策、そして福祉および労動保護政策を縮小することによって経済規律を強化することである。

そもそも、第二次大戦以後の西欧の経済政策思潮は、国家の経済介入を重視するケインズ(Keynes)主義が支配的だった。アメリカの大統領のなかでも非常に保守的だとみなされているニクソン(Nixon)さえ「われらは皆ケインズ主義者だ」と述べたように、左右を問わず、多くがケインズ主義に共感した。ケインズ主義は景気変動に対処する積極的な財政政策と通貨政策を主張し、したがって金本位制のような商品貨幤制度と違って伸縮性をもった通貨供給が可能な信用貨幤を当然視し、国家間の資本移動を含む投機的な取引には否定的だった。1930年代の大恐慌の経験をとおして、過去の正統が否定されたのである。政治的な地形の変化もまたケインズ主義的政策と合致した。大衆民主主義の拡がりと労動者の発言権の強化は、完全雇用を重要な国家目標として定着させ、福祉国家の膨脹をもたらしたのだが、これはケインズ主義の総需要管理政策と非常によく適合していた。

新自由主義が経済政策の支配的な思潮として作動しだしたのは1980年代の初めからである。1980年のイギリスのサッチャー首相と1981年のアメリカのレーガン大統領が政権をとったことが、このような変化の象徴のように思われるが、実際、政策変化の決定的な契機は1979年秋にアメリカ連邦準備銀行理事長としてポール・ヴォルガー (Paul A. Volker)が就任した後、いわゆる通貨主義(monetarism)に立脚した金融通貨政策を実施したことに求められる。インフレーションとドル貨の弱化を反転させようと通貨膨脹を強力に抑制した結果、利率が天井なしに跳ね上がり、これが80年代初頭の世界的な景気低迷と外債危機をもたらした。経済の拡張というよりは規律を重視する政策が始まったのである。通貨主義マクロ経済政策は、規制緩和、民営化など国家の経済的役割を縮小するミクロ経済政策と結合して新自由主義政策へと発展した。

80年代はイギリス、アメリカ、ニュージーランドなど主に英米系統の国々が新自由主義的改革を推進したが、経済的成果は満足にもたらされなかった。むしろ当時脚光を浴びたのは北欧、ドイツ、オーストリア、スイスなどの社会組合主義(social corporatism)モデルと日本型モデルだった。しかし北欧が80年代後半に金融・資本自由化を実施して以降、金融危機に陥り、ドイツが89年の統一以後に経済的困難に直面したのみならず、日本が90年代初盤からバブルの崩壊による長期不況に突入すると、状況は反転した。アメリカとイギリスが90年代初盤に不況を乗り越えた後に、力強い成長の勢いを見せたのとは対照的だった。こういった状況のなかで、旧社会主義圏の沒落という世界史的な出来事が国家の経済介入に対する否定的な認識を拡散させたことで、90年代に入って新自由主義が新たな支配的理念として登場してきたのである。

新自由主義の登場の背景には、ケインズ主義の危機があった。ケインズ主義経済政策の下で、戦後西欧資本主義は歴史上例をみないほどの高成長と完全雇用、そして経済安定化と福祉拡大を果たした。いわゆる「資本主義の黄金期」だった。しかしこれは長くは続きしなかった。もっとも根本的な問題は、ケインズ主義そのものがもつ限界にあった。ケインズと同時代に、独自に有効需要理論を創案したカレツキ(M. Kalecki)は、財政政策によって完全雇用を果たすことは難しくないが、政府支出に対する財界の政治的反対のために完全雇用を長期間維持することはできなくなると早くも主張していたが、これは先見の明といわざるを得ないMichal Kalecki, “Political Aspects of Full Employment,” Political Quarterly, Vol.14 (1943), republished in Selected Essays on the Dynamics of the Capitalist Economy 1933‐1970, Cambridge Univ. Press 1971.。持続的な完全雇用状態は労動規律を弱化させる一方、賃金上昇によるインフレーションを引き起こすので、財界や金利生活者らが反対するというのだ。実際に、黄金期が持続するなかで、60年代後半の西欧においてそのような現象が発生した。また、福祉国家の膨脹と政府介入の増大が、市場の失敗とは異なる政府の失敗をもたらした。このような理由から、70年代に入って先進諸国の労動生産性上昇率と利潤率が低下していき、景気後退が到来し始めたのだが、泣きっ面に蜂のごとくオイルショックが押し寄せたことでスタグフレーションが発生し、経済危機が到来したのである。

このような背景のもとで登場した新自由主義は、古典的自由主義あるいは旧自由主義と市場万能主義的な性格を共有しつつも、歴史的コンテクストが異なるだけに、具体的な内容も異なっている。第一に、金本位制にもとづいた旧自由主義とは違い、新自由主義は信用貨幤を基盤として経済安定化のために通貨供給を柔軟にできるシステムを採択している。もちろん、インフレ抑制に通貨政策の目標を置かねばならないという立場をとってはいるものの、実際は政策がそのように教条的に施行されるケースは非常に稀である。第二に、旧自由主義は夜警国家と自由放任経済を擁護したが、新自由主義は社会的緊張と葛藤を緩和するために最小限の社会安全網の必要性を認める。福祉縮小とインセンティブ改善を志向するが、それは福祉撤廃を主張するものではない。また、金融安全網、すなわち金融システムの安全性のための政府による規制と監督の必要性も認める。第三に、古典的自由主義は専制君主による政治権力の独占と経済活動の統制に立ち向かう市民的自由および経済的自由を追求する典型的な政治理念だったが、新自由主義は労動権と市民権の拡大に脅威を感じる資本家と特権階層の反撃という性格をもつDavid Harvey, A Brief History of Neoliberalism, Oxford Univ. Press 2005.。

 

3.新自由主義とグローバル化の未来

グローバル化が必ずしも新自由主義と結びついて現われるのではないことは、グローバル化の歴史を見れば簡単にわかる。グローバル化が前にも後にもない完全に新しい現象だと考えるのは誤解だ。19世紀後半から、すでにグローバル化は始まっている。当時は自由貿易が発達しただけなく、大多数の国が金本位制を採択し、また、最近よりも資本の移動性が高く、実際に莫大な海外投資がなされた。蒸気船と鉄道、電信の発明など画期的な交通・通信技術の発展によって市場統合が加速化した。また、労動力の国際的移動は今日に比べてむしろより自由で大規模になされていた。このように古典的自由主義の下で進んだ第一次グローバル化秩序は、二度の世界大戦と大恐慌のなかで崩れ落ちていった。

第二次大戦以後に成立したブレトンウッズ体制は、IMF、世界銀行、関税と貿易に関する一般協定(GATT)などの制度的枠組みを整え、経済再建と国際経済秩序の再構築を試みた。戦前の投機的な資本の流れがもたらした経済的混乱を避けるために、資本取引に対する統制は維持しつつも国際貿易と海外投資といった経常取引の自由化を果たそうとした。ブレトンウッズ体制は、前で論じたケインズ主義的な経済運用と結びついて非常に成功した結果を生みだし、これによって世界経済は再度経済統合の道を歩むようになった。ヨーロッパを基準に見るなら、1970年代初頭にはGDPにおいて貿易の占める比率が第1次グローバル化当時の最高水準までに回復するようになる。これが第2次グローバル化であり、ケインズ主義の影響の下で多少なりとも漸進的に進行した。
 
1970年代はブレトンウッズの固定換率制の崩壊とオイルショックといった衝撃が加えられたことで、グローバル化の趨勢に一時歯止めがかかったが、1980年代以後、新自由主義の登場と市場改革の拡がりによって、グローバル化は再び急速に進展した。全世界的な市場統合が拡がり、生産体制のグローバル化が深化している。特に80年代後半から金融自由化と資本自由化が急激になされ、金融市場の統合が加速化し、国際的金融取引が貿易や投資に比べてはるかに急速な拡がりをみせつつ、金融資本主義の性格は強化されていった。1995年に出帆したWTOなどの多国間経済機構を中心に、経済規範と制度を収斂させようとする努力も進展している。これが第3次グローバル化だ。

このように新自由主義の主導的影響力の下で進むグローバル化は、グローバル化のひとつの局面にすぎない。グローバル化が必然的に新自由主義を促進するということも、事実ではない。どこにでも自由に移動する資本を自国に誘致するためには資本が好む経済政策を選ぶしかないという論理は、一見、もっともらしい。トーマス・フリードマン(Thomas Friedman)が「グローバル化を受け入れた国々は、経済成長は得ても経済政策の選択権は失う」と主張したのも、そのためでもあるThomas L. Friedman, The Lexus and the Olive Tree, Anchor 2000.。しかし資本は、規制が少なく法人税が安ければどこにでも行くわけではない。競争力の要素には人的資源や社会間接資本の質、政策の透明性と社会的資本など、新自由主義的政策だけでは決して達成できないものなどもたくさんある。グローバル化が進展していくにもかかわらず「多様な資本主義」がまだ存在するというわけだ。一例として、北欧諸国は世界で最も開放された経済システムをもっているが、強力かつ普遍的な福祉体制を構築しているし、新自由主義とは非常に異なる平等主義的思考が経済政策に大きな影響を及ぼしている。

実際、新自由主義は、今の威勢にもかかわらず、前途洋々としているわけではない。現実の市場は決して新自由主義者たちが信じているように完全なものではなく、無条件の開放と自由化が経済成長と福利厚生の増大をもたらすという客観的根拠は稀薄だからだ。むしろ、東アジアの金融危機に現われたように、適切な規制や制度改革のない無分別な金融開放と自由化は、常に深刻なバブルと金融危機につながっていった。また、無条件の脱規制化と政府の縮小がもたらした弊害も、多くの開発途上国で確認された。最近はIMFでさえ控え目な金融開放と金融および社会安全網などの政府機能の強化を主張するまでになった。そして〈表〉に見られるように、新自由主義時代(1989∼2003)の経済成長率は、ケインズ主義が一世風靡した「資本主義の黄金期」(1950∼1973)に比べて顕著に落込んでいる。アジアのみが例外的に類似の成長率を見せているだけである。新自由主義時代に多くの国で所得分配が悪化したという事実はよく知られている。

 

〈表〉世界各地域の一人当たりGDP増加率の時代的変化推移
 

 

1820~1870

1870~1913

1913~1950

1950~1973

1973~1989

1989~2003

EC

0.9

1.4

1.2

3.5

2.1

1.7

EP

0.6

1.0

1.1

4.3

1.7

1.5

LA

0.3

1.1

1.4

2.5

0.6

1.5

Asia

0.1

0.6

‐0.1

3.5

4.2

3.6

Africa

 

 

1.2

1.9

‐0.3

0.8

 

 

EC : European capitalist and its offshoots (Australia, Austria, Belgium, Canada, Denmark, Finland, France, Germany, Italy, Netherlands, Norway, Sweden, UK, USA)

 

EP : European periphery (Czech Republic, Greece, Hungary, Ireland, Portugal, Spain, Russian Federation)

 

LA : Latin America (Argentina, Brazil, Chile, Colombia, Mexico, Peru)

 

Asia : Bangladesh, China, India, Indonesia, Japan, Korea, Pakistan, Taiwan, Thailand

 

Africa : Cote d’Ivoire, Ghana, Kenya, Morocco, Nigeria, South Africa, Tanzania
 

 

* 1820~1989 data derived from Maddison(1994)

 

  1989~2004 data derived from http://unstats.un.org/unsd/snaama/dnllist.asp

 


1990年代が新自由主義の全盛期だとするなら、2000年代に入ってからは部分的にだが退潮の流れにある。新自由主義政策の先頭に立っていた国々が政策を旋回させる姿が、すでに現われている。2001年初頭に発生したカリフォルニアの電力供給中断事態によって、州政府は政府所有の電力会社を建立し、また英政府も頻発する安全事故とサービス低下により消費者の怒りを買い、投資費用の補助によって財政負担まで加重させた鉄道民営化が完全な失敗だったことを自ら認めて民営化を差し戻した。何より興味深いのは、新自由主義政策を誰よりも先頭に立って、最も徹底的に実施したニュージーランドで起きている変化である。2000年の総選挙以降、ニュージーランドは税率引き上げ、年金の上方修正、労組権限の強化、民営化中止および再国有化推進など、新自由主義とは正反対の諸政策を繰り広げはじめた。といっても過去に回帰したわけではないが、より実用的な政策路線が登場したのである。エンロン (Enron)やワールドコム(Worldcom)といった大規模な会計不祥事や地球温暖化の深刻化に対する認識が高まったこともまた、市場万能主義に警鐘を鳴らした。

たとえ新自由主義の全盛期が終わったといっても、これをグローバル化の終焉として受けとめてはならない。新自由主義の問題とグローバル化の問題を混同しては困る。今日のグローバル化が多くの問題を内包しているのは事実だが、「反グローバル化」論者たちが言うように、グローバル化が低賃金・失業・貧困・環境破壊など、すべての悪の根源だとみなすことはできない。むしろグローバル化は、一般的に富の増大をもたらす機会を増やすものだ。今日、グローバル化が生みだした多くの病弊は、グローバル化それ自体の問題というよりは、新自由主義の誤謬による問題だと考えるべきだ。

強力な反グローバル化デモが起こった時や9・11テロが発生した時、グローバル化は終焉を告げるのではないかという論争がおこったこともあった。現在、グローバル化の秩序は、多分に多国籍企業、国際金融資本、強大国中心に形成されている。WTOやIMFなど大部分の主要国際経済機構は、アメリカをはじめとする先進国そしてこれら国のトランスナショナルな資本の利害を主に代弁しており、その結果、貧困国に対する無関心と差別、そして政策的な面での新自由主義的な偏向性などを見せているJoseph Stiglitz, Globalization and Its Discontents, W. W. Norton 2001.。このような状況が持続するなら、グローバル化に対する政治的抵抗が拡がり、かつてそうだったように、グローバル化が一時的に後退するという事態も起こりうるHarold James, The End of Globalization: Lessons from the Great Depression, Harvard Univ. Press 2001.。

しかし、グローバル化は人道主義と普遍主義という、逆らいがたい大勢に符合する流れであり、長期的には阻むこともできないし、阻んではならない。根本的な観点において、より良い生への機会や経済的機会などを追求するために、国境が障壁にならねばならないという理由はない。世界的なレベルで市場の失敗を補正し、分配と安定化などのための制度的装置を発展させることこそ、これから進むべき方向である。

そもそも市場の発達は、政治的統合によって下支えされなければ、持続しにくいものである。市場は富の創出と拡大再生産をもたらすが、市場が機能できるように秩序を与え、市場の破壊性を馴致するための制度的装置は、政治共同体によって用意されるほかないからである。ヨーロッパの市場統合がヨーロッパの政治的統合と合わさって進展してきたように、今後、地球的なレベルで市場統合が進展していくことによって、地球的なレベルで政府の機能が発達し、実質的な「世界政府」が形成されるだろうDani Rodrik, “How Far Will International Economic Integration Go?,” Journal of Economic Perspectives, Winter 2000.。このような「世界政府」の具体的イメージは、機能によって多様な形態を帯びる、非常に複合的な姿になるであろうし、ヨーロッパや東アジアなど地域レベルでの政治経済的統合の重要な布石となるだろう。したがって、地域的なレベル、さらには地球的レベルの民主主義を拡張させながら、市場が生みだす諸問題を是正していく努力が必要である。

 

4.新自由主義と韓国経済

韓国は1950年代まで世界でもっとも貧しい国のうちのひとつだったが、60年代以降90年代中盤までのあいだに超高速成長を重ね、一番下座ではあるが、豊かな国々のグループに入っていった。朴正煕(パク・チョンヒ)開発独裁の下でなされた高速成長の主な特徴を挙げると、次のようなものになる。第一、国家主導型成長だ。国家機構が金融機関や外資導入に対する統制力を土台に資源を動員し、これを、戦略的に成長を図りたい産業に配分し、そのなかで市場は資源配分においてむしろ補助的な役割をした。第二、対外志向型成長だ。投資財源を補うために外国資本の導入に大きく依存し、高度成長していくのに必要な資本財の輸入をなすために輸出増進を通じた外貨獲得が重視された。そのため資本と貿易の両面で対外依存度が非常に高まったのだが、輸出主導型産業化はまた、国内の狭い市場を超え大規模な経済を可能にし、世界市場との接触を通じて先進技術を取り入れるのに寄与した。この意味で、韓国の高度成長はグローバル化の利点を上手く利用した事例だともいえる。第三に、不均衡成長である。地域的には首都圏と嶺南圏を中心にし、産業構造上では戦略産業を集中的に支援すること、そしてよりミクロなレベルでは財閥企業を成長エンジンとする不均衡成長を推進した。最後に、成長至上主義の哲学が支配したという点である。超高速成長のために福祉・環境・均衡・安全・効率といった他の諸価値を惜しむことなく犠牲にした。

このような特徴をもった高度成長体制は、産業化の過程で圧縮された成長を達成するのに非常に効果的なものだった。それゆえ、高度成長期が終わりを告げた1990年代中盤以後に到来した金融危機、危機克服以後の雇用沈滞と分配悪化などは、このような効果的な体制が新自由主義的な改革によって崩壊したせいだとする見解が台頭するようになった張夏準・鄭勝日著、イ・ジュンテ編『快刀乱麻 韓国経済』ブキ、2005年。。しかし、こういった見解には同意しがたい。

実際、危機の根本的な原因は開発独裁が生んだ蓄積体制の構造的危機にあった拙稿 “The Long and Winding Road to Liberalization: The South Korean Experience,” Lance Taylor, ed., External Liberalization in Asia, Post‐Socialist Europe, and Brazil, Oxford Univ. Press 2006.。当時形成された蓄積体制の大きな軸は、国家主導の投資計画、官統治金融を通じた資源配分、財閥中心の産業発展だった。ところがこのような蓄積体制の成功は、むしろ自己破壊の種になった。中産層と労動階級の物的土台と意識が発展していったことで民主化へと進まざるを得なくなり、資本蓄積の極大化は限界生産物逓減の法則にぶつかって利潤率低下を呼び起こすようになった。経済構造の高度化によって官僚的統制の効率性は徐々に低下し、政経癒着と官統治金融による腐敗と非効率、そして国民経済の不均衡は深まっていった。

したがって、蓄積体制の一定の変化は不可避なものだった。実際に80年代から漸進的に民間主導と市場中心の経済運用が導入された。対外的には貿易自由化が、対内的には銀行民営化と利率自由化などの金融自律化措置が推進された。特に90年代に入ってからは産業政策の廃棄、金融市場開放と資本取引の自由化措置が急激にとられていった。その結果、韓国経済もグローバル化の波のど真ん中にますます近付いていった。しかしこの過程で、国家の計画と統制はなくしていきつつも、それに代わる市場規律を強化しなかったことは、決定的な間違いだった。国家の統制も市場規律も微弱な状況で繰り広げられた財閥グループ間の競争は市場歪曲と過剰投資をもたらし、金融危機を生みだすに至った。このような脈絡のなかで、金融機関の健全性と競争力強化および金融規制と監督の高度化といった国内的改革が伴わないままに、中途半端に推進された金融と資本取引自由化措置は、1997年の外為危機とこれによって触発された金融危機の直接的な原因になった。Steven Radelet and Jeffrey Sachs, “The East Asian Financial Crisis: Diagnosis, Remedies, Prospects,” Brookings Papers on Economic Activity, Vol. 28 No. 1 (1998).

韓国だけではなく、適切な規制や制度改革のない無分別な金融開放と自由化は、常に深刻なバブルと金融危機につながる。わが国の場合、過去の官治経済のもとで金融機関は脆弱で、なすすべない状況であったし、企業の負債過多による潜在的金融危機がほとんど恒久的に存在した。開発独裁の下では1972年の8・3措置や80年代初頭の産業合理化政策など、非常に非市場的で非民主的な方法によって金融危機の暴発を防いでいた。しかし、民主化と市場自由化が進んだことにより、もはやこのような方法を使うことはできなくなり、だからといって市場的な方法で不良企業を整理する機制も発達しえなかった1997年には、起亞自動車事態にみられるように、その場しのぎの策で一貫し、危機の深化を放置したのである。東南アジアから伝染してきた外為危機は、すでに国内的に進んでいた金融危機を急進的に暴発させる導火線の役割を果たした。

このようにみてくると、金融危機の根本原因は、開発独裁のもとで形成された資本蓄積の極大化体制の矛盾であり、これを改革するために推進された自由化政策の誤謬だったといえる。特に「世界化〔グローバル化〕」を政策モットーにした金泳三(キム・ヨンサム)政府は「小さな政府」を掲げて金融監督と公正取引など市場の正常な作動のために必要な国家の役割さえ縮小していった。アリス・アムスデン (Alice Amsden)が「アングロサクソン化の幽霊が韓国を徘徊する」と述べたように、新自由主義的思潮がこのような誤謬を煽った面があることは事実だAlice Amsden, “The Specter of Anglo‐Saxonization is Haunting South Korea,” Lee‐Jay Cho, ed., Korea’s Political Economy: An International Perspective, Westview Press 1994.。しかしこれは副次的な要因に過ぎず、政治経済的要因のほうが重要であった。すなわち、国内的金融改革は既得権勢力の反発など多くの政治的困難を引き起こすのに比べて、金融開放と資本取引の自由化などは、すぐさま可視的な被害者を生み出すわけではなく、安い利子に外国資金をもちこんで使おうとする財閥企業たちには即刻の恩恵を与えるがゆえに、政治的に有利な政策だというわけだ。90年代に入って財閥は勢力をのばしながら、市場主義とグローバル化の論理を盾に自らにとって不便な政府の統制や規制を緩和させていったが、ここで最も核心的なことこそまさに資本取引自由化だったのであり、加えて労動市場の柔軟化だった。いまや新自由主義が財閥の経営権を脅かし投資を萎縮させると主張しているのだから、これこそ皮肉に他ならない。

外為危機以降、IMFの要求によって推進された改革は、まさに新自由主義ではないのか? 金大中政府はIMFの要求に忠実に従い、本格的な資本市場開放、労動市場柔軟化、公企業民営化および規制緩和などを推進した。確かに新自由主義的要素は多分に存在した。実際、 1982年のメキシコの対外債務不履行宣言に触発された「外債危機」以降、IMF管理体制は発展途上国に「ワシントン合意(Washington Consensus)」と呼ばれる新自由主義的政策改革パッケージを強要する機制と化した。私たちもこのような運命に直面したのだ。それにもかかわらずIMF危機の後に採られた市場改革政策を、単なる新自由主義として規定するのには無理がある。

第一に、改革政策はケインズ主義的福祉国家の過度な発達と労動権の過度な強化に対する反作用として表れたのではなく、むしろ開発独裁の下で形成された官治経済と財閥体制によって歪曲された市場機能を正そうとする性格のほうが強い。政経癒着、これと密接にかかわっていた官統治金融、そして前近代的な総帥支配を核とする財閥体制などによる不正と腐敗など、これら市場歪曲と非効率を清算することは新自由主義とは無関係である。むしろ各部門で責任性・透明性・効率性を高めることによって、市場経済秩序の基礎を確かにするものだとみなすほうが妥当だ。

第二、いくつかの重要な領域で政府が役割を強化したことに注目する必要がある。竜頭蛇尾になりつつはあるが、財閥に対する規制を強化し、金融機関に対する監督および健全性規制を強化した。何より四大年金を拡大して基礎生活保障を導入するなど、社会福祉が大きく拡大された。金泳三政府当時に完全に廃棄されたと思われた産業政策も、ベンチャー企業育成、地域均衡発展推進、革新クラスタ養成、新しい成長動力の発掘など、新たな形態で復活している。様々な市場の失敗に対する積極的対応がなされているのである。

したがって、金大中政府の経済改革は資本市場開放、規制緩和と公企業の民営化、労動市場柔軟化といった新自由主義的側面はもちろんのこと、官統治金融と財閥体制を改革するなどの旧自由主義的側面、労使政の妥協や生産的福祉の拡大に見られる社会民主主義的側面など複合的性格をもったものだとする金基元(キム・キウォン)の指摘は、全面的に正しいものだ。金基元「金大中-盧武鉉政権は市場万能主義か」、細橋硏究所シンポジウム「新自由主義時代、代案はあるのか」(2007.7.13)発表文、(本誌本号の特集に収録されている―編集者).また、開発独裁の下で形成された官治経済と財閥体制の遺産を清算し、正常な市場機能を拡大することが我々の社会に重要な課題として与えられている現実において、競争と市場の役割を強化することを、何でもかんでも新自由主義だと攻撃することは望ましくないという彼の主張にも耳を傾けねばならないだろう。しかし、改革過程で新自由主義が一定の影響力を発揮し、これによって市場の歪曲を是正しようとする改革が、市場の過剰へと上り詰めていくことで副作用と混乱をもたらしたことも事実だ。

甚大な金融危機の渦中にあって複合的な改革を推進することが、簡単なわけがない。速かに危機を乗り越えて景気を回復させたことは手厚く評価すべきだ。しかし改革論が一貫性をもって整理されずに、改革推進の政治的基盤が丈夫ではなかったがゆえに、改革が右往左往して断片的になされた。とりわけ私たちの現実的課題とは連関性が薄い新自由主義的アジェンダがかなり浸透したことによって、改革過程の混乱が煽られた。構造調整を、政府が主導すべきか市場の自律に任せるべきかという問題がかなり長いあいだ混沌を繰りかえし、公共部門の改革などにおいて行き過ぎた規制緩和、民営化、人員削減などに焦点があてられ、労動改革でも労使関係は後回しにされ労動市場の柔軟性だけが前倒しにされるといった現象が現われた。不良企業と不良事業の構造調整は、もちろん不可避なことだったが、過剰に人力削減に偏ったかたちで進められ、これは雇用構造悪化と雇用不安をもたらし両極化が深化する重要な要因になった。

また、改革の分野別不均衡が深刻に現われた。経済開放は高速で推進されたが、金融と企業を丈夫にしていくための構造調整と改革が立ち遅れたことで不均衡が生じた。強力な政治的抵抗のため改革はぐずつくのに、特別な抵抗勢力のない金融開放は一気に進められた。社会政策レベルの改革措置は、行政的な準備の不足と政策執行戦略の未熟さによって、可視的な恩恵が現われる前に、あらゆる側面からの抵抗と反対にぶつかるという困難を経験することになった。

盧武鉉政府に入ってからは「成長と分配の善循環構造」を作るというなど、左派的言辞を多く使いながらも、経済政策は法人税の引き下げや規制緩和政策にみるように、概して新自由主義を強化する方向に行ってしまった拙稿「参与政府の『左派新自由主義』経済政策」『創作と批評』2006年秋号。。こういった傾向は、何より韓米FTAの拙速な推進において極に達した。韓米FTAは、単に市場開放を通じた貿易拡大を目的にするものではなく、アメリカ式制度の移植を狙ったものである。政府は開放を通じて改革を駆動していくという論理を掲げているが、これこそまさに対外開放と内部改革の不均衡を極端なかたちで示しているのである。

 

5.おわりに

外為危機以後に推進された経済改革の結果、韓国経済に深刻な変化が到来したのは明らかである。過去に比べてはるかに市場中心的な経済になったのだ。しかし、改革が新たな発展モデルに対する社会的合意と、一貫した青写真のもとで徹底的に進められることはなかったし、政治経済的状況に左右され千鳥足で歩みをすすめてきた。だから今なお官統治金融と財閥体制という遺制がかなりの部分残っているのはもちろん、新しい発展モデルの出現も遥か遠い。

成長動力を強化しながらも両極化を乗り越えることができる新しい発展モデルが、切実に要求されている。筆者はその核心について、人的資本と科学技術に対する投資を通じた知識の蓄積が成長を牽引すると考えている拙稿「知識経済」(未発表原稿、2007年)。。この知識経済においては、合理的な市場の機能をいかすことも重要だが、国家の責任の下ですべての個人が自分の能力を最大限開発し、力量を最大限発揮するように支援することが必須とされる。新自由主義に反対し、市場と競争自体にむやみに反対することも問題だが、毒素条項を計算してみもせずに無条件に韓米FTAに賛成するとか、公教育と福祉が不正の山になっている現状において「大きな市場、小さな政府」を掲げるなど、新自由主義あるいは市場万能主義的傾向へと流れることは、より一層危険である。新自由主義の最も先頭に立ったニュージーランドよりも、国家が先頭に立ち熱心に知識投資をしたフィンランドのほうが、より高い競争力をもち、グローバル化に上手く対応しているという点を肝に銘じよう。50年の間、ただの一人も整理解雇をしていないトヨタ自動車が世界最高の競争力と収益性を誇るということにも注目する必要がある。

グローバル化は持続していくだろうが、新自由主義的グローバル化はすでに退潮局面に入っている。市場を拡大しながらも、市場を馴致するような、もう少し民主的に管理できるグローバル化が、今後の大きな流れとなるだろう。また、この流れが知識経済時代に競争力を高めるための基盤になるだろう。わが国がグローバル化に対して能動的に対応していくにあたって新自由主義的方向に走りぬけるとするなら、これは致命的な失敗になるだろう。 (*)

 

 

 

訳 金友子

 

季刊 創作と批評 2007年 秋号(通卷137号)
2007年9月1日 発行
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