キャンドルの経済学:韓半島経済のミクロな基礎

特集 | 李明博政府、このまま5年を続けるのか

 

 
 

李日榮(イ・イルヨン) ilee@hs.ac.kr

韓神大国際学部教授、経済学。近著として『韓半島経済論』(共著)、『中国農業、東アジアへの圧縮』などがある。

 

 

 

1. 力動性と無秩序

 
よく韓国社会の特徴を「力動性」という。2007年の大統領選挙と2008年の総選挙で李明博政府は連戦連勝したが、その直後アメリカ産牛肉の再輸入によって触発された「キャンドル集会」は大衆の地力と政権の無能を劇的に対比して示した。占領軍のようだった執権勢力はコンテナーボックスで巡らされた「お城」の中で籠城するみすぼらしい姿に転落したし、街頭政治の大衆は「集団知性」として褒め称えられたりもした。

しかし力動性のもう一つの顔は「無秩序」でもある。動態的に変化する環境で新しくて進取的な経済「秩序」を形成することは、一つの社会における最も大事な課題に当たる。しかしわれわれは無秩序が続いたり、広げられるという不安のもとに置かれている。経済史学者たちが指摘するように、無秩序は不確実性を高め、社会構成員の殆どを敗北者にする。秩序は長期経済成長の必要条件であり、民主主義の必要条件でもある。Douglass C. North著、趙錫坤訳『経済変化過程に関する新たな理解』、ヘナム、2007、第8章。 われわれに秩序を作る能力があるか。進歩改革陣営も「李明博と反対に」だけやればそれでいいのか。

二つの選挙を経ながら進歩改革勢力は新しい秩序に対するビジョンを全く争点化し得なかった。それもキャンドル集会を通じて民主主義の悪化をある程度阻止したといえる。その意味で「国民はもう勝利した」という宣言には深く共感するが、その勝利を深めるためにわれわれが何をすべきかという課題は相変わらず残っている。キャンドルの日常化・持続化・制度化は当然議論されるべきだが、李南周「「街頭の政治」、非正常と逸脱ではない」、『創批週間論評』2008.6.18; 金鍾曄 「キャンドルの行くべき道」、『創批週間論評』2008.7.9.それだけではわれわれが目標として目指そうとする秩序の姿が明確には見えてこない。

だとしたら、この時点でまず力を入れるべき課題は何なのか。それはわれわれが志向する秩序の基本要素を具体化することである。アメリカ産牛肉の再輸入問題はキャンドル集会を触発し、資源配分に影響を及ぼす事件へと発展したが、キャンドル集会で南北問題・労働問題に対する議題が直接提議されることはなかった。しかし新しい力はガバナンス、または組織の形で凝縮して、次いで南北問題・労働問題など制度環境を新しく構築する問題にも影響を及ぼすだろう。キャンドルの力は色んな次元の経路を経て「韓半島(朝鮮半島)経済」に働きかけるだろうが、ここではキャンドルを前後とした資源配分と経済組織の変化方向を検討して、朝鮮半島経済の微視経済学的な議論を試みようと思う。筆者と筆者の同僚たちは以前、われわれが新たに形成すべき秩序として「韓半島(朝鮮半島)経済論」を提議したことがある。私たちの問題意識は、これまでの一国主義的・階級主義的な展望は現実に合わないので、国民国家とその下の地域、民族国家そして国民国家を超える地域を共に含む複合的共同体を想像してみようというものであった(韓半島社会経済研究会『韓半島経済論』、創批2007、「はじめに」参照)。これに対して徐東晩(ソ・ドンマン)は細密な検討を行ってくれた。何より痛烈だったのは、われわれの作業が「韓半島経済論」というブランドを前面に掲げるほど、理論的体系や認識的前提を備えているかという点であった(徐東晩「代案体制の模索と「韓半島経済」」、『創作と批評』2007年秋号)。この指摘を謙虚に受け入れる。すべての理論は未熟なところから出発して発展するのだが、発展の各段階を超えていくためには厳格な公式化と経験的検証を経なければならないし、途中で脱落する非公式理論(informal theory)が数多い。「韓半島経済論」も意欲的にスタートした段階にあるが、差し当たりの課題は微視的基礎を設けることだと思う。

 

2. キャンドルの背景: スタグフレーション(stagflation)

 

李明博政府の信条は、規制緩和、公企業の民営化など、市場親和的な措置を取ると、成長と雇用に肯定的な効果が産み出されるといったものである。しかし制度と政策を転換するには時間と費用が費やされ、これだけで必ずしも投資の増大など即時に資源配分の効果が現れるのではない。韓国の成長段階を見るとき、投入材の増大による成長効果はもう制限的であり、技術および制度革新による生産性増大が問題となる時点である。これは国民経済の次元であれ地域経済の次元であれ同じである。そのような点で行政首都移転や大運河建設のような外延的投入による開発プロジェクトは、成長効果より副作用がずっと大きい可能性が高い。

大統領選挙の局面で綿密に認識されなかったが、去年からより直接的に資源配分に影響を及ぼす要因が登場した。石油と食糧など原資材の価格が上昇しつづけたし、アメリカで触発された世界的次元の遊動性過剰と金融市場の不安が問題となる状況であった。これにより、世界的次元で物価上昇、消費減少、景気沈滞、雇用不安へとつながる悪循環が繰り広げられる可能性が高まってきた。このような条件では無理な成長政策より物価安定を優先視するしかないが、これに必要な金利引き上げ、財政引締めなど、政策手段を動員すると、ある程度の成長停滞は耐え忍ぶしかない。

それにも関わらず、李明博政府は成長至上主義に偏って危機管理を怠って、物価上昇と景気沈滞が結びついたスタグフレーションの危険をもたらしてしまった。不確実性の黒雲が立ち込めた条件の中で、李明博政府は「747」というでたらめな航空機を浮かべようとした。年間7%成長、一人当たりの所得4万ドル、世界7代強国を達成するというものであるが、殆どの研究結果でいくら楽観的なシナリオであっても潜在成長率が6%以下と計測されたので、少なくとも専門家たちの間では最初から荒唐無稽な目標だという合意があったといえる。不幸か幸いか李明博政府の先進化戦略の経済的目標値は、現実ですぐ崩れてしまった。分期対比成長率を見ると、2007年の3分期が1.5%、4分期が1.6%だったが、2008年の1分期が0.8%、2分期が0.8%で下がったし、下半期にはより悪くなると予測されている。他の経済指標も外国為替危機以来、最悪である。2008年6月の消費者物価は5.5%上昇して外国為替危機以後、最高値に達したし、10年間黒字を示した経常収支も2008年は赤字に変わることが確実となった。

インフレーションと景気沈滞は朝鮮半島の民衆の生活に影を落している。急速に上がる物価と実質所得の減少のため、生計費関連の労働ストライキは増えるしかない。貨物連帯のストライキにおいても克明に現れたが、社会的妥協能力が限られて弾力的な価格調整が遅れることによって、それと関わる社会経済的費用が大幅に増加する展望である。また物価上昇の効果は集団別、階層別で非対称的に現れることになっているが、交渉能力の弱い非正規職労働者、中小企業に負担が押し付けられる可能性が高い。通常的に物価上昇は債務者に利益をもたらすが、不動産に偏った資産所有の構造のもとで資産価格が下落し、不動産の貸し出し金利が急騰する場合、相当数の中産層が打撃を被るだろう。

北朝鮮でも食糧難が加重されている。2007年に発生した何回の水害によって穀物生産量が減ったし、国際食糧価格が急上昇して食糧輸入量と国際社会の資源物量が少なくなった。チャンマダン(市場)での食糧価格が1年間で3倍以上上昇して、下流層ではもう「苦難の行軍」が再び始まったという。ところが、李明博政府は執権するやいなや食糧と肥料支援を中止した。韓国は2000年代に入って毎年40~50万トンの食糧を北朝鮮に支援してきたが、これを「実益もなしにあげすぎた」と規定したのである。しかし予想とは違ってアメリカと北朝鮮の間に核問題と関わる対話が急速に進んだ。6者会談が急進展され、アメリカが対北食糧支援を決定すると、李明博政府は遅れて支援再開の意思を北朝鮮に伝えたが、北朝鮮はこれを一蹴した。世界的レベルでのインフレーションと、南北当局の綱引きの狭間で北朝鮮住民の苦痛は加重されている。「よい友達」(www.goodfriends.or.kr)は、2008年4月末以後、黄海南北道の地域を中心に江原道、平安南北道、両江道、慈江道地域などで餓死者が出たという便りを伝えた。それによると、少なくとも北朝鮮人口の半分ほどの1千万名が深刻な食糧難に喘いでおり、その中で3百万名以上の脆弱階層が草粥で延命していて、今すぐでも餓死につながるほどの栄養失調の状態にあるという。『今日の北朝鮮消息』169号、2008.7.17.

 

3. キャンドルの動力: 情報経済の拡大と消費者の進出

 

10代青少年たちの問題提議で始まったアメリカ産牛肉の輸入反対のキャンドル集会が二ヶ月を超えて続くうちに、その規模と内容すべてが1987年の6月抗争や2004年の弾劾反対デモを超えた。キャンドル集会の意味については代議制か直接民主主義かという争点が最も際立って提議された。しかしキャンドル集会がゲームの公式規則、すなわち制度環境を変更するところまで影響を及ぼすかを判断するにはまだ時期が早い。差し当たりはより直接的な資源配分上の効果が生じていることが指摘できる。もちろんこれは断絶的な流れではなく、連続的な過程であるが、キャンドル集会を前後として情報の流れの量的拡大と質的改善がなされている。

問題は不実な通商協商から始まったが、知識と情報の流通量と流通経路に無知な執権勢力、官僚集団、保守言論が力を入れることによって状況が悪化した。すでに以前からイーメール、FTP(個人間ファイル転送のプロトコル、File Transfer Protocol)、ニュースグループなど、多様なインターネット手段がウェブで統合されながら、コミュニケーションの総量が暴騰したし、ウェブと結びついた新しい個人メディアの出現で政治と経済の全過程で大衆と消費者たちの声が大きくなっていた。このような現象をアルビン・トフラー(A.Toffler)は「プロシューマー」(prosumer)で(『富の未来』)、エバン・シュワルツ(E.I.Schwartz)はウェボノミクス(webonomics)という表現で概念化した(『ウェブ経済学』Webonomics)。このような条件でキャンドル集会を中心に牛肉の安全性の問題に関する情報の流れは、劇的に拡大された。初期には女性と中高校生の役割が大きかったが、この問題が一応消費者の議題として整えられるや否や広範な消費者たちが情報の流れに早いスピードで結集した。キャンドル集会で敏感に扱われた問題ら、例えばアメリカ産牛肉の輸入、0コマ復活、水道・医療民営化などはすべて消費者議題と関わるものである。消費者運動の性格が強かったため、非正規職、公企業民営化、韓米FTA、北朝鮮の食糧難などの問題は真正面から取り上げられにくかった。

このように情報の主導権が大衆と消費者へと移動しているにも関わらず、政府や保守言論は過去の慣性通り、自分たちのメッセージを大衆に一方的に強いようと試みた。インターネットに基づいたファンクラブの支援で出帆した盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府も執権後期にはこのような態度を示したが、国民との双方向的コミュニケーションの中断が民心に逆らうこととなった重要な要因である。執権勢力と保守言論は「科学」の名で大衆を啓蒙しようとして状況を悪化しつづけた。

人獣共通の伝染病、化学添加物、環境汚染物質などによって誘発される疾患は、その危害が慢性的で致命的であるが、これらが問題視され始めたのは最近のことである。慢性疾患が人体に及ぼす危険を評価し、安全を確保するための科学的知識と規制措置は、急性疾患とは違ってまだ十分に明らかにされていない。なので狂牛病を起こす特定の危険部位に対する立場も、専門家たちの間で、そして国際獣疫事務局(OIE)、アメリカ、EU、日本でそれぞれ異なって現れるのも至極当たり前である。ヤン・ビョンウ「食品安全性の危機: アメリカ産牛肉波動の本質」、GS&J インスティテュート、2008.5.28. 結局、狂牛病はもちろん、多くの食品安全関連の事案がまだ「科学的知識」の次元で判断できない問題であり、却って「個性的・局地的知識」「集合的・暗黙的知識」に当たるものである。安全性とは科学技術の発達と消費者が許容する危険の範囲により変化する可変的な概念で、政府や言論が教えたり、強いる問題ではない。

政府や保守言論はアメリカ産牛肉に対する憂慮を「蒙昧」なものと非難したが、経済理論ではむしろその反対だといえる。経済主体は完璧な存在ではないが、その行為の背景を綿密に見てみると、ある程度それなりの理由があるのである。人間は制限的だが合理的な存在なのである。人間の合理性が制限的になる重要な理由の一つが「情報の非対称性」である。個人の持った情報は完全でも均一でもないので、市場は不完全となり、これを克服しようとする努力が市場の外側から現れてくるのである。牛肉に対する消費者たちの反応もまた、このような情報の次元で理解し説明できる。

現時点の科学的知識の水準のため、食品の安全性に対する情報は十分に供給されない場合が多く、この場合市場は消費者が望む水準より低い水準の安全性を供給する傾向になる。この際、消費者は恰も中古車市場におけるそれと同じように、市場に悪い商品が出るだろうと認識することになる。そこで消費者は食品の安全性により敏感となり、関連のある食品の需要を減らすことになる。狂牛病の憂慮が提議されている牛肉の場合、「逆選択」による市場の失敗を防ぐためには、輸入産はもちろん、国内産にも全数調査を施して品質を保証すべきである。情報の非対称性のため「逆選択」(adverse selection)が起こる事例は中古車市場が典型的である。新車の品質は一定の水準で統制されているが、中古車の品質は千差万別である。中古車を売る人は買う人よりその車に対するより多くの情報を持っている。中古車に欠点があるのにそれを購買者が知らない場合、中古車の品質は購買者が望む水準より低くなる。結果的に市場には品質の悪い車が多くなって、購買者は品質の低い車を選ぶことになる。GeorgeA. Akerlof,“The Market for ‘Lemons’:Quality Uncertainty and the Market Mechanism,” Quarterly Journal of Economics, Vol.84, No.3 (1970).ある意味でキャンドルは市場の失敗を防ぐための制度的装置を求めているのである。

自由主義の擁護者であるハイエク(F.A.Hayek)は、かつて経済体制における知識利用の重要性を次のように強調したことがある。「知識は分散されており、不完全でしばしば矛盾的である。(…) 社会の経済問題が主に時空間の特定な環境変化に迅速に適応する問題だということにわれわれが同意するとしたら、最終的な意思決定権はその環境に慣れている人々に任されるべきである。(…) われわれは分権化の一つの形態でこの問題を解くべきである。」F.A.Hayek,“The Use of Knowledge in Society,” American Economic Review, Vol.35, No.4 (1945), 519~20頁.ところが、執権勢力と保守言論はどうしたか。これとは反対に語り、行動した。

キャンドル集会の展開様相を見る際、確かに情報の流れの拡大は分権化した意志決定の費用を大幅に下げ、力として働いている。分権化は分散した知識をより上手に利用することを助け、下部単位の意思決定の能力を向上させるが、情報化と消費者経済の拡大はこのような分権化の利点をより増大させる。もちろん分権化が万能ではない。意思決定が分散すると、それに伴い決定主体の機会主義的行動が増える傾向があり、色んな意思決定を互いに調整しなければならない問題が生じるし、中央で持っている情報を効率的に用いにくくなる。従ってすべての社会構成が意思決定に直接参加することが必ずしも正しくはないし、適切な程度の分権化の水準が存在することとなる。ところで情報経済の拡大と消費者の進出は、分権化の水準をもう少し高めることが有利になるほうへと経済組織・制度に圧力を掛けている。

 

4. キャンドル以後の経済組織の問題

 

キャンドル集会は規模と持続性、進行方式の新しさなどで非常に驚くに値する出来事であったが、キャンドル集会で扱われなかったり、外されたイシューも多かった。「街頭の政治」は生動感のある日常の議題を上手に扱える生活政治の現場であるが、憲法、政党、財産権、南北関係、労働問題など制度環境を構築する長期的課題を扱うには適していない。なので街頭政治か制度政治かといったふうに問題の枠を組むよりは、日常と制度の中間水準に存在する多様な社会経済組織の問題に注目することが議論を生産的に導くことだと思う。組織(organization)は日常の議題を内部化しながら、それを新しい制度環境の構築という課題と結びつける微視的単位である。

経済組織という側面から見ると、キャンドル集会または進歩改革陣営の問題提議の水準はまだ始まりの段階にあるといえる。キャンドル集会の過程で狂牛病国民対策会議は牛肉問題の他に、5代議題、つまり医療および公企業の民営化、物産業の私有化、教育、大運河、公営放送の問題などを公論化した。すべて容易くは解きにくいものだが、その中でも公企業の民営化は経済体制を構成する基本組織をどう組むべきかというガバナンス問題として日常の議題が複雑に交差する事案である。

李明博政府は公企業の改革法案として売却と統廃合を推し進めることが基本方針だと示したが、現在としてはガバナンス再構造化のための精密な準備が整っているとは見えない。巨視経済上における危機管理にも無能を露にしている政府システムを考えると、より緻密な準備が必要な公企業民営化を拙速で片付ける可能性が高いと思われる。

こうなると、社会的効率性が増大するどころか、公有資産の私的侵奪へと帰結してしまうだろう。不確実性の高まっている巨視経済の与件の中で無理に公企業子会社と公的資金が投入された企業の政府保有の持ち分を市場に売却する場合、株式市場に衝撃を与え、市場インフラを弱化させるおそれがある。何はともあれキャンドル集会の力は水道、電気、道路、ガス、健康保険など物価上昇、消費者利益と直結される公共部門の民営化に対して政府が国民の世論に注目しなければならなくした。

ここでもう一つ注意しなければならないことは、公企業民営化の本質を新自由主義または市場万能主義と規定してはならないということである。繰り返すと、民営化反対――この言葉を「私有化反対」と変えても同じである――が進歩改革運動の目指す絶対的目標とはなれないということである。公企業か私企業かは特定の財貨とサービスを供給するにどんな組織形態が効果的な経済組織かという問題として接近すべきである。

ガバナンス構造としての企業の長所は、チーム作業で生じうる怠慢を監督するメカニズムが設けられているという点である。企業は精密な監督のために長期にわたって取引を安定させる契約であるが、このため一回的な市場取引よりインセンティブの集中性は相対的に減少し、組織を運営する官僚制の費用負担が生じる。このような企業ガバナンスの短所は公的官僚ではもっと大きくなるのだから、基本的に公的官僚は一番最後になってこそ選択できる組織形態である。原論的に言うと、市場を試みて、不完全な長期契約を試みて、企業を試みて、規制をやってみてから、このすべてが適切ではないと判断される時に公的官僚に資源を配分すべきなのである。もちろん特定の取引では公的官僚がこれを調整するのがより適切な場合もあるが、これが「使いすぎ」にならないようにする必要がある。必ずしも「国家」のみが「計画」の機能を遂行するのではない。「国家」社会主義は計画を効果的に遂行できる体制ではなかったし、官僚制の費用が莫大な組織形態だったといえる。また福祉「国家」もそれぞれの具体的な事情に基づいて体制の効率性を図るべきである。財政政策の効果が相当制限的だという合意がなされている時点で「大きい政府」「増税」談論が必ずしも進歩的な主張だとはいえない。経済安定性をより重視し、「適切な規模の政府」「ぜひ必要なだけの税金」を運営することが基本方向となるべきである。

民営化問題は韓国でも重要であるが、国有部門の比重が圧倒的な北朝鮮の場合を考えると、経済組織形態の選択は他の何よりも決定的であり、核心的な問題である。朝鮮半島経済の次元から見ると、民営化は選択可能な一つの方案であって、それを万能だと考えてはならないという点もまた明らかである。旧社会主義国家の移行の経験を見てみると、民営化政策の短期効果は非常に多様な形で現れている。民営化が必ず企業組織形態の改善へとつながるという因果関係は、さらに立証しにくい。Peter Murrell, “Institutions and Firms in Transition Economies,” Claude Ménard and Mary Shirley, eds., Handbook of New Institutional Economics, Springer 2005.

北朝鮮では官僚制による資源配分が適切でない場合が多いので、ある程度民営化を通じて組織形態を再配列することは避けられない。ただし民営化するといって効果的な支配構造が即時作られるのではないという点にも注目すべきである。民営化がすべての問題を解決するという論理に執着しなければ、そして朝鮮半島の次元から眺めると、無理で拙速的な政策執行が莫大な危険を齎すかもしれないという点が認識できるだろう。だとしたら、改革はより注意深く緩慢に描いて微視的に進めるべきである。変化と移行の時期にわれわれが必ず念頭に置くべき点は、急がないで慎重であるべきだということである。

 

5. 新しい経済組織の発展可能性

 

古典的企業や株式会社のような投資者所有の企業は、協業と分業を遂行するために人類が発明した非常に優れた組織形態と評価される。一角では株式会社のモデルが株主の利益のみを追い求めるものだと批判したりもするが、これが必ずしも適切な批判だとは言えない。株主は自分の利益を極大化しようとする目標のもとで、異なる利害当事者たちと契約を結び彼らに収益を提供する。株主を含めて労働者、下請け会社、消費者、地域社会など様々な利害関係者たちの利益と欲求を満たすことを目標とする利害関係者モデルが提案されたりもするが、まだ色んな関係者たちの利害関係が調整できるメカニズムは理論化されていない。 しかし投資者所有の企業のみが存在可能な唯一の組織形態ではないし、現実では市場と企業の間に色んな形態の混合型組織(hybrid organization)も多様に展開している。むしろ現実の趨勢は社会が複雑になるにつれて契約の形態が多様となり、一元化した所有制の構造から脱皮する傾向が強いといえる。例えば、下請け契約、供給チェーンや流通チャンネルなど企業ネットワーク、フランチャイジング、集団商標、パートナーシップ、協同組合、企業同盟など混合型組織が拡大されている。

この中でも企業に対する社会的要求を充足させうる組織形態として協同組合に注目する必要がある。協同組合は投資者ではない生産者―消費者が所有者である組織形態で、生産者―所有者は持ち分を投資するが、残余所得は後援の原理または組合活動に基づいて分配される。協同組合は「曖昧に定義された財産権」のためインセンティブの問題を生じさせ、これは協同組合組織の運営費用を大きく増やしたりもする。しかし生産者と組織との間の「情報の非対称性」「信頼」の側面では協同組合が投資者所有の企業より優れている。MichaelE.Sykuta and MichaelL.Cook,“A New Institutional Economics Approach to Contract and Cooperatives,” American Journal of Agricultural Economics, Vol.83, No.5 (2001), 1272∼74頁.

経済組織の形態を決定するには資産特殊性、取引頻度、不確実性など色んな要因が関わっている。その中で資産特殊性が重要な要因であるが、経済主体らが共に投資した場合、その投資の特殊性が大きいほど、機会主義的行動の発生する危険が大きくなり、統制の形態もより細かくなる。また不確実性が大きいほど、機会主義の危険も大きくなり、より集権化した調整形態が現れることとなる。Claude Ménard, “The Economics of Hybrid Organization,” Journal of Institutional and Theoretical Economics, Vol.160,  No.3 (2004). 協同組合など混合型組織は企業形態より統制の程度は低く自立の程度は高い。消費者の要求は企業や農場が食品安全性により多い資源を配分するように推し進めるインセンティブとなる。このためアメリカとヨーロッパでは長期契約と、認証された安全システムが幅広く導入されているのである。

現在、朝鮮半島では品質と安全に対する消費者の要求は大きくなる一方で、経済統合の趨勢に沿う経済組織の次元における準備と対応が必要な状況である。このような環境変化は協同組合の持った「信頼」の強みが発揮されうる条件だといえる。もちろん協同組合内部的には監督を強化できる、より集中化した調整形態を発展させて、組織の取引費用を下げるという課題が与えられている。

消費者の高まった影響力は、投資者所有の企業の運営方式を一定に変化させうる。キャンドル集会の進行過程で牛肉問題を超えてより普遍的な消費者運動へと発展する可能性が現れたことは意味深い。消費者たちはアメリカ産牛肉を擁護した保守新聞に対する反対運動を繰り広げたし、その結果、その新聞の購読率は落ちて広告収益も大幅に減少したと知られている。消費者運動が堅固な言論市場の独占と寡占の構造を脅かしているのである。

消費者運動が活性化し制度化されると、「企業の社会的責任」に対する圧力になれる。企業の社会的責任とは、「企業が共同体の一員として公共の利益と様々な利害関係者を積極的に考慮すること」と定義できるが、企業に財務的利益と共に社会的・環境的責任を追い求めるよう要請することである。それによって各経済主体間の牽制と均衡を通じて政府が効率的に遂行しにくい各種の規制や禁止事項を、企業が自発的に遂行するようにするのである。例えば、イギリスの雑誌『倫理的消費者』(EthicalConsumer)はアディダス、ロレアル、ウォルマートなどを不買運動のリストに載せた。その理由は多様であるが、アディダスは一部のサッカー靴の製造にカンガルーの皮を使うことで、ロレアルは化粧品開発の過程で動物実験を行うことで、ウォルマートは気候変化協約に反対するアメリカの共和党に多額の寄付をすることで不買運動の対象となった。イム・ハン「今なぜ「企業の社会的責任」なのか」、『企業の社会的責任と労働』、労働研究院、2007。 消費者運動は投資者所有の企業がまともに作動できる法治の制度環境を作ることに寄与する一方、投資者所有の企業のシステムがまともに作動するためには、非人格的取引と法治の制度環境が構築されるべきである。韓国でこのような課題の最大の難関は、財閥、特に三星グループであるが、便法相続、秘資金助成、行政・立法・司法など重要国家機関に対する全方位的ロビー活動と結託、労働組合の団結権の制約など法治蹂躙の行為に関する論難が続いている。 より社会的で進歩的な経済形態を組織しうる目覚めた市民を形成する動力となりうる。柄谷行人は独特の論法で消費者の意味を主張する。彼は消費者運動の現実的能力を過大評価しているが、その重要性に対する問題意識は価値がある。それによると、生産領域で労働者は経営者のような意識を持ち特殊な利害意識から逃れにくい。生産過程における労働者は資本に従属的でしかなく普遍的でありえないということである。しかし労働者が流通の場に立ち入る際は消費者となるが、ここでは資本より優越な立場に立つこととなる。生産過程でのプロレタリア闘争は資本の優位に立ち得ないが、流通過程でのプロレタリア闘争、すなわちボイコットのような非暴力的で合法的な闘争に資本は対抗できないということである。柄谷行人、チョ・ヨンイル訳、『世界共和国へ』、図書出版b、2008、158∼62頁。

消費者運動はまた社会的企業(social business)の形態として発展し組織されることもありうる。社会的企業は既存の投資者所有の企業と組織構造は同一であるが、利潤極大化の代わりに社会的恵沢優先の原則で運営される企業である。すなわち社会的企業は投資資金を回収する権利のある所有者を持っているが、彼らに提供する収益を最大限蓄えようと努める代わりに、貧困退治など社会的目標を追い求める非損失・非配当企業なのである。ムハマド・ユヌス著、キム・テフン訳『貧困のない世界のために』、ムルプレ、2008、第2章。

朝鮮半島経済に与えられた課題は、経済の統合過程で効率化と格差解消を同時に進めることである。このためには南北の経済組織に力動的な相互変化が起こるべきであり、様々な組織形態が創意的な役割を遂行しなければならない。投資者所有の企業と国家が貧困と環境問題に影響を及ぼすには限界がありうる。このような問題に対応するための組織形態として協同組合、企業の社会的責任、社会的企業など多様な実験が試みられる必要がある。

 

6.進歩的中道主義の経済体制

 

盧武鉉政府の退場と李明博政府の執権は、進歩改革勢力が新しい「秩序」を形成するに失敗したことを語った。しかし今も繰り返される李明博政府の失政と、それによるキャンドル集会の抗議は、保守勢力も「無秩序」の状況を収拾する能力のないことを公示している。

ここで意味深いのは情報経済の拡大と消費者の進出現象である。これは新しい「秩序」、つまり新しい組織と制度を形成する影響力が蓄積されていることを示す。消費者たちの間でなされるコミュニケーションの量と質が急速に増大しているが、これは組織内における分権化水準をより高めるのが有利な方へと費用構造を変化させている。安全に対する消費者の要求増加は組織内外の情報疎通、すなわち「信頼」を増大させるに容易な組織形態を選好するよう資源配分を変化させている。資源配分上の変化は、経済組織の新しい「秩序」を形成する――必ずしも充分条件になるのではないが――必要条件を作っているといえる。

それでは新しい秩序は具体的にどのような姿であろうか。筆者はそれは市場、企業そしてその間にある混合型組織らが共存することだと思う。北朝鮮では今よりもっと市場と企業の組織形態を発展させるべきであり、韓国では今よりずっと混合型組織形態の比重を高めてその中で協同組合、企業の社会的責任、社会的企業が明確な役割を担うようにすべきである。これは市場や企業のある一つの形態が極端的に支配する一元化した状態ではなく、多様な条件で多様な組織形態が共存する状態を意味する。筆者はこれを「中道」の経済といいたい。金鍾哲(キム・ジョンチョル)は新しい秩序を「農的循環社会」として、そしてその要素を「小農あるいは生産者連合体」と規定した(金鍾哲「民主主義、成長論理、農的循環社会」、『創作と批評』2008年春号)。小農と生産者連合体はすべて混合型経済組織に当たる。しかしこの二つの組織形態が作動する原理は非常に異なるといえる。小農は自分の直接的監督で、生産者連合体――これは協同組合として表現できる――は自分の意思による自由の返納とそれに基づいた組織的監督でインセンティブ問題を解決する。小農に基づいた農的循環社会は経済の複雑化現象に対応できないので持続可能ではない。

新しい秩序はどのような方式で作られうるのか。歴史上ごく例外的な場合を除く、殆どの変化は、漸進的で累積的に進行し過去に制約されている。そしてそのような変化は唯一の均衡点に向かうものではなくて、常に複数の経路があるようになっている。従って「進歩」を事前に決まった唯一の経路を目的論的に目指すことだと見なしてはならない。人間と社会は絶え間なく新しく変わる世界の中で試行錯誤を経る実験、作用と反作用を含む適応を通じてこそ、冷酷で無慈悲な経路から逃れうる。そのような点でわれわれは「進歩」を「進化」の意味として理解できる。ダーウィンの進化論はしばしば無限競争の論理を正当化するものとして理解されてきたが、進化論は必ずしも利他主義の限界を設定するものではない。むしろ進化論を新しく構成する場合、左派が早くから夢見てきたユートピアを冷徹な現実的ビジョンに代替できる。ピーター・シンガ著、チェ・ジョンギュ訳『ダーウィンの返事1-変わらない人間の本性はあるか』、イウム、2007参照。

体制を構成する行為者たちには、綺麗で品のある貧しさへの欲求もあるが、荘厳と栄華に対する欲望も重要な本能である。彼らは時には利他的になることもあるが、多くの場合利己的であるから、新しい体制へ進む別の近道がありそうにない。適応に作用する二つの力、すなわち環境に適応しようとする力と環境を変化させようとする力は、朝鮮半島経済の中でも作用するだろう。これと関わって白樂晴(ベク・ナクチョン)は「南北の漸進的統合過程と連係した総体的改革の時代」における「進歩」を「変革的中道主義」と規定したことがある。つまり分断体制の克服を目指すという点で「変革的」であり、広範囲な大衆が参加する漸進的過程であるべきだという点で「中道主義」が避けられないということである。白樂晴『韓半島式統一、現在進行形』、創批、2006、31頁; 白樂晴「近代韓国の二重課題とエコロジー談論」、『創作と批評』2008年夏号、462∼63頁。

筆者はこのような「変革」と「中道」の課題実行における重要な微視的基礎が「中道的=混合的」経済組織であり、これは経済主体たちの「進歩=進化」の過程を通じて形成されると思う。従って筆者は「南北の経済統合と総体的改革を遂行する組織・制度を、漸進的で持続的に形成する傾向性」、それを「進歩的中道主義の経済体制」と呼びたい。(*)
訳=辛承模
季刊 創作と批評 2008年 秋号(通卷141号)
2008年9月1日 発行

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