文学とは何かを問い直すこと : キャンドルと世界的経済危機の2008年を振り返る

特集 | 文学とは何か 
 
 
 

白樂晴(ベク・ナッチョン) paiknc@snu.ac.kr

文学評論家、ソウル大名誉教授。最近の著書に『統一時代、韓国文学の価値』、『朝鮮半島の平和と統一』岩波書店)、『白楽晴会話録』(全5巻)などがある。

 

 

 

キャンドルと韓国文学

2008年の夏のキャンドルデモのなかで、文学の役割はそれほど目立たなかった。多くの文人が個別的にまたは韓国作家会議の旗を掲げてデモに参加し、蝋燭をテーマにした作品の発表も少なくなかった。しかし、数万ないし数十万の群衆の中にあって文人の参加は特別に目立つようなものではなく、大衆集会に比較的合うジャンルである詩も、2000年6月の南北首脳会談の現場で紡ぎだされた高銀(コ・ウン)の「大同江(テドンガン)の前で」といった記念碑的作品はなかったようである。

しかしここで、祝祭とデモの現場において文学がいかなる直接的な役割を果たしたのかと問うことによって、韓国文学の生命力を選り分けようとしているわけではない。キャンドルデモにおける文学の役割については詩人・李文宰(イ・ムンジェ)の指摘と自省が傾聴に値する。「私たちが見逃している重要なことが一つあります。今回のキャンドルデモを最初に提案したのが、文芸創作科4年生の女学生です。そして最初の連行者も文芸創作科の学生であり、アゴラ〔インターネットサイト「ダウム」内にある討論掲示板。キャンドルデモについての討論が活発に行われた〕の代表論客の一人も詩人志望者だといわれています。とすると、キャンドルデモに文学がなかったわけではないのです。時代の流れを先読みする文学的感受性は厳然と生きていると考えるべきではないでしょうか? 問題は、私も含めて「既成世代」の安逸さではないかと思います。文学に安住する文学だと言ってもいいかもしれません。」沈甫宣・李玄雨・呉銀・李文宰座談「‘キャンドル’は問いである」『文学トンネ』2008年秋号、44ページ。 ただ「キャンドル」が世界的でも類例のない事態であったと同時に韓国社会の体質を変えてしまった一大事件だとするなら、キャンドルの精神に合った文学をどれだけ生産してきており、今後いかなる文学を創っていくのかが、文学の生命力を見定める一つの判断基準となるであろう。

読者の立場において、キャンドルデモの経験以前に書かれた作品を、それを経験した後に読むことにおいて、いかなる変化が起きたのかを考えることも一つ方法である。そのような見方で新しい作品を探し出すのは時間がかかるだろうが、以前から親しんできた作品も改めて見るべきところがあってしかるべきだろうからである。私の場合、たとえば金洙暎(キム・スヨン)の「絶望」(1965)の読み方が全く変わったわけではないが、キャンドルデモ以後、その詩がいっそう新鮮に感じられるようになった。

 

風景が 風景を反省しないように
カビがカビるのを反省しないように
夏が夏を反省しないように
速度が速度を反省しないように
拙劣と羞恥がそれら自らを反省しないように
風は別のところから来て
救援は予期しない瞬間に来て
絶望は最後までそれ自身を反省しない
−「絶望」 全文

 

この詩の妙味として「風は別のところから来て」という句節から窺える論理的で詩的な飛躍を挙げることができるのはもちろんだが、「絶望は最後までそれ自身を反省しない」という最終行における「最後まで」という単語の響きが、私には新鮮である。キャンドルデモの拡大直前まで「絶望」に安住していた知識人が多かったがゆえに、キャンドルが遠のいていくやいなや、再度その怒りの混じった絶望へと戻る活動家も少なくないからこそ、余計にそう思われる。また、反省しないものを並べる中で「コムパンイ(カビ)」を「コムパン(カビ)」に勝手に変えて詠じた第2行「カビがカビるのを反省しないように」がなければ、むしろ「拙劣と羞恥」をこと挙げた第5行があまりに素顔の「現実告発」になるところだった。いたずらっ気を交ぜて「コムパンイ」を「コムパン」と呼び出す詩人の軽さがあるからこそ、より正確に「絶望」という詩の真摯な声が伝わるのである。実際、キャンドルデモ以後、多くの読者が金洙暎のように真剣だが厳肅としておらず、溌剌としているが軽薄ではない文学に敏感になったのではないだろうか。

キャンドルデモは「広場」をめぐる議論をも新しい仕方で整理してくれた。2002年のワールドカップの応援とミソンとヒョスンの追悼デモ〔同年6月13日、2人の女子中学生が米軍の装甲車にひかれて死亡した〕が起こる前の時点で、高銀(コ・ウン)は「広場のイデオロギーは終わった」と宣言しつつも、「それぞれが帰って独りの蚕の家」の中に「愛するサイバーの中に」入り込んでしまった現実を嘆き、広場の復元を促した。

今 霧雨が降っている
誰も狂ってなんかないのに
霧雨が降って車が走り 閊えている
しかし旧友よ 覚えておくがいい
この広場が私たちの始まりだった いつも
    −「広場以後」最後の連より(高銀詩集『置き去りの詩』、創批、2002年)

 

ところが2008年のキャンドルデモは、サイバー世界を否定するというよりは、積極的に活用することで「蚕の家」から走り出て政権の生半可な独走に抵抗しつつも、そこで狂ってしまうのではなく茶化して祝祭を繰り広げる新たな広場を創り出したのである。このキャンドルデモに対して高銀自身は「韓国の蝋燭の灯は地球上の祝福です。私はあまりに慌惚とし、蝋燭の詩を一篇も書くことができませんでした」(高銀・李章旭対談「停泊しない詩精神、高銀文学50年」、『創作と批評』2008年秋号、200ページ)と述べている。重ねて言うが、すぐに蝋燭の詩を書いたかどうかよりも、「地球上の祝福」にふさわしい文学を生み出し享受することこそ、私たちの課題であろう。

 

 

文学が何だからって…

真摯な作家と読者諸氏はそのような作業をあちらこちらで進めるだろうが、近年の韓国文学が見せた支配的な諸傾向、特に文学言説の主流はそれと距離が遠い感がある。むしろ一般読者から見れば、一体文学が何だというから幾多の評論家が内輪だけで読んで理解して書くことに自足し、作家でさえかなりの数がそのような評論に言及されるための作品しか書かなくなったような印象を与えるかという疑問が呈されもする。これはキャンドル以前にも耳にした疑問だが、「キャンドルの勝利」で韓国社会の大きな転換が始まり、この勝利を守りとおし、完成させねばならないという問題が切実に課せられている現時点では、焦眉の関心事として浮上している。

状況と脈絡が変わったのだ。70年代に見られた厳粛主義が蝋燭との距離感を与えることもあるが、35年も前の昔に投げかけられた次の問いは、基本的には未だ有効だと思われる。「今日の韓国文壇では文学をするということがどれほど恐ろしいことになりうるかという考えはほとんど見られなくなり、文壇は民衆の現実と完全に隔離された世界であるという印象さえ漂っています。まさに『文学とは一体何であるがゆえにこのような横暴が許されるのか?』という疑問が、一般民衆の心中に広がらざるをえなくなった状況です」(拙稿「文学とは何か」(1973)、『人間解放の論理を探して』、詩人社、1979年、20ページ)。

もちろん、今日も幾多の文学論・詩論・小説論が「文学とは何か」を問い続けていると思われる。問題は、その多くが、ある正解をすでに前提したうえで出発しているか、簡単に正解にたどりついてしまうことである。しかし、この問いをきちんと問うなら、正解などない。一篇の作品が誕生するごとに文学の内実は変わるものであり、甚だしくは一人の読者が一つの作品をきちんと読む度に、すでに書かれている文学の内容も変わっていくと考えるのが正しい。そして、作家であれ読者であれ、時代の変化に伴い――特にキャンドルデモのような出来事を経験する時ならなおさら――文学に対する思考と感覚そのものに何らかの変化が起きるものである。こういった事情にもかかわらず、「文学とは何か」という問いを問うことを中断するなら、これは自らが到逹した、あるいは自分が知っていようといまいとどのみち他人が提出した不完全な返事に安住する結果になるしかない。

かといって、抽象的な問いとして「文学とは何か」を問い続けることもまた、別の安住の行為である。最終的な正解に達していなくとも、どのようなものが文学らしい文学で、どの作品が最もそれを彷彿させる作品なのかに対する具体的な探求を通じて遂行される問いでなければならないのである。拙稿「文学とは何か」もまた、先に引用した一節に続けて韓国の文学史と同時代文学について簡略に言及したうえで次のように結んだ。「これらの例は皆一つの出発点にすぎません。韓国の文学史に対する、より徹底的な探求と同時に、現役作家によってもっと素晴らしい作品が書かれることによってのみ持続することができ、また持続しなければならない課題です。そしてこの作業こそ「文学とは何か?」という問いをきちんと問う事と一致するものであり、歴史を問い歴史に対する自らの責任を問うことと切り離しては考えられないことなのです。/「文学とは何か?」これは確かに私たちが苦手とする問いであると同時に、私たち皆がその具体的実践を始めざるを得ない問いだといえます。」(21ページ)

1970年代に入って本格化した「民族文学」をめぐる議論も、その真意はこの問いの実行にあった。「文学が一体何だから……」という問いは、すなわち「民衆の現実が一体どのようなもので、今の時代がいかなる時代だから、文学に対してそのような問いを投げかけるのか」という問いと軌を一にしていたのであって、この二つの問いに同時に取り組みながら、その過程を作家または読者としての文学的実践を通じて押し進めようとすることが、当時の民族文学運動だった。もちろん、時代と社会現実に対する正解を容易に下したうえで、そこから文学に対する答えを演繹する傾向もあった。特に光州の惨劇を経験した80年代の切迫した状況のなかで「労動解放」「民族解放」「民衆的民族文学」といった各種の正解主義が民族文学論の名のもと盛んに論じられた。しかし「文学とは何か」をきちんと問おうとする初心を維持した民族文学論を完全に押し出すことはできなかった。

90年代中盤以後には、はじめから民族文学論の核心的な関心事だった朝鮮半島の分断という現実を「分断体制」という観点から理解する努力が成熟していったことによって、「民族文学」という枠組みが「文学とは何か」という問いを実践する際に大きな制約となるという認識が広く共有されるようになった。分断体制の克服が「民族問題」であることは明らかだが、これが同時に世界システムを変革する作業の一環であり、また、韓国社会内部の、とりわけ「民族的」というだけでは事足りない多くの矛盾を解決する改革と直結した事業であるほど、民族文学論の一定の相対化が不可避になったのだ。しかしこれは、民族文学論を提起した当初の初心を堅持したに過ぎず、民族文学の旗が前面にはためいていないからといって悲愴になる理由もなく、「文学とは何か」という問いとともに「歴史を問い、歴史に対する自らの責任を」同時に問おうとする民族文学論の初心など捨ててしまえと急き立てるのもおかしなことである。

 

 

「写実主義」再考

文学に対する問いと世界に対する問いの不可分性を力強く主張した一般理論といえるのは、民族文学論よりもリアリズム論の方である。もちろん、後者も「文学とは何か」という問いに対して稚拙な正解を提示することで、問いの履行を封じる理論と化すことが少なくなかった。代表的な例が、文学の本分は「客観的現実」を写実的に再現することだという「正解」を出した写実主義文学論だといえる。これに対峙して廉武雄(ヨム・ムウン)の「リアリズム論」(1974)をはじめとした韓国評壇の対応は「自然主義的模写論」(廉武雄評論集『民衆時代の文学』、創批、1979年、109ページ)と、これを止揚することで深まりを見せたリアリズムを分けて考える道に進んだ。前者を「写実主義」(あるいはルカーチのいう「自然主義」)、後者を「リアリズム」(または中国人たちの翻訳にしたがって「現実主義」)とするような区別の仕方もある程度一般化された。

私自身もこの区分を守り続けてきたが、最近は、果たしていつまで固守しとおせるか疑わしいくなる時がなくもない。両者の対比は、ルカーチなどのマルクス主義批評家が強調していたものであり、韓国の評壇でもかなり流通するようになった概念である。しかし学界では、写実主義以外のリアリズム概念を認めない欧米主流学界の用法が支配的であり、評壇の議論はこれに対してあまり影響力を及ぼせなかった。そのような中で、ソビエト社会主義圏の没落後、社会主義リアリズム言説の制度的基盤が失われたことにより「リアリズム=写実主義」という安易な等式の支配的位置は、確固たるものとなった。私個人の経験では、近年になって文学的同志だといえる論者たちでさえ、「リアリズム」を「写実主義」の意味で使っているのを目にしながら、ほとんど諦め状態に陥ったというのが事実である。しかし、その使用に対してさらなる慎重を期してなお、諦める気が全くないのは、「文学とは何か」という根本的な問いとも直結した問題意識まで捨て去ることはできないからである。黄鐘淵(ファン・ジョンヨン)との対話で私は次のような心境を吐露した事がある。「実はリアリズムの話が出ると私も頭が痛いです。(……)黄さんのおっしゃるように、むしろ「特殊な時代と文化に由来する特殊な文学慣習」と整理してしまう方が楽かもしれないとも思います。だから、19世紀のある時期に西欧で隆盛した文芸思潮としての写実主義として理解して忘れてしまうのです。ですが、写実主義とモダニズムとポストモダニズムがそれぞれ異なる方式で疎かにしている、文学における円満な現実認識と現実対応の問題まで忘れてしまうわけにはいきません。負担もあるし副作用も起こるでしょうが、このような問題提起を行う何らかの用語が必要だと思います。その点で「リアリズム」も「民族文学」と同じく、厳密な分析的概念というよりは論争的な概念です。論争の主軸を「写実主義」対「モダニズム」、あるいは「モダニズム」対「ポストモダニズム」のように設定する風潮に対抗して、そのように楽な方向に行くのが文学の道ではないと訴えかける一つの方法です。」黄鐘淵「韓国文学の価値について――文学評論家・白楽晴との対話」『創作と批評』2006年春号、300ページ〔ただし翻訳一部改変〕。

「写実主義」と「リアリズム」の区別が守られていないのは、それを使用する者の不注意や無知のためだけではない(もちろんそのような区別が存在するという事実さえ知らない学界関係者も意外に多いが!)。まず「写実主義」にあたる英語がまさにリアリズム(realism)であるうえに、たとえ真のリアリズムが写実主義的な規律に縛られているわけではないとしても、それが写実主義と格別の関係にある点も厳然としているからである。少なくとも近代の長編小説が発達する過程において、新たに展開される近代世界の核心的真実を掴みだそうとする努力は、現実世界に対する科学的・実証的認識を確保しようとする努力と不可分の関係にあった。世界システムの中心部ではこのような努力が科学主義・実証主義に固着することでむしろ円満な世界認識と創造的対応を阻害する状況に変わった後も、科学と実証の訓練を省略して、意味ある実験と創造が行われるのは今なお大変なことである。その上、世界システムの周辺部や半周辺部では、写実主義そのものがもつ実験性と創造性――すなわち真のリアリズムとしての生命力――が今も威力を発揮することが多い。ただ 「真のリアリズム」というのも 「文学とは何か」という問いに「総体的現実(または本質的真実)の再現」という正解を提供する立場に固着するなら、再度の解体〔脱構築〕と克服を要する形而上学的命題と化すことに留意せねばならないだろう。

とにかく、韓国文学の場合、少なくとも小説の分野では写実主義的な成果が突出している。もちろんこれは、韓国小説が多様性と豊かさの面で未だ力不足な点が多いということでもある。その意味で、写実主義の文法を破壊しようとするあらゆる実験は、尊重してこそ正しい。しかしリアリズムが古びたものになったという言説が盛んな今日にも、韓国文学の代表的な成果のうち、重鎮の世代に属する朴婉緒(パク・ワンソ)の『親切なボッキさん』(2007)から全成太(チョン・ソンテ)の『国境を越えること』(2005)、孔善玉(コン・ソノク)の『朗らか夜道』(2007)、鄭智我(チョン・ジア)の『春の光』(2008)、申京淑(シン・ギョンスク)の『母さんをお願い』(2008)と、新人の金愛燗(キム・エラン)の『唾が溜まる』(2007)、そして「青少年文学」に分類され本格的な批評的考慮から除かれがちな金呂玲(キム・リョリョン)の『ワンドゥギ』(2008)に至るまで、概して写実主義の伝統にルーツをもつ作品が目立つという点も見逃せない。

作品がいかに優れているかを云々する前に、作家が写実主義的な規律をむやみに破る問題点も、そのまま流してしまうわけにはいかない。「むやみに」破るということは、読者に客観的現実と大きく食い違わない展開を期待させ、正当な理由なく――作家の無知や誠意のなさ、そして時には行き過ぎた見栄によって――その期待に背く行為である。もちろん、一旦は写実主義的に物語が進むことを期待させておいたうえで、写実主義の慣行を破壊することによって読者の意表を突くような創作方法もあるだろう。しかし、その場合にも読者の意表を突くことで何をしようとしているのかが重要なのであって、写実主義的慣習に浸った読者を驚かせて揺さぶる啓蒙の作業なら、一、二回の試みで充分だ。反写実主義的な創作意図にかこつけて、恣意的な描写と叙事を繰り返す作法は、読者に対する初歩的な礼儀にも背くものだといえる。

しかし、このような初歩的な礼儀を超えた、別の次元もある。D・H・ロレンスは、人間のあらゆる表現形式の中でも長編小説の卓越さを主張したが、それは、作品の正直さを担保する装置を内に秘めたジャンルが長編小説であると考えたからである。

 

[長編小説以外の]他のメディアはほとんど嘘が可能だ。(……)詩やドラマでは何か庭先をきちんと掃きすぎてしまって、人間の言葉があまりに勝手に飛び回ようにほったらかしておく。しかし長編小説では、常に一匹の雄猫がいて、言葉の白鳩が気を付けなければ、鳩を襲ってしまう。踏み間違えれば滑るバナナの皮もある。また、垣根の中のどこかに便所があるという事実も、誰もが知っている。これらすべてのものが均衡を維持するのに役立っている。D. H. Lawrence. “The Novel,” Study of Thomas Hardy and Other Essays、ed. Bruce Steele, Cambridge University Press 1985, p.181. 翻訳は引用者。再現(representation)を絶対視しないが、それなりの意義を重視する芸術観については拙稿「ロレンスと再現および(仮想)現実問題」『内と外』1996年下半期号を参照。

 

これはもちろん写実主義や再現主義そのものを擁護しているのではない。作家の思い通りにならない、その意味で「客観的」な諸事実を基本的に尊重する心がなければ、作家はたやすく自己欺瞞に陥り、部分的な真実を全体であるかのように読者を誤導できるということを想起させる。とにかく、「文学とは何か」――さらには「芸術とは何か」――という問いは、いつどのように中断されるかもしれない危うい冒険だ。

 

 

書くことと『小説を書く夜』

その問いを掘り下げる一つやり方として、作家自らが、書くこととは何なのかを真摯に問う道がある。書くことよって真実を捕えて伝達する事が可能なのか、どのように書かれたものが「文学」となり「小説」となり、また「詩」になりうるのかといったことを省察し――または省察するような――文章を書くことである。しかし、客観的な実体やその再現可能性への素朴な信頼に挑戦することが、認識の不確実性や再現の不可能性といった命題に耽溺する結果になるなら、書くことに対する省察ということ自体が一つのマンネリズムとなり、「文学とは何か」という問いの履行から外れてしまう。「私にとって書くこととは何か?」と問いながら始まる申京淑の『離れの部屋』(1995)が、書くことに対する優れた省察となっているのは、この問いが、作家がどうしても伝えたい物語、しかしながら伝わりにくい物語を叙述し再現しようとする渾身の努力と結び付いているからである。このようなものが抜け落ちれば、ある若い小説家の表現どおり「ポーズだけが残っていて物語のない小説」(白佳欽「作家の言葉」『こおろぎが来る』、文学トンネ、2005年、277ページ)になりがちだ。

もちろん、書くことに対する自意識的な問いが現われていないからといって、作家が「文学とは何か」という問いを避けていると断定するわけにはいかない。「書くこととは何か」といった原論的な問いの割りこむ余地もないほどに写実主義的再現に没頭した作品のうち、一つ前の世代になるが、黄皙暎(ファン・ソギョン)の中編「韓氏年代記」(1972)を例にあげてみよう。主人公の韓永徳(ハン・ヨンドク)氏が南北両方で経験した受難を如実に描き出したこの小説は、今読み返しても、新しい技法を活用したどの若い世代の作家の問題作に劣らないほど感動的で衝撃的である。だが、このように卓越した作品が「文学とは何か、このような物語をどのようにすれば文学になり、小説になるのか」に対する真摯な悩みなしに書かれたはずがなく、「これが文学ではなくとも私は書くしかない」という心の片隅の悲壮な覚悟さえ伴っていたと見受けられる。

『離れの部屋』とはかなり異なるやり方で書くことに対して真摯に省察している最近の作品として、尹英秀(ユン・ヨンス)の『小説を書く夜』(ランダムハウス中央、2006年)がある。尹英秀は「私の中の荒れ地」などの短編で見せたように、必要とあらば超現実的な要素を動員することもある作家だが、この連作小説は写実主義の規律に忠実だ。しかしまさにそれゆえに、作品のあちこちで現れる偶然の一致、または予想しえなかった縁の絡み合いが、写実主義的な蓋然性のレベルで問題にされる。

作中のそのような展開が徹底的に意図的であることは、連作の序章にあたる「舞台裏の公演」で、すでに明らかになる。舞台はある内科病棟の女性用4人部屋であるが、4人の患者と2番ベッドの患者の夫、1番ベッドの患者を看病する人、これらの病室に声にだけで登場するラジオのアナウンサー、そして病室には姿を見せない多くの家族が、あれこれと絡まり合い、あるいは将来、絡まり合うようになっている。しかしほとんどの場合、登場人物自身はそのことを「もちろん知らない」という事実を、語り手は何かにつけて読者に教える。

 

もちろん彼[2番ベッドの患者の夫――引用者]は知らない。お母さんが仕事に行っていたその高台の家、(……)その大きな家の高慢な女主人がまさにこの病室、窓側の1番ベッドに横たわった中風患いの老婆であるという事実。(11ページ)

 

看病の女はもちろん知らない。彼女が胸を締め付けられる思いで待ったり待たなかったりする丸太の息子が、今どこで何をしているのか。(14ページ)

 

自分に新羅将軍金庾信大鑑の神さまが降りて、人間の前世後世などすっかりお見通しと確信する不明熱の女はもちろん知らない。…… (22~23ページ)

 

糖尿の女はもちろん知らない。…… (26ページ)

 

 
不明熱の女はもちろん知らない。春宵に、前世でも後世でもない現生の自分の夫が、今、どこで何をしているのか。営業用タクシー運転手である彼女の夫は今…… (31ページ)

 

……看病の女はもちろん知らない。夜も更けたこの時間、高校生でママの知らないうちに中華料理店の出前をする自分の息子が、どうやって独身女のアパートに入り込んでいるのか。(33ページ)

 

さまざまな縁の奇妙な絡み合いは「輓章」「連翹が花咲く春の日、バスに乗る」(『私の中の荒れ地』、民音社、2007年)などの短編においても作家が好んで扱っているテーマだが、一冊の連作小説集を通じて粘り強く、ほとんど全方位的に張り巡らされている縁を暴き出すことは、読む楽しさを大きくかきたてながらも、少々やりすぎではないかという疑問を抱かせる。しかし、作家は全く気に止める様子もなく、最初の短編ですでに登場した人物たちと、それらが知っている人物や事実、そしてそれらが「もちろん知らない」事実の数々によって幾多の話の種を植えつけたうえで、続く四つの短編を通じて、まさにその春宵にほとんど同時進行する物語を一つ一つ解きほぐしていく。

ここで、その巧みに絡み合った複雑な話を紹介してはつまらないだろう。「舞台裏の公演」から「城主」に至る一連の短編は、それぞれ叙述様式と主人公を異にしながら、同時代の現実の多様な姿を冷徹かつ辛辣に描いていく。この作業が、ある意味でクライマックスに達するのが第5作の「城主」であるが、この短編の主人公は第3作「あなたの夕食後」の中で情婦(第1作に声で登場したアナウンサー)に会いに行く途中で交通事故を起こす整形外科医の父であり、「丸太」(1番ベッドの中風にかかった老婆)の夫であると同時に一代で財をなした内科医だ。保険の営業で出会ったかなり年下の女性との結婚を控えている彼は「もしかしたら年寄りに生まれて子供になっていく方がずっと幸せかも知れない」(174ページ)と考えながら、実際にそうなっている幻想にはまり、息子が事故にあったと警察から電話が来た時に子供のような無意味なことしか言えなくなる。そうするうちに運転手の家族が住む――出入口を作ってくれと言う運転手の頼みをその日の朝にも断った――駐車場が火事になり119が慌てて門を開けろと急き立てる頃にはすっかり子供がえりして、「怖いよ。パパもママも家にいないのに、悪い人たちが門を開けろって言う」と言い「芝生に横になって身を縮める彼は、自分の拳を吸っていた」(192ページ)。

息子の死と「城主」自身のもうろく、そして家の火事という惨事で終わるこの短編は、貪欲と虚栄と非人情でごっちゃになった韓国社会の特権階層の生きざまへの決定的な断罪だと解釈するに値する(生き残った嫁と孫娘が乱れて生きていく姿は「あなたの夕食後」に生き生きと描かれている)。実際、この結末は「舞台裏の公演」の終盤で年老いた妻「丸太女」が透視した状況と一致しており、「彼はもちろん知らない」を連発した語り手が、特にこの場面ではほとんど植物状態になったこの女以外には「誰も知らない」と言明することも、味わいのあるディテールだ。

 

1番ベッドの丸太が二つの目をぱっちり開く。丸太が虚空をしばらく間睨む。誰も知らない。丸太が何をそんなに深刻に睨んでいるのか。ゆっくり目を閉じた丸太が、また慌てて目を開く。見えるものを見ることのできない人は、見えないものを見る。聞こえることを聞くことができない人は、聞こえないことを聞く。(34ページ)

 

一生を貪欲に生きてきた「城主」の老人が最後に若さを貪り、年を逆にとるという幻想に浸りながら、痴呆状態に突入するという発想も、奇抜で魅力的だ。ただ、それだけに、元気だった人が急に発病するあたりが少々実感に乏しく、妻がまだ生きているのに結婚するなどと行動に出たことについて、それを単なる恥知らずではなく、老妄の予兆であることをあらかじめ浮き彫りにする努力がもう少しあればよかったと思われる。

 

しかし、「城主」が連作の終わりから二番目の短編であることを考えると、これが連作の「大団円」として満足なものなのかは、論じることではない。とすると、最後を飾る表題作「小説を書く夜」はどうなのか?読者はこれだけ多く伏線を張り巡らせながら進められてきた物語が、どのような結末になるのかを知りたい気持ちを抱きながら、中編ほどの長さのこの最後の作品を読むことになる。繰り広げられた話を完璧にまとめることは、技術的に簡単なものでもなければ、たとえ格別の技術を駆使しても、過度に人為的で技巧的な締めくくりであるとの批判は避けられないだろう。そのような状況を作家はどのように処理するのか。

尹英秀の解決法は、初めから「大団円」をあきらめる道だ。すなわち、締めくくらない締めくくりによって読者の意表を突くことで、終えてしまうのである。「小説を書く夜」で舞台は再び最初の短編の病院に戻るが、元々の病室は視線の外にあり、主要人物もこれまで一度も登場したことのないガードマンと、ある小説家だ。時間はまた春宵であり、はっきりとしてはいないが初めの五篇とは違う日であるようだ。この点が確かではないことも、作家がすっきりした締めくくりを拒否した結果なのだろうが、タイトルが暗示するように、焦点は小説家という人物とその行動に合わせられている。

 

ずっと「小説家」としか呼ばれないこの無名の人物は、世の中から認められていないという意味で、無名作家でもある。身なりも薄汚いうえ総合病院のあちこちを覗きながら、することもなく一日を過ごし、たまに作品の素材を探すかといえば、知らない人の遺体安置所に立ち寄って食べ物をもてなされたりもするような、まったく怪しい人間だ。よく立ち寄る警備室でもガードマンが食べている餅をもらって食べるのに忙しい。対話の途中には目前の断片的な事実を色づけて虚構のような話を並べるのが常だが、妙なのは、ガードマンが「また虚空に小説を書くのか」(207ページ)と嘲笑っていながらも、いつのまにか話に巻きこまれたりするという点である。救急車で患者が運ばれて来ると、小説家は患者を餅屋のおばさんに設定して、店主の家の台所から漂ってくる香ばしい味噌のにおいに勝てずに密かに一さじ掬おうとする場面を想像する。

 

「味噌ひと匙だけ。農産物市場で拾って来た白菜の切れ端でも入れて一度煮立たせれば最高だということです。味噌甕の上に登って香ばしい味噌をお椀一杯ついだらそのままガッチャン!」
ガードマンがびっくりして小説家を見上げる。
「ガッチャン? けがでもしたか? けがをしたらどうする。お金もないって言ってたじゃないか。頭がおかしくなっちまったのかい?」
「けがをしなければいいのかい?救急車で運ばれてきたかったのに。ちょっと足首でもぽきんと、ちゃんと折れなくちゃ。」
「人情味なんていうが、ともかく。」
ガードマンが小説家を横目でにらむ。(208ページ)

 

しかし、いくらも話が進まないうちにガードマンも自分の話をしながら割りこむ。ソウルに上京してきて初めて部屋を得た時、自分達はむしろ主人の奥さんのために頭を痛めた、何もない暮らしのなかで買い置きしていた煉炭がしょっちゅうなくなっていったと言うのだ。

 

「これは小説になるんだ。困苦で険難な人生、母の波乱万丈一代記。ある女の人生の歴程を年代記に描こうか、幼い頃から八十まで?」
「夜に、妻と二人で電灯を消して寝る振りをしながら横になったが、何だか、何かがガサゴソするんだ。障子をかっと開けてみた。家主の奥さんだ。まったくもう、煉炭一枚盗もうってんだ、その寒い夜に。」
ガードマンがひとしきり笑い声をあげた。
「救急車に一緒に乗って来た女主人は今、気が気でないらしい。」
「気が気でないだけか? 顔を上げられないだろうよ。その家主の奥さん、本当に見ものだったよ。うちの妻がでたらめに大声を出すから地面にべたりと座りこんでは。」
「味噌甕置き場の階段が一段、いつからか壊れていたんですよ。セメント粉でも手に入れて塗らなくちゃと思っていたんだが、あれこれ先延ばしにしていて、それでこんなことが起こったんだ。手術費をねん出しなくちゃならんのに、てんてこ舞いだ」
「そんなに恥をかかされても癖は直りませんよ。自分の家の〔オンドルの〕炊き口のしけった煉炭と私の家の白い堅炭をこっそり置き変えて。恥ずかしかったろうよ。皆暮らし向きが良くない時代だったから。」
「家主のおじさんに連絡もできないんです。電話線を抜いているのか。大きくなった娘もこの時間まで何の連絡もない。」
ガードマンは面喰って小説家を見上げる。
「誰の娘? その家に娘がいたのか?」
「家主の娘が名物ですよ。町内の化粧品店のツケが数十万ウォンに、カード借金も延滞して電話が鳴りまくってるのに、何のつもりか新しい服はずっと買いまくって。」
「そうだったのか、家主の娘が?」(209~10ページ)

 

このようにそれぞれの話を交わしている最中、餅を一つ残らず小説家が食べてしまったのを見つけて、ガードマンはかっと怒りながら彼を追い出してしまう。小説家はまた病院の内外をうろついて「私の窓辺に育てる花」に登場したキム・キソプ(糖尿病の女の息子)と一緒に酒を酌み交わしたり、不明熱の女の死の知らせを聞いたりする。この過程で、彼が単なるダメ人間なだけではなく、それなりの所信と洞察力を持っていることが明らかになる。一方、ガードマンの心もその間に和らぎ、とうとう自分も「虚空に小説を書き」はじめる。小説家は人間性の悪い輩ではないので、いつかいい妻をもらって山里の小さな飲食店の女将さんと共に、温かい家庭を築いていくかもしれないという考えにはまり込むのである。

 

まさにその安っぽい飲食店にガードマン夫婦が立ち寄るのだ。空いたテーブルに座ってのんびり新聞をめくっていた小説家がびっくりして席を立つ。彼はガードマン夫婦を自分の親にでも会ったかのように喜び迎えた。可愛らしい妻を呼んで丁寧に挨拶させる彼の二つの目には、涙まで浮かんでいた。
挨拶しろ。俺の父親のような方だ。
ヤツの身なりがやたらにそれらしい。鳥打帽にあごひげ、パイプタバコもくわえて。大当たりは出すことができなくても、それなりに暮らせるほどの収入にはなるとげらげら豪傑に笑う。彼らはかつて警備室で餅を食べた話をする。生活の苦しかった、なつかしき日々。(240~241ページ)

 

ここまで来れば小説家は別個に存在していない。「小説を書く夜」の物語が進むなかで事実と虚構の境界はもう長いこと曖昧になっていた。もしかして「舞台裏の公演」から「城主」まで、作家が真摯な声で細心の注意を払って聞かせた話も、そのような怪しいものなのではないか? 読者の考えがこの疑問に及ぶのは当然である。しかし、模範的な人間ではない小説家の作り話だからといって、真実ではないともいえない。それは、読者が自分なりの想像力と知恵を精一杯動員して判断することである。

 

『小説を書く夜』はこのようにして「作家」の厳肅なイメージを解体し、書くことの問題性を想起させるが、書くことに対するその問いは決して軽薄だったり自己耽溺的だったりするものではないがゆえに、鋭い現実批判のこもった豊かな物語と共存する。いや、その物語が生真面目な現実認識を素朴に伝達することを不可能にさせるような、小説の装置として動員された面も、無きにしも非ずであろう。

 

 

ファンタジーの用途――『ピンポン』の場合

一般に、想像や空想を意味するファンタジー(fantasy)は、創作の必須要素とされる。しかし、ごく狭い意味で、実在しない上に、実在する可能性が全くないかほとんどない空想の世界に没入する作品のことを意味するとするなら、はじめから写実主義的要素の幅広い導入に特徴づけられた近代の長編小説文学において、ファンタジーは一つの特定の流れとして認識され、批判的な意味での「ジャンル文学」と称されたりもする。したがって、ジャンル文学がいかなるもので、きちんとした文学としてどのような問題点があるのか(あるいはないのか)を問う作業は、「文学とは何か」という問いを実践する一つ方法でもある。

 

この作業において、鄭英勳(チョン・ヨンフン)の評論「ジャンル文学と本格文学という論争」(『創作と批評』2008年夏号特集)は、ジャンル文学の現状に対する叙述や点検にとどまらない理論的模索が目を引いたが、ただ、「本格文学対ジャンル文学」という誤った図式の非生産性を指摘することに重点を置くことで、文学とは何かを問う作業そのものは疎かにされた感がある。「大衆文学がジャンル文学に変わっただけだ。依然、その反対側には本格文学があり、両者の間の位階もそのままである。根本的な構図は変わらなかった」(71ページ)という時の「本格文学」は、「大衆文学」または「ジャンル文学」を他者とすることで自らの存在価値を主張するものであり、その意味で文学とは何かという問いの真摯な遂行からはすでに遠ざかった文学である。よって、「確かに本格文学は現在私たちが直面している複雑な現実を形象化することにあまり成功していない」(78~79ページ)という彼の主張はかなりの説得力をもっており、「良いジャンルと悪いジャンルなどというものはない。良い作品と悪い作品があるだけ」(79ページから再引用、原文はイ・ヨンド「ジャンルファンタジーは道具だ」『文学と社会』2004年秋号、1107~8ページ)という命題に同意することはいくらでもできるが、特定の本格文学論に対する至極まっとうな批判から大きく脱してはいない。

 

これに比べて同じ特集に「ジャンルの境界と今日の韓国文学」を寄稿した柳煕錫(ユ・ヒソク)は「ジャンル文学固有の成就はゲットー化されたジャンル文学そのものの克服にほかならない」(『創作と批評』2008年夏号、15ページ、強調は原文)と力説しつつも、直ちに「だからといって、『ゲットー』にも花は咲きうるし、さらには文化的解放区としてのゲットーこそ、文学が本来もっている創造性が発話される地点であるとの主張そのものを否定しようとするわけではない」(同上〔ただし訳文は若干修正〕)と、若干曖昧な立場をとっている。そう考えると、「要は、互いに異なる叙事的構造と慣習を内蔵した個別ジャンルの統合的進化が『作品』として現れる現象を探求することこそが、ジャンル文学論における核心だということである」(同前)という彼の主張が今日の韓国文学論における核心的な課題の一つを提起したことは明らかだ。しかし、ジャンル文学そのものとしては「文化的解放区としてのゲットーこそ文学が本来もっている創造性が発話される地点であるとの主張」を検討することの方がむしろ核心となる可能性も排除できない。

鄭英勳が指摘するように「ジャンル『文学』と言ったが、実際のところ、ジャンル文学はジャンル「小説」である」(75ページ)。さらには、論争となるのはジャンルの「長編小説」といってこそ正しい。文学史的にみるなら、ジャンル文学の問題とはすなわち「互いに異なる叙事的構造と慣習を内蔵した個別ジャンルの統合的進化」の結果であり、バフチンのいう「総体的ジャンル(total genre)」としての長編小説(the novel)がいったん成立したのちの状況において、それが断片化・特殊化されていく現象なのである。ゆえに「本格文学対大衆文学」などすでに言うまでもなく、「本格文学対ジャンル文学」の対比よりも「総体的ジャンルを志向する長編小説――これを便宜上「本格長編小説」と呼べないこともないだろう――とジャンル化された長編小説」の対比の方が、一層生産的な構図だといえる。そしてこの時、「良い作品と悪い作品」は双方に存在するものと考えねばならない。

以上の理由から、小説のなかでどれだけファンタジーが動員されているかということ自体は、重要な判断基準にならない。その上、全体的な設定が空想的であるがゆえに、むしろ作家が厳格な写実主義的規律に依存することもある。初期長編小説の名作であるデフォー(D・Defoe)の『ロビンソン・クルーソー』だけとってみても、空想的な作中状況――実際、無人島に漂流した人物の経験とも大いに異なる状況――を設定し、これを如実に形象化しようとする努力の結果として、写実主義文学の先駆的業績となった。最近の話題作であるコーマック・マッカシー(Cormac McCarthy)の『ロード』(The Road)も、核戦争以後という空想的状況を描いているために、作家は人物の身体動作の一つ一つ、扱う品物の一つ一つに対する自然主義的描写に格別の手をかけているようだ。

朴玟奎(パク・ミンギュ)の『ピンポン』(創批、2006年)は、全く違った種類の小説である。いわゆるファンタジー小説でもなければ、空想的な設定のなかで一貫した写実主義的規律をみせる作品でもない。柳煕錫(ユ・ヒソク)をはじめとした多くの評論家が指摘しているように、この小説はその「雑種性」が魅力なのでもあるが、要はいかなる要素をどのように混ぜ合わせ、どれほど良い作品を作ったのかが核心的な問題となるだろう。ここでは、『ピンポン』が韓国小説のなかでも空想的要素を非常に珍しいやり方で活用した事例であるという視角から、これまでの議論に一言二言、加えてみたい。

『ピンポン』において空想的な要素を代表しているのは、卓球ゲームと卓球台である。後に虚空から大きなピンポン玉が下りてきて「卓球界」が「世界」と「廃合」されもする。しかしたとえば短編「深」(『文学トンネ』2006年冬号)で朴玟奎自身もSF(空想科学小説)の文法に忠実なジャンル文学の成功事例をお披露目してもいるが、『ピンポン』では卓球の世界を如実に形象化することに、かなり甘くなっている。むしろ「信じようが信じまいが」のようなかたちで放り出しているのだが、「原野の中心には卓球台が置かれていた。何がどうなっているのか、そうだった」(10ページ)という作品の冒頭の二つの文章は、そのような態度を典型的に表している。

卓球に代表される空想的な世界は、アレゴリーや象徴というよりも小説のテーマを駆動していく一種の修辞装置だといえる。言い替えれば、現存する人類の世界――「くぎ」と「モアイ」という二人の中学生の立場からは、いじめと暴力団による日常的な殴打や喝あげ、そして無意味な勉強に苦しむ学校生活だけではなく、「多数のフリ」しながら生きていく多数の人間たちの絶望的なこの世界――に通気孔を開けてくれ、別の可能性を考えさせてくれる一つの方法にすぎない。「幸せに、なれるかな? 人類にも2時間目なんていうものがあるのだろうか?」(35ページ)という問いがそれでもまだ生きているのが、卓球があり、卓球人セクラテンがいるからだが、ここで重要なのはまさにその問いである。

したがって、小説の結末で人類の代表選手として出た鳩と鼠に勝った釘とモアイが、勝者に与えられた選択権を行使して人類を「アンインストール」することに決めたことをめぐって、作家の反地球的態度であると批判することも、あまりに生真面目なアレゴリー的読法だ。いや、人類の1時間目がどれほど無意味な時間なのかを、豊かな事実描写と鋭く溌剌としたレトリックで提示してきたこの小説のコンテクストで、人類の「維持」を選択することこそ、さらに深い意味で反人類的かつ反地球的だったであろう。

二人の勝利は自らも半ば半信半疑だった「人類に対する意志」の勝利にほかならない。

 

ピンポンというものは、私の考えでは人類がうっかり忘れてしまったことと絶対に忘れないことの間の戦争なわけさ。生命は自らの意志によって自らを保つというセクラテンの言葉が正しければ、その意志を決める最後のチャンスだってことだ。だからずっと私は自分の意志について考えてきた。人類に対する意志、人類が「うっかり忘れて」しまったものとしての意志、それにもかかわらず人類としての意志…… その意志は何だろう?
 
そんなもの
 
あるはずがないじゃないか。私が言っているのもそういうことだ。だからずっと気が楽になった。どうせ勝つこともできないし…… (219~20ページ)

 

しかし失敗なくレシーブを続けるべく機械のように訓練された人類の代表選手たちが「過労死」することで「人類がうっかり忘れてしまった」側が勝利を収める。そして実際に「アンインストール」を実行した後、二人が目覚めた時には卓球台も卓球界も消えていたが、地球はそのままある。モアイは以前そうしていたように「熱心に……スプーン曲げでもしながら生きていくか」といい、「私」はずいぶん考えたあげくに「一生懸命学校に通ってみようと思う」という、前にはなかった意欲を見せる。

 

そして私たちは別れた。原野の端に向かって歩いて行くモアイに私は手を振り、その姿が見えなくなる頃に引き返した。ピンポン、軽快な音が心に響くほど、森の空気はさわやかだった。ゆっくり
 
私は学校に向かって歩いた。(252ページ)

 

小説はこのように終わる。

 

とすれば、どんな状態になったのか? 最終選択を前に「人類除去」の意味を訪ねた時、セクラテンはこのように答える。「まず人類がアンインストールされて、長年にわたって生態系はまた無に帰るだろう。しかし君逹二人は相変らず地球に残ることになる。成長して、最後の人類として命を全うするんだ」(245ページ)。都市と文明のその多くの物質に対しては、「君逹の生存中に大きな変化はないだろう。そしてどうしたって消滅する。それは地球が消化する問題だ。新しい生態系のためには、どのみち数万年、あるいは数十万年が必要だから」(同ページ)。

この説明を文字どおり受けとれば、最後の場面の二人は人類の唯一の生存者で、「私」は人がすべて消えて物質だけが残された学校に向かって歩いて行く状況になる。しかし、この場面でもそのような奇怪な状況を再現しようとする気配はないし、むしろ日常の回復と刷新を期待させる雰囲気だ。それが「人類の2時間目」という、著者が「作家の言葉」でも重ねて言及する(256ページ)問題意識と一層通じ合ってもいる。

このような曖昧な結末は、作品の美徳なのか、それとも欠陥なのか? このような追及は朴玟奎の「何がどうなったのか、そうなった」というようにずうずうしくとぼけてすり抜ける技術と、独特な「言語の詩的使用」(黄鍾淵「韓国文学の価値について――文学評論家・白楽晴との対話」316~17ページ参照)を前に色あせやすい。それにしても結末の曖昧さが「人類の2時間目」に対する省察の熾烈さに見合う美徳とは考えにくい。いや、「1時間目」の現象に対する省察も鋭く興味深いところが多くはあるものの、実は「1時間目」の一部分に対する認識を恣意的に拡大したという疑いもかかる。「1時間目」の人類もはじめから「ただ、生きるってこういうことみたいだ」(12ページ)というように暮らしていたのではなくないだろうか。「自分の意見」を確立してからも「うっかり忘れて」しまう目に遭わなかった幾多の選手たちがいたからこそ、世界はかろうじてここまで来たのであって、今同じく末期の局面にあっても「2時間目」を夢見られるのではないだろうか。

 

 

「次は何?」を模索する文学

とにかく文学をするという人々さえ「1時間目」の現実に埋没して根本的な問いを忘却することの多い時代に、『ピンポン』が「2時間目」の可能性を真剣に、といえども「蝋燭」の精神とも通じる身軽で自由奔放な技法で提起した点は、高く評価するに値する。人類の1、2時間目の転換を、既存の人類社会の「アンインストール」といった画期的変動と捉える観点は19世紀後半以来、朝鮮半島の自生宗教が粘り強く説破してきた「後天開闢」、すなわち「先天時代」から「後天時代」への大転換と、相通ずる視角である。今年の夏のキャンドルデモが、単なる米国産牛肉反対運動や政権糾弾運動ではなく、後天開闢の兆候でもあることを最も熱く力説してきた人に詩人・金芝河(キム・ジハ)がいるが、私自身もその主張に基本的な共感を示した(少太山アカデミー講演「変革的中道主義と少太山の開闢思想」、2008年9月30日)。「蝋燭以後」の視角をこのように設定するとすれば、先に『ピンポン』の結末に関して惜しい部分があると述べたが、それは作家が後天開闢の予感を伝えながらも後天時代に対する確固たる信念と經綸には十分でないところあり、先天・後天が変わる「先後天交易期」の乱脈相を先天時代全体に溯及して適用するという弊害もなくはないといえるだろう。

もちろんこれは『ピンポン』のテーマを私もまた「自由奔放」に拡大解釈したものであり、朴玟奎には似つかわしくない大きな枠組みに彼の作品を引き入れるものだと考えることもできる。いや、彼特有の冷笑と嘲弄を買うかも知れない。しかし「地球」と「人類」を持ち出して「人類の2時間目」が既存の人類の「アンインストール」を要するほどの巨大な転換であることを示したのがまさに『ピンポン』であり、そのような考え自体も嘲笑わないことが、この作品の健康さである。一方で、その基本的な健康さにもかかわらず、「2時間目」の探求に熾烈さが不足しているがゆえに「1時間目」を叙述する過程でも多分に習慣化されたユーモアで流してしまうところがあるという批判も可能だろう。

とにかく、蝋燭が韓国と朝鮮半島における後天開闢の進行を実感させてくれたとすれば、アメリカで始まった2008年の金融市場破綻とグローバルな経済危機は、先天時代が最後の段階に達したことを確認させてくれる。今こそすべての分野で「次は何?」と問いかけ、答えを模索する時であり、このような時代の文学が果たして何であり、どうすべきかを問い直す時である。

 

世界の全体の既存秩序下で爆弾が今すぐ爆発するとしよう。私たちは何を追求するか。どんな感情を持って新しい時代への移行を願うのか。どんな感情が私たちの移行を可能にしてくれるのか。この「民主的−産業的−愛している−なんだかんだ−母さんの所に連れてって」というような世界の秩序が終わりを迎えた時、新しい秩序の原動力を用意してくれる私たちの心のうちの衝動は何だろう。
「次は何?」これが私の関心事だ。「今は何!」はもう面白くない。(D・H・Lawrence、“The Future of the Novel、”前掲、154ページ、翻訳は引用者)

 

しかしながら「文学とは何か」という問いが観念的な議論に流れまいとするならば、個別作品に対する個別の読者の反応を土台にその問いを掘り下げねばならないように、後天開闢論も取り留めのない大きな言説にとどめまいとするならば、韓国と韓国社会の当面の現実および世界システムの現状に基づいた分析と対応策に具体化されなければならない。何人かの仲間とともに私自身が提唱してきたのは、朝鮮半島レベルでは分断体制の克服であり、韓国社会のレベルではこのような変革を改革運動の核心的な課題とする変革的中道主義である。これらの概念をここで説明するつもりはない。ただ、分断体制の克服がそれ自体として最終目標とはならず、あくまでも世界システムの変革に向けた朝鮮半島独自の道程であると同時に、現存の資本主義世界秩序に対する適応とその克服の「二重課題」を遂行する方途であるにすぎないという点を思い起こしておきたい。

 

二重課題論は、一方で「適応」に偏り順応主義の世辞となり、他方で「克服」に没頭するあまり適応と克服の両方をきちんとできなくなる危険を常に孕んだ言説であるというのが事実である。しかし、いざ他のオルタナティブがあるかどうかと考えてみると、答えが見えないばかりか、文学の世界では二重課題の遂行こそ一つの常識と称するに値する。シェークスピアに対する解釈はあまりに多様だが、資本主義世界システムの到来の不可避性を認知しながら、同時にその克服の必要性を予見したからこそ、イギリス近代文学・国民文学の確固たる成果として位置づけられつつも、「次は何?」を語ってくれる、「新しい秩序の原動力を用意してくれる私たちの中の衝動」を内包した今日的文学になったという解釈が、『ヘンリ4世』や『ハムレット』、『リア王』のような作品についても、いくらでも可能だ。資本主義の展開がかなり本格化した時期のバルザック、ディケンズ、ドストエフスキー、トルストイなどの作家が、近代世界の科学と実証の精神を受け入れつつも、現存する世界に対する実証主義的認識を越えてその核心的矛盾を捉え、変革の展望を開いてくれたというリアリズム論もまた、例の二重課題論と通じ合う。そのうえ、ロレンスの『虹』(The Rainbow)などは、二重課題論の小説版教本と呼んでも無理がないほどである。

他律的な近代への編入とそれに続く植民地化、分断などの困難な境遇の中で、他に劣らない国民文学の建設とともに、この困難を抱かせた近代世界システムの克服を同時に展望するという民族文学論の趣旨も、韓国文学の例外的立場というよりは、先に述べた「常識」を韓国的に表現したものだった。朝鮮半島の現実に対する認識が世界システムの一環としての分断体制に対する認識へと広げられた今、分断体制の克服に対して文学がいかに寄与するかを模索する作業は「分断体制克服文学」という別個のジャンルを設定して、「文学とは何か」という問いにもう一つの稚拙な正解を追加するような行為ではない。あくまでも民族文学論の初心を受け継ぎ、文学に対する問いを朝鮮半島の現実に立脚して問い続ける一つの方法なのである。

「文学とは何か」という問いが必然的に世界に対する問いにつながり、世界と文学の関係に対する問いになるという点は、芸術の絶対的自律性という理念とはすれ違うが、決してかけ離れた論理ではない。この見慣れた命題が常に新しい問いとして発され、また、そうせねばならないことは、その問いが具体的な作品の創作と受容を通じてなされる問いだからである。ただ私の場合、その問いを忠実に履行するには、国内外の作品に対する知識があまりにも不足なのが心残りであるが、この問いが本質上、終わりのないものである事実に癒しを見つけ、後日を期したい。(*)

 

* 〔  〕内は訳者による注である。

**原文において韓半島、南韓などの用語が使用されているが、訳出にあたっては朝鮮、朝鮮半島を使用し、南北のそれぞれの地域を指す場合には韓国(大韓民国)、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を使用した。

*** 著者が引用しているもののうち、『創作と批評』からの引用は、創批の日本語ホームページに訳文が掲載されている場合、それを参考にした。ただし、一部改訳してある。

 

訳=金友子
季刊 創作と批評 2008年 冬号(通卷142号)
2008年12月1日 発行
発行 株式会社 創批
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