[卷頭言] キャンドルを記憶し、継承し、そして乗り越えよう (2009 夏)

李南周(イ・ナムジュ)

 

 


「一つの幽霊が我が社会を徘徊している。キャンドルという幽霊が。」キャンドル抗争1周年を迎え、この時代的事件をどのように記憶するかをめぐる覇権争いが進んでいる。

 


まず、キャンドル抗争の正当性を根本から否定しようとする「神聖同盟」の動きが怪しい。一部の言論やニューライト系列の市民団体は、「虚位と狂気の100日」のような煽動的表現を掲げながら、キャンドル抗争の意味を引き下げようとしている。このような空中戦とともに、政府・検察・警察側は言論統制を強化し、集会及びデモの自由を大々的に制限するなど、キャンドルデモの再演を遮断しようとする地上戦を強化している。このような挑戦に立ち向かってキャンドルの正当性を守ろうとする動きもないわけではない。キャンドル抗争が民主主義と社会発展において持つ意味を評価する討論会をはじめ、キャンドル精神を継承しようとする多様な実践が相次いでいる。

 


このような二つの動きの間にすさまじい緊張感が発生しているが、キャンドル抗争の正当性を確認することはそれほど困難なことではなさそうにみえる。市民集会やデモが盛んだった昨年の6月、李明博大統領自身は青瓦台(大統領官邸―訳者注)の裏山に登って、キャンドルが民心であることを認めたのではないか。また政府は牛肉の輸入交渉の問題点を認め、再交渉までにはいかなくても、誤った交渉を補完するために東奔西走していたのではないか。いまさらキャンドルを否定しようとする人々には忘れたいことか、または忘れられたことかもしれないが、市民の記憶までを消すことはできないのである。


しかし、キャンドル抗争を否定しようとする「神聖同盟」が求めているのは、ただキャンドルによるトラウマを治癒することだけではない。彼らにとってより重要な目的は、キャンドル抗争によって一時中断せざるを得なかった政策を再開する環境をつくることである。去る4月27日に発表された、いわゆる「4大江保全事業計画」がその代表的事例である。この計画には昨年、キャンドルの反対によって中止された大運河事業の一環として見なす内容が多いのみならず、たとえ大運河事業を進めなくても「4大江殺し」へ帰結される危険性が大きく、法的義務である環境評価すら行われがたい短い日程によって進められている。このような強行的な政局運営が続く限り、キャンドル抗争を継承する新しい抵抗の出現を避けることは難しいであろう。

 


しかし、キャンドルが、直ちに、それもより激烈な形で燃え上がるだろうという漠然とした希望に頼る抵抗では大きな成果は上げがたい。いつ、どのような方式でキャンドルが燃え上がるかは分からないことであり、今後相当の期間、昨年のような様相は現れない可能性もある。とはいえ、その多かったキャンドルがどこへ消えてしまったかと悔やみ、挫折する理由もない。キャンドルはすでに我々に多くのことを与えてくれた。キャンドルは「大韓民国憲法第1条」という歌に集約的に表現されているように、市民を主権の主体として再誕生させる政治文化的変動を促進し、これは、京畿道の教育長選挙や4月29日の再補欠選挙の際にみられた草の根による多様な投票督励活動と高い投票率によって再確認された。これから我々のすべきことは、キャンドルに自足するのではなく、それが残した未完の課題を完遂するために努めることである。ここには次の二つの次元の実践が同時に求められる。

 


まず、キャンドルは膨大なエネルギーを噴出したが、争点として浮き彫りになった社会的議題を解決するための明確な方案までは提示できなかった。キャンドルとして表出された民心は一元的であり、自明であったというよりは、多義的であり、複合的であったといえる。水道、医療等の公共サービスの民営化に反対する声は高かったものの、すべての民営化が悪であるという方式の先験的前提を承認しないような微妙な亀裂も見せたのである。キャンドルを経験した我々には、硬直したモデルとしてこのような亀裂を塞いだり、埋めたりするのではなく、この亀裂を経験する中で生命力のある新たな社会ビジョンを創っていくところにキャンドルを乗り越える道があるという認識が必要である。「4大江保全事業」についても、環境保護か、地域開発かという対立構図にとらわれず、環境破壊的開発に対する抵抗が適切な発展と結合できる実現可能な対案を作り出す時のみ、キャンドルの活力を社会変化の動力へ転換することができよう。

 


また、キャンドルは我々の社会的議題の解決を特定の主体に委任もしなかった。これに対し、多くの人々は政治的主体を形成できなかったのがキャンドル抗争の限界であると指摘する。しかし、キャンドルに政治的主体の形成までを要求するのは、キャンドルにあまりにも大きな負担をかけることであるだけではなく、キャンドルの解放的機能を抑圧することでもある。それは、政治的実践を追求する勢力が背負わなければならない課題であり、彼らがキャンドルをもって表現された政治的志向を正しく捉え、それに合った政治連合を構築することによって解決する問題である。

 


キャンドル抗争からこれまでの進展は満足できるものではなかった。このような状況の中で、4・29再補欠選挙において表出された民心は意味深長なものである。李明博政府には厳重な警告を送り、民主党・進歩新党・民主労働党等の野党の政治勢力には無条件の支持を拒否しながらも、反MB(反李明博政権―訳者注)連合戦線における成功の希望を見せてくれた有権者の選択はまさに絶妙であるといわざるを得ない。李明博政権が政治、経済、南北関係において退行的動きを見せ続ければ、反MBの要求はより高まるであろう。

 


反MBを時代遅れの政治目標としてとらえる人々が依然として少なくない。しかし、「李明博退陣」までにはいかなくても、反MBは明らかに昨年のキャンドル民心であり、4・29再補欠選挙の判定であった。この民心から離脱し、またはその真意を攪乱する目標設定では信頼される政治勢力に発展することは難いと思われる。反MBは単純な反対のスローガンにとどまってはいけず、新しい政治地形を創り出すための実践でなければならない。誰もが強調する新しい社会ビジョンの樹立も、自分たちだけの空間で素敵な設計図を作成することによって解決される問題ではなく、民心の要求の集中された領域において政治的実践を繰り広げる中で具体化することができるのである。

 


キャンドル抗争1周年を迎える我々の姿勢は、キャンドルを記憶し、継承するところにとどまるのではなく、キャンドルを乗り越えるための主体的で、積極的な論議と実践を約束するものでなければならない。それがキャンドルを生かす道である。

 

 

 

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今号の特集は、「この時代はいかなる人文学を求めるか」という大胆な問いを投げかける。パラダイムの転換期に新しい社会的な実践と結合することのできる人文学の模索という問題意識のもと、対話と散文、論文等を集めた。一見重そうに見えるテーマであるが、多様な形式と視点から最近の「人文学現象」を扱っており、読む楽しさと真剣な悩みの契機とを同時に得られると思われる。

 


特集の冒頭を飾る「対話」では、創批の前・現職主幹であると同時に、大学の内外を行き来しながら活動してきた崔元植(チェ・ウォンシク)と白永瑞(ペク・ヨンソ)とが、思惟と実践の道としての人文学がいかにして可能となるかを探索する。近年高まっている人文学に対する関心が実践から遊離した主知主義的落とし穴に陥るか、それとも社会と疎通し、実践する新たな思想運動へと進展される契機をつくり出すことができるかを話題とし、人文学のエリート主義、大学制度内外の変化と試み、東アジア論の可能性、社会人文学の拠点として創批の活動に対する評価等、現場と言説とを行き来する対談者の体験が加わった話が興味深く繰り広げられる。

 


それに続く4本の散文は、特集に活力と実感を加える。呉昶銀、高奉準、イム・オッキ、李玄雨がそれぞれ大学制度外での研究活動と社会的少数者のための人文学教育の実験、保守化された人文学に対する女性主義的批判、インターネット空間を舞台に展開される知識交流と批評活動等の多様な実験と実践の現場を紹介する。制度外の人文学の現状を点検し、その意義を示す、短いが、貴重な作品である。

 


權晟右と黃靜雅の論文は、新しい人文学の模索に欠かせない争点を取り扱う。權晟右は、創刊40周年を迎えて創批が掲げた「運動性の回復」と「自己刷新」の目標が文学言説や社会言説をはじめとし、言論と文学システムの問題などでどのように具現されたかを批判的に検討する。我が社会の健康な論争文化を支えてきた創批が、「政治的正しさ」と「美学的品格」とがともになる実践的人文学の居場所として生まれ変わることをお願いしたい。黃靜雅は、最近国内の文学評論に大きな影響を与えたアラン・バディウ(Alain Badiou)とジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben)の理論を中心に人文学の外国理論の受容方式を点検する。普遍主義や同一性、平等と法的領域など、これらの主張の核心的な脈絡が我々の言論の場において特権的、あるいは主観的に活用される問題を指摘し、「倫理」批評において「埋もれていた」質問に対する関心を促すことによって、主体的人文学の姿を描く。

 


「論壇と現場」に掲載された3本の論文は、近年の我が社会や学界の争点と主要変化を詳細に分析している。河勝彰は、反MBという民心が表出された再補欠選挙を評価しつつ、これを全地球的社会変動と我々の政治の現実に効果的に対応できるビジョンと結合させるための政治的・社会的企画の必要性を強調する。金容倉は、龍山惨事問題が依然として解決の端緒を見付けていない中で、都市(再)開発に暴力性が内在せざるを得ない政治経済的構造を検討し、これに対する民主的統制を確保する方案として「都市圏」を提案する。マーク・セルデン(Mark Selden)は、16世紀以来東アジアにおいて形成された地域秩序を3段階に分けて、巨視的に検討することによって、転換期の世界体制の中で東アジア地域主義の重要性と今後の課題を明確に示している。

 


「文学評論」欄には、最近文壇と読書界の関心を反映する論争的な論文を用意した。韓基煜は、創批2008年冬号の「文学とは何か」特集に載った本人の論文を含むいくつかの論文に対する孫禎秀の批判(『創作と批評』2009年春号)に答え、今日の文学の新しさについての論議をより拡張している。柳熙錫は、現在、韓国文学における最大の話題作『母ちゃんをお願いね』の家族叙事についての一面的批評と対決しながら、家父長制的母性を超えた芸術的成就を分析する。鄭喆熏は、「剰余人間」の作家である孫昌涉の忘れられた末年を追跡し、現代文学史の小さな空白を埋める。昨年から新設された「文学焦点」欄も安定感を増しながら、最近の注目できる作品を検討する。

 


創作欄では、2回目を迎える金衍洙の連載小説が劇的な興味と緊張感を増しており、金錦姬、全成太、鄭智我がそれぞれ個性的小説の世界を繰り広げる。なお、生活と世界に対する新しいインスピレーションを提供する10名の詩人の新作が読者を待っている。最後に注目できる新刊についての簡明な紹介と鋭い批評で、いつも誌面をより読み応えのあるものにしてくださっている「寸評」の筆者の皆様にもお礼を申し上げる。

 


今回の夏号に盛り込まれた熱気が、暑い季節を迎える読者の皆様に少しでもお役に立てれば幸いに存じる。

 

 

 


訳 : 李正連


 


 
季刊 創作と批評 2009年 夏号(通卷144号)
2009年6月1日 発行
発行 株式会社 創批
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