私たちの時代、韓国文学の活力と貧困 : 2010年代の韓国文学のための断想

特集 | 2010年代 韓国文学のために

 

 

 

白楽晴(ペク・ナクチョン)paiknc@snu.ac.kr

 

 

 

文学評論家、ソウル大学名誉教授。近著に『どこが中道でなぜ変革なのか』『統一時代の韓国文学の価値』『白楽晴会話録』(全五巻)などがある。

1.「我々の時代」が正確にいつを指すのかは定義次第である。韓国語ではよく「私」というべきときに「私たち」と言ったりもするが、この場合、筆者個人が生きてきた「我々」の時代はこんにちの読者の多くには遠い昔の「他人の時代」と感じられがちである。しかし、実際に4・19〔1960年に起こった学生革命〕以後の韓国文学、とりわけ民族文学運動が再度展開された1970年代以来の文学は、未だに「我々の時代の文学」という面がなくもない。範囲をさらに狭めるとすれば、1987年の六月抗争以後の20数年の方が明白に「我々の時代」となるだろうし、この時期の文学はこんにちの若い読者にとっても「我々の時代の韓国文学」として、それほど距離感もないと思われる。

以下では文学の活力と貧困を論じていくが、さしあたり私が念頭に置いているのは、上記のように多様な意味をもつ「我々の時代の韓国文学」である。同時に、新しい10年代に入る2010年の時点にいるので、具体的な省察は2000年代の文学に集中するのも当然である。

2. 1970年代以来、民族文学論は韓国文学の貧困よりも活力と可能性の方を強調してきたが、これは貧困に対する認識が欠如していたからではない。外国文学、とりわけ西洋文学の先進性を一方的に信奉し喧伝することで、韓国の〔我々の〕文学の後進性を誇張し、さらには助長さえするような風潮に立ち向かい、たとえ貧しくとも何にも代えがたい私たち自身の文学があり、そのうえ「第三世界的認識」を盾に先進的な視角を確保することによって私たちの文学も世界文学の先頭隊列に合流することができることを想起しようとしていたのである。

3. 当時も今も、世界的視野は重要である。最近、「第三世界」という言葉はあまり使われなくなったが、西欧中心的な世界の文学市場が設定した「普遍性」の尺度に盲従しはしないで、世界的な尺度自体の修正を実現することができるほどに普遍性に肉迫する世界文学と歩みを共にする必要性が切実である(この意味での世界文学運動については拙稿「世界化と文学――世界文学・国民/民族文学・地域文学」『内と外』2010年下半期号;同様の問題意識をもって世界文学に関する韓国内の議論をまとめた書籍として金英姫(キム・ヨンンヒ)・柳熙錫(ユ・ヒソク)編『世界文学論』創批談論叢書4、近刊を参照のこと)。

私が文学活動を始めた頃に、主体的な創作をおこないつつも世界的な視野をとくに強調したのが金洙暎(キム・スヨン)である。金洙暎は申東曄(シン・ドンヨプ)の「いいえ〔アニオ〕」のような詩を「世界的に発言することができる知性が息づいている」と称賛しつつ、同時に詩人・申東曄が「50年代にモダニズムの害毒にされすぎなかった人のうちの一人」であるという言葉で閉鎖的な民族主義へと流れ込む可能性を警戒した(「参与詩   参与詩とは、政治や社会の問題に関心を向け、批判的な意識をもってその変革を促すような問題意識のある詩を指す。―― 訳者註 の整理」『創作と批評』1967年冬号、636頁)。つまり、モダニズムという世界的潮流に接する必要性を強調しながらも、その「害毒」を語るほどにモダニズムと距離を置く立場だったがゆえに、金洙暎は彼自身の死後に本格化した民族文学運動においても長らく一つの道しるべとなったのである。

4. 2000年代の韓国文学に目を向けると、まず詩壇の活力が目覚ましい。いわゆる先進国に比べて詩集が多く出版され、よく売れているという事実自体が、韓国詩のレベルの高さを保障しているのではない。しかし、よい詩を書くための社会的基盤となっているのは明らかである。詩集の発刊部数や売上は韓国でもだんだんと減少の趨勢にあるにはあるが、依然アメリカやイギリス、フランスまたは日本においては考えられないほどの水準である。より重要なのは、詩に対する大衆の関心と愛情の中で、2000年代の韓国詩壇は『萬人譜』30巻の刊行を成し遂げた元老詩人・高銀(コ・ウン)に始まり、重鎮や中堅、そして新鋭にいたる数多くの詩人が目を見張る活躍を見せたという事実である。

5. そのなかには大衆の幅広い理解にわざと背を向けるような詩作をつづけてきた、いわゆる「未来派」詩人の存在の重要性も認めるべきである。もちろん、かれらの詩がすべて素晴らしいというわけではない。それでも、一種の承認のための闘争がごとくかれらの成果を丸ごと肯定するとか、そのうえ時に知識をひけらかしたり自閉的になりがちになったりするような批評言説が、読者を詩そのものから遠ざけてしまう傾向もあった。しかし、私が最近読んだ金素延(キム・ソヨン)の『涙という骨』(文学と知性社、2009年)と申海旭(シン・ヘウク)の『生物性』(文学と知性社、2009年)が好例だが、才能があり真摯な詩人が韓国語を自由自在に操って難解な詩を紡ぎだす姿は、それだけで密かな感動を与える。批評言説は依然として外国の理論に頼りっぱなしのものが多数あるが、詩人は「モダニズムの害毒」をされるだけされながらも、自分なりの言語を練りだすものがいくつも見出されるのである。もちろん、かれらのうち誰がどれだけ成功して、その言語が私たちにいかなる意味を持つのかを明らかにする批評作業は、今後さらに精密におこなわれねばならないだろう。

「未来派」の詩人の活躍がもたらした一つの副次的効果は、かれらと性向を異にする詩人や読者の感受性と目利きの良さにも、少なからぬ影響を及ぼしたという事実である。慣れ親しんだ言語と柔らかな叙情によって読者の感性に訴えることで知性を眠らせる詩は以前から警戒の対象だったが、その警戒心は「未来派」の詩を読み、悩まされながらさらに高まったともいえる。最近の詩集の中で、たとえばその詩の大部分が農村詩に分類される高榮敏(コ・ヨンミン)の『謙虚な手』(創批、2009年)や、政治的抵抗の伝統を引き継ぐ李永光(イ・ヨングァン)の『患い天国』(創批、2010年)を見れば、2000年代の新しい詩と、詩的言説によって鍛えられた言語が、より一層の光を放っている。

6. 韓国の批評界に活力を与えた文学の政治性をめぐる議論が詩を中心に触発されたのは、その点で当然である。持続的な議論を始動させたのが詩人でもあった(陳恩英「感覚的なるものの分配」『創作と批評』2008年冬号参照)。もちろん、その背景には2008年のキャンドルデモがあったし、それに続いて2009年初頭には「龍山惨事」が起き、議論に切実さを加えた。

批評言説においては、政治性をめぐる議論以前に「文学と倫理」というテーマが支配的だった。それは二つの側面を同時にもったものだったと考えられる。すなわち、一方では社会の現実に目を向けること自体を冷笑していた一時の文壇の風潮からだんだんと脱却する過程だったのではないかと思われ、同時に文学の政治性問題との正面対決を先送りしたまま仄めかすにとどまっていた状態でもあった。「倫理」が善悪の分別を絶対視する姿勢であるなら、それは外部から文学に負わされる一種の桎梏と化し、真の政治も不当に制約されやすい。反面、このような通常の意味での倫理ないし道徳(morality、morals)を拒否すること自体が文学の真の倫理であると強調するところにとどまるのであれば、それは具体的な政治の現実と無関係な、もうひとつの定言命法(categorical imperative)を発することにしかならない。このような「文学の倫理」は、レヴィナスの「他者の倫理学」やデリダの「歓待の哲学」を援用してその権威を強調したりもする。

私はここでレヴィナスやデリダの哲学を批判したいのではない。ただ、かれらの思想であれ我々の文壇の倫理をめぐる議論であれ、西洋の概念を根拠に倫理と道徳を区別してみると、もともと東アジアの伝統において語られていた道徳、すなわち「道」と「道の力」としての「徳」についての思惟が失われてしまう点を指摘しておきたいのである。文学の政治性をめぐる議論も、具体的な政治的現実への関心をそのような道徳を思惟する境地にまで押し進めていけないなら、再度の抽象化や偏狭な政治主義にとどまらざるを得ないと思われる。

7. ともあれ、詩人の個人的実感から出発してランシエールを適切に参照した陳恩英(チン・ウニョン)の問題提起を契機に活発な議論が続けられ、今後さらに実りある議論がなされる土台を作った。新しい進展のひとつは、政治行為――少なくとも文学が問題にするだけあるようなレベルの政治行為――に付随する「普遍性」の問題が浮上した点である。

たとえば批評同人誌『クリティカ』第4集(2010年)は、「文学・政治・普遍性」という特集を組んでいたが、特集の巻頭言に当たる金成鎬(キム・ソンホ)の「文学の政治と政治的普遍性」は、韓国の文壇においてランシエールの議論の活用が未だに美学主義、専門家主義に偏っていることを批判する。「ランシエールこそまさにこのような傾向の文学的・批評的実践に『政治』の名を捧げることによって、それを『脱政治的』とう批判から脱却させつつも、実際にはそれに何の変化も押し付けない、ゆえに『直接的に政治的』であったり『現場に密着』していたり、あるいは『具体的に反体制主義的な』いかなる行為も文学人に要求しない、ありがたい存在として登場した」(17頁)のである。「『文学の政治』というテーマもまた普遍性に関する問い、すなわちギュッと閉じ込められた既存の秩序内部に文学が開いた自由の空間が普遍性のレベルを含んでいるのか、どんな性質の普遍性をどのように志向しているのかに関する問いを回避することはできない」(27頁)。

文章の性格上、この問いに対する論者自身の答えは提示されておらず、そこが惜しいといえば惜しい。この問いを普遍性の典型的事例としてこんにちよく挙げられる「人権」に関連させて発展させたのが、同特集に掲載された黄静雅(ファン・ジョンア)の「人権の普遍性と政治性」である。黄静雅は現存する代表的な人権言説を批判したうえで、龍山事態をめぐって「アウシュビッツ」を云々する一部の文人の反応にも疑問を投げかける。「それはいうなれば、私たちが龍山で遅きに発見した『人間』が権利の記入と現実の間の不一致を構成する政治的主体ではなく、残酷な国家暴力によって無権利状態に追いやられた犠牲者としてしか見えなくさせてしまう」(同書、108頁)のである。「ランシエールによれば、人権はこのように特定の主体に割り当てられた権利ではなく、所与の全体共同体のなかに居場所をもたざる者たちの権利剥奪に対抗して何かを行う時にもつことになる権利であり、よって彼の言う人権の『主体』はすなわち政治的『主体化過程』にほかならない」(105頁)というのが黄静雅の指摘である。しかし「普遍性」もまた自身の政治的主張を普遍的なるものに仕立て上げる普遍化過程に他ならないのであれば、それは文学が開いた空間のなかで「普遍性の次元」を認知するところにとどまらず、レーニンの有名な一言のように「具体的状況に対する具体的分析」に立脚した政治行為を考えざるをえないということである。

8. 陳恩英自身は文学の政治性に関する真摯な悩みが自分よりもはるか前に金洙暎によってすでに始められていたことを論述している(「ある真摯な詩人の苦悩について」『創作と批評』2010年夏号)。ここでランシエールが語る「感覚的なるもの(あるいは感性的経験)の自律性」は、モダニズムでよく言われるところの「芸術の自律性」とは異なるものと考えねばならず「生と政治が実験されない限り、文学は実験されえない」(「感覚的なるものの分配」84頁)という陳恩英の当初の主張が一層力を得ている。
他方、「生と政治の実験」が文学の真の新しさに必須であるとの認識したうえで1970年代から「真摯な苦悩」を受け継いできた、韓国評壇の別の流れにも注目する必要がある。文学における現実認識と文学人の政治的実践を強調しつつも芸術性を犠牲にする政治主義を警戒し「現実の再現」への過度な執着を乗り越える道を模索してきたリアリズム論は、モダニズムの克服が金洙暎においてすでに始められていたという認識とともに、このような克服の作業が金洙暎からもう一歩先に進んで民衆の現実に一層密着する必要性を提起するものでもあった(たとえば拙稿「歴史的人間と詩的人間」『民族文学と世界文学1』創作と批評社、1978年、187-93頁参照)。

その点で柳浚弼(リュ・ジュンピル)が私のリアリズム論の軌跡を仔細に掘り返しつつ、いくつかの誤解を解いてくれたことは、個人的にはありがたいことでないわけがない(「白楽晴リアリズム論の問題性と現在性」『創作と批評』2010年秋号)。柳浚弼は韓国のリアリズム論をきちんと発展させれば、ランシエールよりも「近代芸術の展開過程に対して、はるかに円満な理解が可能」(同論文、384頁、拙稿「現代史と近代性、そして大衆の生」『創作と批評』2009年冬号、29頁からの再引用)なのではないかという私の主張に言及してもいる。しかしランシエールの芸術体制論が韓国評壇のリアリズム論によって十分に収斂可能な反面、後者の文学論のなかで核心的な事柄を見落としてしまうことにもなるという論争的な問題提起は、「だからとても遠くに、むやみに行くことはやめよう」(柳浚弼、前掲論文、384-85)という警句的発言によってやり過ごされてしまうのみで、さらなる検討はなされていない。

9. 陳恩英にリアリズム論にまで射程を広げよというのは無理な注文だろう。しかし、文学と政治についての陳恩英の問題提起の仕方は、そもそも議論の幅を狭めてしまう面がなくはないだろうか。「移住労働者と非正規職労働者の闘争を支持して声明書に名を連ねたり、支持を伝えるために訪問して政治的課題を扱う論文を書くこともできるが、おかしなことに、それを詩で表現することは容易ではない」(「感覚的なるものの分配」69頁)という彼女の告白が、後続論者たちの生産的討論を引き出す真摯な率直さと鋭さを帯びているのは確かである。同時にここで言及されている「社会参加」は、どこまでも物書きを本業とする詩人の観点から捉えられてことであるという点にも念頭におく必要がある。「社会参加」は簡単だが「参与詩」は難しいとする詩人の苦悩は、創造的な政治行為が創造的な文筆活動よりも本質的に容易だからではなく、詩人が詩を書くときには物書きの純然たる主人として臨むのに反して、社会活動・政治行為の領域において詩人は、他人が用意した舞台に客として介入することだけで「参与」したと見做されるがゆえである。「具体的状況に対する具体的分析」を自己の名において遂行し、そこに合った行為が何なのかを見出し実行すること――指導的な位置に立つのか否かにかかわらず――が政治領域において完全な主人になる道であるなら、その道をきちんと歩むことは詩をきちんと書くのと同じくらい至難の課題であろう。

10. 政治はどのみち闘いである。社会を統合し敵対勢力と和解する政治的努力もまた、別の闘いなのである。文学の政治性をめぐる議論がリアリズム論へと広がってしまうのも、それゆえである。いかに写実主義的に再現されているかよりも「歴史の闘いに臨む同志と同志との間に遂行される一種の戦況点検」に役立つ再現の信憑性が重要視され、ひいては「それ自体として同志間の愛を伝え合い強固にする機能」(拙稿「文学的なるものと人間的なるもの)『民族文学と世界文学1』99頁」を果たすようになる。この闘いを単なる他人との闘いだとしか理解しないと、政治はレトリックを生み出し、自己との闘いに通じて詩が生み出されるとするロマン主義的な公式に帰着する。しかし、どのようにであれ、詩そのものに政治性が内在し、政治もまた個々人の自己修練を含む「主体化過程」であるならば、文学と政治の双方が他者との闘いであり、自己との闘いであらざるをえない。

11. 文学の政治性をめぐる議論が飛び火するもう一つの領域が、小説における政治性問題である。金永賛(キム・ヨンチャン)は、最近の議論で「政治との関係が問題視されるまさにその『文学』の範疇から『小説』が疎外されているという事実」を指摘し、「今、韓国の小説に政治はない」と批判する(「文学の後に来るもの」『文芸中央』2010年秋号、378頁、379頁)。金永賛が指摘するとおり、韓国小説が「近代的ノベルに要求される資質自体を、はじめからそれ自身の遺伝子としてもっていない」(374頁)文学なのかを検討すべきであり、小説の政治性をめぐる議論がないという主張も、多少誇張された感じがなくもない。しかし、詩を中心に展開された議論が小説の分野へと十分に押し広げられていないことは明らかである。韓基煜(ハン・ギウク)の「文学の新しさと小説の政治性――黃貞殷、金サグァ、朴玟奎の愛の物語」(『創作と批評』2010年秋号)は、そのような惜しさをなだめてくれるよい出発ではないかと思う。

具体的な作品論が的確かどうかを論じる場ではない。ともあれ、最も私的な恋愛の領域における政治性を読み解くという発想は「個人的なものは政治的だ(The personal is political)」というフェミニズムの命題に照らしてみても適切であり、その過程で、写実主義とリアリズムの関係をランシエールによる「治安」と「政治」の区分を援用して新たに照らし出す。すなわち、両者は厳然と区分されるべきであるが、同時に格別の関係を維持しているということなのだが、これはリアリズム概念の再照明であると同時に、文学の政治性をめぐる議論のなかでランシエールの学説を便宜的に利用する一部の論者に対するキム・ソンホなどの批判を、別の角度から提起したものであろう。

12. 韓基煜の「時代の性格」およびそれによる時代区分問題を引き出したことも、「政治性」議論の具体化に向けた重要な進展である。彼はいったん「6・15時代の文学」という仮説を提示しつつ、その後、より柔軟な「6・15時代論」へと自己修正したのだが(「文学の新しさはどこから来るのか」『創作と批評』2008年冬号、三節「文学と時代的課題」)、今回は97年体制論、「俗物時代」「冷笑主義時代」論などの過度の単純化を批判し、2000年南北首脳会談後の朝鮮半島の状況変化や2008年のキャンドルデモに現れた同時代の新しい側面を合わせて考慮すべきであると強調している。彼自身、1997年のIMF救済金融事態の画期性を否定してはいないが、これについては金鍾曄(キム・ジョンヨプ)などが主張する87年体制論(金鍾曄編『87年体制論』 創批談論叢書2、創批、2009年)の枠組みの中で説明可能な新しい局面として捉えている。これは基本的に私も共感する立場にあるが、強調したいのは87年体制論が――いかなる時代区分論も当然そうあるべきなのだが――私たちの「今・ここ」の現実を正確に位置づける役に立たねばならないということである。すなわち、私たちが今87年体制の中に生きているという言い方は、李明博時代が「先進化時代」ではないばかりでなく、金大中・盧武鉉時代に始まった「新自由主義時代」の深化に過ぎないものでもないということになる。すでに生命力の尽きた87年体制の末期症状を代表する混乱期であり、1987年がそうだったように、全国民の力量を――もちろん六月抗争とは異なるあり方でなければならないだろうが――再結集することによって新しい時代を拓くことができるのである。

このような認識を作品の読みに適用するか否かは、どのような批評的意味を持つだろうか? この場で本格的に論じるのは難しいが、単純に「反新自由主義」路線に即して現実を告発する文学より、この時代の生を、はるかに混乱しており時に猟奇的なものと描きつつも、1997年の危機にもかかわらず6・15共同宣言を生みだし、李明博時代の始まりにキャンドルを手にした群衆の祝祭的デモを見せた韓国社会の生命力が看過されないような、もう一段高い次元の作品が好まれるようになるのではないかという点を指摘できるだろう。

13. 長編小説に目を向ければ、我々の時代の韓国文学の貧困がもう少し実感されるだろう。素晴らしい短編を書き続けてきても、長編を試みるとその名声も地に落ちるがごとくの作家が少なくないのである。これはおそらく、長い間韓国の小説文学の芸術的成功が短編小説に集中していたためでもある。

2000年代に入って長編小説の生産量は飛躍的に増え、商業的に成功するとともに評壇でも高く評価された作品も少なくない。しかし、いわゆる「祝辞批評」の疑いが明らかなものを除いても、批評家の肯定的評価が世界的な視野を欠いているために、実質的には褒めすぎにしかなっていないことも多い。国内向けであれば通じる作品に対する国内における相対評価が、まるで世界市場での優秀さを主張できる絶対評価のように表現されているのである。

もちろん、すぐにでも翻訳して外国の読者からどれだけ評価を得られるのか、すなわち西欧中心的な現存の世界市場のその日の時勢でどのような「絶対値」を持つのかを言っているのではない。ただ、読者や批評家が自分なりに考える世界文学の性格とその主要作品、望ましい進路などを念頭に置いて作品を評価する訓練が必要だということである。

14. 私自身も2000年代の韓国文学の活力を示す秀でた小説であり世界市場に出す価値のある、指折りの問題作のひとつと考える申京淑(シン・ギョンスク)の『母さんをお願い』(創批、2008年、以下『母さん』)は、韓国の出版市場においては見るにまれな大型ベストセラーでもあった。しかし一般読者の熱を帯びた好評に比べて、評壇の反応は読者のそれ食い違っていた。じっさい、(行きすぎた称賛を含む)肯定的評価に比べて、否定的評価の方が多かったのではないかと思う。読者の感傷を刺激する大衆小説に過ぎないだとか、伝統的母性を神秘化する不健全な文学だとかいった批判が幾つか出ており、この批判に対しては柳熙錫(ユ・ヒソク)の「『母』の時代的真実を探して――『母さんをお願い』論」(『創作と批評』2009年夏号)が比較的よく整理していると思われるので、ここで屋上屋を架す真似はしないでおく。

15. この作品の真価を批評の言語で伝えるのは容易ではない。柳熙錫のように、不当な評価に反駁しつつ母さんである朴ソニョを通じて時代の真実を読み解くことも一つの方法ではある。しかし何よりも先におこなうべきは、作品中の人物と出来事の切々とした実感を直に感じ取ることである。この点に関して、『母さん』の作品世界が「自分のことのように」感じられる基本的な原因は、母をはじめとする何人かの人物が、特に自分の周りにいる知人に似ているからというよりは――人によってはそうでもあるだろうし、そうでないという人もいるだろう――『母さん』という個別作品を読む過程でこそ出会いうる唯一無二の個別者として形象化されていたためである。これは『母さん』だけでなく、他の素晴らしい小説にも往々にして該当することではあろうが、ともかく、このような個別者に個別者として向き合い、自分の観念をそこに上乗せしない読みこそ、「他者の倫理学」を実践し、見知らぬ者(l’étranger)を「歓待」する道ではないだろうか。

16. したがって、母親の朴ソニョが果たして実在する韓国の高齢女性の何パーセントを代表しうるのかということは、的外れな問いである。また、全く異なる類の母親と母娘関係が金愛爛(キム・エラン)の「刀傷」や權汝宣(クォン・ヨソン)の「秋が来れば」「K家の人々」などにおいて確認されるということをもって現実性の優劣を争おうということでもない。これらの短編は皆、小説としては完成度も高く、それぞれがそれぞれの真実性を帯び、まさにそれゆえに同じ作家の作品でも「秋が来れば」と「K家の人々」の母親は異なる個別者なのである。他方、鄭智我(チョン・ジア)の最近の短編「銭湯に行く日」(『文学思想』2010年8月号)に描かれた母娘関係は、『母さん』の長女と母との関係と情緒的に相通じる面も多いが、それでもなお、似て非なるそれぞれの作中人物や状況そのものの優劣が問題になるいわれはない。

17. 朴ソニョが「神話化された母性」または「家父長社会の典型的な女性」に合致しない点は、柳熙錫などの評者がすでに指摘している。第4章「もうひとりの女」で、家族の誰も知らなかった彼女の人生の一面――李ウンギュという男との奇妙な縁――が明らかにされる前にすでに、彼女が与えられた人生からの逸脱を夢見て娘たちに別の世界を拓いてやろうと反抗も辞さない姿が露わになる。さらに「台所が監獄のように感じられる時には、醬油甕置き場に出て、不格好な甕の蓋を一つ選んで、壁に向かって力いっぱい投げつける」(『母さん』74頁)と長女に話す場面がそうであるように、母親のこのような姿は彼女の失踪によって改めて思い返されるだけか、失踪ではなくても時折思い出される記憶として刻みつけられているのである。

李ウンギュとの関係は、そんな母親としても別の次元の逸脱なのであろうが、その性格をきちんと捉えるためには、それこそこの関係の唯一無二な個別性を尊重する読みが必要である。朴ソニョ自身は幽霊になってさまよい、彼を見つけたときにこう語る。「私があなたにとってどんな人なのかはわからないけど、あなたは私の人生の同志だったのよ。(……)うちの子どもたちには、私たちのことなんてわからないでしょうね」(231頁)。もちろん、「人生の同志」も完璧な性格規定ではない。「あなたは私にとって罪であり幸福」(234頁)だったとの彼女の告白が続きもするが、これもまた誰にも知られずに彼に会い続けたことが罪だというお決まりの意味というよりは、不安な時にはいつも彼を訪ね、彼に依存していつつも「あなたが私に言い寄ってくるようならば、冷たくあしらったのに、(……)本当に悪いことをした」(同頁)という悔いの重みを読み取るべきであろう。幽霊が「私はあなたが好きだった」または「私はあなたがよかった」ではなく「私はあなたがいてくれてよかった」(236頁)と言ったことは、これ以上ないほど的確な表現である。

18. 『母さん』がもつ吸引力の一部は「お母さんがいなくなってから一週間目だ」(10頁)という衝撃的な文章で始まり、まるで推理小説のように緊迫感に満ちたストーリー展開を見せる手工にある。いなくなった母を見つけることはできるのか、母はどこで何をしているのかを知りたくなるのは読者の自然な反応であろうが、その知りたいという欲望に従っていくと、失踪前のお母さんの人生や家族間に起こったいろいろなことが迫真の展開を見せるがゆえに、作品の緊張感はさらに高まる。しかしながら、ひたすら読者の好奇心をかき立てるために無理な設定も辞さない通俗文学とは区別される。

しかし、写実主義的な真実実とともに、超現実的とも疑われる要素が、鳥になった霊駕〔死者の霊魂のこと〕が登場する第4章の前にも挿入される。母にそっくりな人を見たという目撃者たちが声をそろえて、彼女が裸足に青いスリッパをはいていたのだがスリッパが足の甲に食い込んで傷ができていたと言う。しかし失踪当時、お母さんはベージュ色のサンダルをはいており、そのうえお母さんが現れたという場所は彼女が到底一人では行けないようなところである。しかし、後になってそのすべての場所が、息子や娘が暮らしていた場所であり、青いスリッパは昔息子に書類を届けようと家から履いて出た履物そのままであり、生前初めてソウルに出てきた時の姿だったことがわかる。このような事実は家族の焦燥感をさらに高め、読者の興味を倍加する。あちこちに現れては一瞬で消えてしまう母の行跡は、彼女がすでに霊駕になったのではないかと、冷やりとした感じを与えもする。

母が結局この世を去っていたことが、第4章で確認されるが、いつどこでどのように生涯を閉じたのかは、最後まで明らかにされない。ただ、霊駕が自ら「この間の夏、地下鉄ソウル駅に一人取り残されたとき、私には三歳の時のことだけが思い出されたの。全部忘れてしまった私は歩くしかなかったのよ」(253頁)と語り、実際にしばらくの間すべてを忘れて歩き回ったと教えてくれる。そして霊駕が最後に自分の生家にたどり着いたとき、「お母さんが青いスリッパにぼこんとへこんだ自分の足の甲をじっと見つめていた」(254頁)という言葉で、青いスリッパが苦労の多かった霊駕の人生を象徴しているかのように示唆する。これは独特な訴えの力をもつ設定であり、このディテール自体は写実主義と非写実主義の技法の適切な配合と考えても差し支えないだろう。

19. しかし、人物と出来事および場所の写実主義的形象化がこれほど大きな比重を占めている作品に超現実的要素を引き込むことが、完全に成功したとは言い難い。違和感のあるディテールのうちのひとつは、死んだ母が鳥になってあちこちを飛び回るという設定である。仏教の伝統的な概念によれば、鳥の体でも授かればすでに中陰の身を免じたことであると柳熙錫も指摘しているが(柳熙錫、前掲論文、282頁)、「すでにあの世の人なのか?」というおばさんの嘆きに霊駕は「まだですよ。こんな風にうろつきまわっているでしょう」と独り言で答える(247頁)。まだ中陰にいるというのだ。しかし霊駕は鳥よりはるかに自由に移動できるのに、わざわざ通念に逆らって鳥になり飛び回る必要はあるのか、疑問である。この設定は物語の最後の場面に不必要な混乱をもたらしもする。第4章の末尾で、母が自分の母を見つけて抱きつく場面がある。この結末は感動的であり「お母さんは知っていたのだろうか。私にも一生涯お母さんが必要だったことを」(254頁)という最後の文章は、「お母さん」に対する固定観念を再度打ち壊す。しかしこの時、母の胸に抱かれる母は誰で、この場面を見守っている母はどこにどのような状態でいるのか? 「鳥になったお母さん」という設定がなかったなら、こんな無駄な問いが読者の頭を悩ませることはなかっただろう。

20. 細かいといえば細かいが、このような技法上の問題点は、実際、作家自身が最後まで解くことのできなかったこの作品の構造的な問題に端を発するのかもしれない。同時に、作家がこの構造的問題を抱いて格闘したという事実こそ、『母さん』が安穏と読者の感性を刺激するだけの通俗文学ではないという明白な証拠となるであろう。

第4章で超現実の世界へと視野を広げることで、小説は1,2,3章のありふれた話では明らかにならなかった「もうひとりの女」を読者に公開する。そしてこの女性は自分があれほど愛し、最後まで切々と回想していた田舎の家から出て行ってしまう女性である。「元気でね……私はもうこの家を出るから」(253頁)。しかしこの「もうひとりの女」の存在は、現実世界に残された家族には伝わらない。母を失った後の気づきのひとつひとつと認識の拡張のなかに、この決定的な真実は含まれていないのである。彼らは母親を見つけることもできず死亡を確認することもできないという、常識からしても耐えがたい状況に残されるのである。『母さん』は朴ソニョの物語であるのみならず、彼女を失った家族の物語として、すでに読者の心のうちに豊かに根をおろしていたのに、この人々のそんな苦境をどうしろというのだろうか?

雑誌連載版は第4章で終わるが、作家が「苦心の末に」(「作家の言葉」『母さん』297頁)エピローグ「薔薇のロザリオ」を書かざるを得なかったのも、この難題と無関係ではあるまい。エピローグが、長女のジホンがミケランジェロのピエタ像の聖母に母親のことをお願いすることで締めくくられていることに対して、評者の反応は分かれる。解説を書いた鄭弘樹(チョン・ホンス)は「私たちは今、もうひとつの圧倒的なピエタ像の前に立っている。ここに何の言葉を付け加えようというのか。母はこのように自らピエタ像になることによって永遠の帰還を果たす」(「ピエタ、その永遠なる帰還」『母さん』294頁)と共感するのに対し、柳熙錫は「母の超人的人生を回顧しピエタ像の後光で覆ってしまおうとする試みは、作家の意図とは関係なく、結局、母性の神話化または理想化の一助となってしまう公算が高い」(柳熙錫、前掲論文、281頁)と批判した。

21. 私自身も母親とピエタ像の同一視は、これまで苦労して描き出した母親の、その誰とも違う個別者的な生を単純化してしまうと考える。結末のこのような問題点もまた、4章までのストーリーが残した「難題」の延長線上にあるのではないか。エピローグで出会う兄のヒョンチョルやジホンの姿は、「哀悼」をきちんとできずに「鬱病」に陥った姿そのものである。ヒョンチョルの方は「感謝しているということを知っている人の人生が不幸であるはずがないだろう」(272頁)という認識に到達することで久しぶりに兄と妹は安らかな気持ちで母親のことを話す。しかしジホンは再び「なんでお母さんのことを帰って来られない人みたいに言うの!」(273頁)と、兄に食ってかかるが、こういう彼女が、母親が二度と戻ってこない人であることを認め、ピエタ像に「母さんをお願い」するのがエピローグの結末である。ここから、ジホンの方が母親を捨てたのだともいえるが、肯定的に読むなら、母親の失踪が永遠のものであるという状態で、ついに哀悼を果たし鬱病から抜け出した瞬間でもある。

これに関する崔元植(チェ・ウォンシク)の論評は注目に値する。「娘が『母さん』を捨てる前に『母さん』の方が先に娘をはじめとする家族を捨てたという点に注目しよう。この相互否定は何を語っているのか? もはや『母さん』として家族を維持することはできないという流れを認めることでもあるが、さらに積極的には、そのような家族の在り方は克服されるべきであるという判断が内在しているとも考えられる。犠牲の上に構築された『母さん』の生き方はもちろん、『母さん』に依存する娘の生き方もまた真の自由とはかなりの距離があるからである」(「都市を救う妙薬は?」『仁川世界都市人文学大会 発表論文集』仁川学研究院、2009年、180頁)。

難題を完璧に解くことはできなかったが、エピローグが必要であったことは確かなようだ。

22.  哀悼の話が出たついでに、一言つけ加えたい。申京淑の新作長編『どこかで私を呼ぶ電話のベルが鳴って』(文学トンネ、2010年、以下『電話のベル』)の刊行をきっかけに『母さん』を含む申京淑のいくつかの作品を「哀悼」というテーマから読み解いた評論が申亨澈(シン・ヒョンチョル)の「誰も哀悼しすぎることはできない――申京淑の小説と哀悼の倫理学」(『文学トンネ』2010年秋号)である。申京淑文学と『母さん』への鋭い洞察が込められた評論であるが、『母さん』の読解は哀悼を軸にしすぎなのではないかと思う。作家自身が喪失の悲しみよりも自分の母親と久しぶりに何日かを過ごした「幸福感」(「作家の言葉」296頁)に突き動かされてこの小説を書いたと告白していることも考慮すべきだし、『母さん』はその構造上、十分な哀悼を不可能としている点が見過ごされがちなのである。

もうひとつの問題点は、「哀悼」というテーマを軸に『電話のベル』を『母さん』と同列に置くことによって、前者への批判が後者へと連動してしまうところにある。実際、申亨澈は両者を完全に同列に置いているわけではない。叙事を哀悼の倫理学に到達させるためにさらに問うべきものとして「第一に、哀悼の営みは主体をどのように変化させるのか。第二、その主体のために共同体は何をすべきか。このようなコンテクストから見れば『電話のベル』は何かさらに問わねばならないその瞬間に物語が終わったのではないかと思う」(申亨澈、前掲論文、95頁)と指摘する。しかし「哀悼」という言葉ではなかなか捉えがたいこのような基準を適用するなら、『電話のベル』は『母さん』とは正反対に、余りに哀悼の「深い悲しみ」に濡れているがゆえに、その哀悼に読者を引き込むことさえままならないと見るべきではなかろうか。たとえば、87年の六月抗争に直接的・間接的に連累した若者たちを登場させるのであれば、1987年が一体どのような時期であり、2010年の時点で過ぎ去った四半世紀の歴史をどのように見るのかについての作家自身の省察をたとえ迂回してであれ投影するべきだったのに、小説を書く人間がそのようなことまで知るものかというような考えだったとすれば、これは作家の想像力の行使を過度に局限する態度になってしまうだろう。

23. 2000年代の韓国小説の活力を論じるためには、長編に比べればまだしも韓国の作家たちの芸術的努力が集中的に発揮される短編文学の豊かな成果を論じてこそ妥当というものだろう。しかし、やむなくこれを除いて長編についてのみ語ったとしても、2000年代の成果がそれほどお粗末だったわけではない。2000年代初めに出た黄晳暎(ファン・ソギョン)の『客人(ソンニム)』(創批、2001年)が我々の時代の意義深い成果だったことは(私なりの批判的見解とともに)別稿で述べたことがあるが(拙稿「黄晳暎の長編小説『客人』」『統一時代の韓国文学の価値』創批、2006年)、最近になって多くの脚光を浴びた黄貞殷(ファン・ジョンウン)の『百の影』(ミヌム社、2010年)や、読者の好意的反応に比べて評壇では別段注目されなかった金呂玲(キム・リョリョン)の『優雅な嘘』(創批、2009年)などは皆、私が最近読んだ秀逸な小説である。朴玟奎(パク・ミンギュ)は『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』(ハンギョレ出版、2003年)、『地球英雄伝説』(文学トンネ、2003年)そして『ピンポン』(創批、2006年)のすべてが問題作であるが、『死んだ王女のためのパヴァーヌ』(イェダム、2009年、以下『パヴァーヌ』)は、さらに円熟の境地に達した傑作だと思われる。

24. ところが評壇の反応は多少そっけない方だった。朴玟奎の仕事に冷淡な評者についてはさておいても、彼の他の作品に賛辞を送っていた評者もまたこの作品に対しては留保を見せたり、少なくとも本格的にその成果を論じることはなかったようである。たとえば朴商準(パク・サンジュン)は、朴玟奎小説の全般にたいして積極的で説得力のある評価をしているが同時に『パヴァーヌ』の「光り輝く想像力の成就」(「限りなくみすぼらしい人類に贈る朴玟奎の霊歌」『クリティカ』4集、145頁)を指摘しつつも、詳細な作品論は展開していない。韓基煜もまた「この小説の恋愛ストーリーは、実際、勇敢な芸術的試みでありその成果も並大抵のものではない」(「文学の新しさと小説の政治性」410頁)との賛辞を送りはするが、もう少し詳しい分析が欲しいところである。そのうえ、彼の分析は小説の最後「Writer’s cut」で起こる反転への目配りが足りていないようだ。この結末に関しては後に論じよう

25. 本稿で本格的な『パヴァーヌ』論を展開するだけの紙面はない。さらに、『母さん』もそうだが、『パヴァーヌ』も直接手に取って読んでいない人に、作品から受けた感動や幸福感を伝えるのはとても難しい。作品を過小評価させている要素も『母さん』と同じくらい多い。大衆的な通俗文学に近いという同種の疑いをかけられうるのである。純粋な若い男女の切なく美しい恋愛ストーリーであるうえに、著者の叙情的で郷愁に満ちた懐古調の文体が目をひくからでもある。同時に、話者および作中人物が世相や人生について断固とした批判するのだが、それが時に冗長で、むしろ常に正しくあろうとする正解主義を加味しているのではないかとの疑いまで呼び込みうるし、最後の独特な反転もまた単に才能をひけらかしているとか、甚だしくはストーリーを混乱させていると読まれる恐れがなくもない。
死んだ王女のためのパヴァーヌ

26. 「雪降る中に彼女は佇んでいた」(『パヴァーヌ』9頁)で始まる最初の場面はまさに映画のワンシーンにすべきロマンチックな雪景のなかで何ゆえか非常に困難に再会した二人の青春男女の悲しく切ない愛を紹介する。この時、作品の真価を確認するひとつの方法は、映画ではとても再現できない作家の計算と小説的形象化作業がどれほど作動しているのかを考察することであろう。もちろん、映画としてきっちり作れば、雪景色の美しさだとか音楽が流れる人里離れた喫茶店の雰囲気といったことも、小説よりも生々しく再現できるであろう。しかし、たとえば次のような一節を映画化するのは不可能ではなかろうか。

 

突然彼女は頷いて、両手をもちあげ自分の顔を手のひらに深くうずめた。そんな姿勢で泣く大人を見たことがなかったからだろうか、泣くんだな――とは思わなかった。ただ、子どもみたいな彼女……小さいころからの……彼女、生まれる前の彼女……これから年を重ねゆく彼女……そんな彼女の存在のひとつひとつが急に降り出した雪のようにその場に積もっている気がした。彼女は、あるいは彼女たちは、少しも声を出さなかった。じっさい、彼女は泣いておらず、しばらく泣くのを我慢していただけだった。いや、というよりは、上下する彼女の肩だけがその日その場で少しの間泣いていただけだった。涙のない顔をあげて彼女は僕を見て、僕に向かって……あるいは僕の肩の向こうの、言葉のない暗闇に向かって力なく呟いた。
抱きしめて。(原文の活字はピンク色―‐引用者)
周りの木のように冷たい彼女の体を僕は力いっぱい抱きしめた。彼女は……いや……彼女のなかの彼女と、その彼女のなかの彼女……またその彼女のなかの、年輪のように刻まれているすべての彼女たちを、僕は抱きとめたかった。とても熱い何かが、ぴったりくっついた胸をとおって流れていき、流れ込んでくる気がした。(30-31頁)

 

もちろんこの一節が小説として成功しているのかどうかは、作品全体の文脈のなかで判断すべきである。たとえば「年輪のように刻まれているすべての彼女たち」という表現に、実際にどのような意味が込められているのか、彼女の泣く(あるいは泣くのを我慢している)姿が、愛が花開き始めた日に「私……すごく不細工よ」(178頁)とすすり泣いていた時の姿とどのような響きでもってつながるのかなどが問われるべきである。とにかく、映画においてこのような一節をそのまま伝えるためにはナレーションで処理するしかないだろうが、冗長すぎるし語りすぎているように感じられるのが関の山である。もちろん有能な監督なら、映画でしか出せない効果を使って映画としてこの場面を成功させることもできるだろうが。

この場面に至るまでの紆余曲折を叙述した挙げ句に、ついに345頁に「雪に降られて彼女は佇んでいた」という冒頭の文章へと返るのも、長編小説のみが駆使できる手法である。映画においてもストーリーの中間地点から始まってフラッシュバックしながらだんだんと内容が知らされていくという技法はありふれているが、映画であれば余りに多くのことを余りに長く隠しておくことは難しい。さらに不可能なのは、この場面で作家がわざと隠している決定的な要素を、映画でも隠しておくことである。このストーリーの核心ともいえる事実、すなわち「彼女」が恐ろしく不細工な女性であるという事実を、カメラが回避しながら自然に叙事を進める方途はない。

27. 彼女との最初の出会いは第3章になってようやくなされるのだが、この場面もまた映画で形象化するのは難しい性質をもつ。いや、小説でもこの小説のみが伝えうる独特な経験である。「一瞬、体が凍りつく感じがした」(82頁)と始まる話者の叙述は「あ! 誰かわかった、私も最初はトンカチで後ろ頭を殴られたみたいなもんだったから。あの子は……本当にひどい」(84頁)という友達の反応と決して同じものではないが、かといって「一目ぼれ」とも違う。彼自身も深く傷ついた人間であるうえに、もうひとりの傷ついた人間ヨハンの助太刀と少なからぬ偶然、そしてその時ごとに露わになる二人の真実が作用してだんだんと愛が芽吹いていくのである。ここでもうひとつ付け加えたいのは、ヨハンを含む3人皆が高度の知性と豊かな教養をもっていることである。韓国小説でこれだけの知性をもった人物をこれほど自然に、かつ面白く描いた作品も珍しいのではないだろうか。

28. 「おそらくこれは不細工な女と、不細工な女を愛する男を描いた最初の小説となるだろう」(「作家の言葉」416頁)と朴玟奎自身が語っているように、『パヴァーヌ』は非常に独創的な試み、すなわち韓基煜が言うところの「勇敢な芸術的試図」であることは明らかである。同時にそれは単に奇抜だとか挑戦的な素材を開拓したとかいうものではなく、朴玟奎が自らの作品群をつうじて一貫して表出してきた、徹底的な反体制的思考をもう一歩押し進めたものである。

 

世界を壊すのは独裁者たちだって? いや、それはあそこにあふれる馬鹿どもだ。(155頁)

 

恥ずかしがって恥ずかしがって恥ずかしがって……結局それが平凡な女たちの生き方なんだ。男だって同じさ。
それが人間なんだ。(……)おかしいって思ったことないか? 民主主義とか多数結(多数決の誤植と思われる――引用者)だとかいいながらもなんで99%の人間が1%の人間にたいして何もできずに生きてるのか。(……)それはずっと
恥ずかしがって
恥ずかしがっているからだ。
お前も、俺も……人間はみんなそうさ。(174頁)

 

ヨハンのこの発言は、これだけ見てもとくに新しいことはないニヒリスティックな独白かもしれない。しかし、ヨハンはまたこんなことも言う人間である。「世界なんてものは、結局個人の経験値だ。(……)だから生きるってことはこんなことだとかなんとか、みんなそうして生きているじゃないか……そんなこと言ってられないって」(164頁)。「現実は絶対にそうじゃない、って言うことは、自分はそれ以外のことを想像できない――って言ってるのと同じだろ」(226-227頁)。

さらに重要なのは、作中の出来事がヨハンのニヒリズムを修正していくという事実である。「それが人間だ」という断定的発言を聞いた時でさえ話者は「整理できないいくつもの窓を、簡単な一つの窓で切り取ってしまえる能力をヨハンは持っていた」(124頁)と感心するが、翌日に二日酔いから醒めると「これが人間だろうか」(125頁)とつぶやき、その日すぐに出勤して衝動的に「俺と友達にならない?」(128頁)と彼女に声をかける。

29. 人生の可能性にたいするこの信頼がゆえに、彼は、一時自信を失って姿をくらましていた彼女をどうにか見つけ出し、小説の最初の場面の感動的な再開を果たす。そしてこの出会いの後、帰途に就く雪道でバスの事故に遭い瀕死の状態に陥った彼は、彼を「紛失」した後、結局ドイツに行ってしまった彼女を、風聞を頼りに探し、13年ぶりに愛を取り戻すことになる。この時、気まずい思いで分かれるところだったが、行っては戻り、「もうこんな風に別れるのは嫌よ」と先に口にするのは彼女である(381頁)。そうして小説の最初の場面で二人が夢見ていたユングフラウへの旅を共にする「ハッピーエンド」さえ可能になるのである。

このように要約すると途方もなくロマンチックなファンタジーに聞こえるが、実際、物語の運びは写実主義的蓋然性にも大きな無理がないほど、その形象化は精巧で迫真に迫る。ただ引っかかるのは、かといって余りに結末が甘いのではないかという点だ。たとえばヨハンなど3人は「地球上のすべての人が熱狂したハッピーエンド」というポスターが貼られた映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を見たあと、一様に憂鬱になり「けれどなんだか私は地球人から除かれた感じを受けざるをえなかった」(165頁)と漏らす。さらにヨハンは二人の愛を祝福しつつも「鍵をくれたのはお前でも彼女でもない。世界だ」(219頁)と警告している。最終章「ハッピーエンド」は、このさまざまな要因をきちんと受け止め、打ち勝ったのだろうか。

30. そうではないという答えを出しているのが、付録のように付け加えられたWriter’s cutの最初の場面、「ヨハンの物語」である。ここで明らかにされる事実は作中の話者「僕」があの日の交通事故で結局死んでしまい、彼の話はヨハンが仮想的話者を立てて書きあげたものであり、ヨハンはこの小説を自分の妻となった「彼女」に読ませるというものである。この反転が事実と符合する点は、後に続く「彼女の物語」が証立てている。いうなれば、話者の回想とそれを回顧する話者のその後の生を結び合わせたストーリー全体が、額縁小説の額縁の中に配置されてしまうのである。

31. このように額縁小説と化すことで、さまざまに微妙な効果が生み出されてもいる。メインストーリーのうち、蓋然性に多少劣る場面だったヨハンの自殺の試みや「町はずれで起こった小さな交通事故が新聞を飾るわけもなかった頃」という理由で彼女が、彼の交通事故を知らなかったという設定は、ヨハンが話者の死を否定するために仕掛けたものであることが明らかになる。ヨハンがヨハンらしくなく上手に小説を書いたという疑問は、そもそも小説家志望だったのは作中の話者ではなくヨハンだったという彼女の指摘で解明される。またこれよりはるかに重要なのは、小説の最初の場面を締めくくる「それが、私が見た/彼女の最後の姿だった」(33頁)という文章が幾重もの響きをもたされるところにある。すなわち、読み始めは好奇心と漠然とした名残惜しさを起こさせるくらいだが、その「最後」の時点が話者が文章を書いている時点を基準にしての「最後」であることがわかると、果たしてそんな風に終わるだろうかと疑問に思っていた読者も、最終的には幸福な出会いで終わるのを見とどける喜びを感じたが、結局それが話者にとっては文字通り「彼女の最後の姿」だったことが明らかになるのである。これとともに、最初の場面がまさにそこに配置されていたことの意味も確認される。ヨハンが書いたフィクションではなく、「彼女」と「彼」がともに経験した最後の瞬間が、その時だったのである。

32. しかし、Writer’s cutは「そして、彼の物語」という最後の舞台でもう一度覆される。「ハッピーエンド」の話者が再登場し、下山する登山列車を待つ二人の話を引き継ぐ。額縁のなかの人物が額縁の外に歩きだすとでもいおうか。しかし、すでに「彼女の物語」をつうじて額縁の事実的権威が確認され、追加された「彼の物語」には彼にだけ聞こえる「小さな女の子の笑い声」(411頁)のような神秘的な要素が混ざっているがゆえに、完全な再反転ではない。かといって、二つの対等な結末を提示しつつ、いわゆる真実の不可知性または不確定性(undecidability)を打ち出す装置でもない。まさに「彼」が死んだがゆえに「だから彼が生きている物語を絶対に書いてみたかったんだ」(397頁)というヨハンの念願を作家が一縷に支持しているだけである。額縁のなかの幸せな結末に非現実的な側面があることを是認しながらも、この幸せを「非現実的」にする「現実」を唯一のものと認めまいとする作家の意志が表現されており、「ワーワー騒ぎ立てず、へいこらもしないようお願いします」(「作家の言葉」418頁)という訴えとともに「別の世界は可能だ(Another world is possible)」という彼なりの信仰告白なのだろう。

33. 世界的な視野から見るなら、韓国文学の貧困は未だ厳然たる事実である。この点から目をそむけることも、誇張することも貧困を存続させる一助にしかならない。また、学識をひけらかしたり自己耽溺しているような批評言語が乱舞すること自体が貧困の症状であるうえに、まだしも存在する活力を減退させてしまうことにもなる。しかし、本稿で断片的に考察した批評および創作における活力が簡単に散り去ってしまうことはないだろうし、とくに韓国社会が87年体制をようやく乗り越えんとする政治的・道徳的力量を見せるなら、文学においても新たな跳躍を期待してもいいだろう。グローバルな次元では市場による文学の荒廃化がしばらくはむしろ加速する趨勢にある現在、2010年代には韓国文学が世界文学および東アジア地域文学の、ひとつの大切な拠点として位置づけられるのではないかという予想も、十分にできるのではないだろうか。(*)

 

〔翻訳〕= 金友子
季刊 創作と批評 2010年 冬号(通卷150号)
2010年 12月1日 発行
発行 株式会社 創批

 

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