2013年体制は新たな「コリア」づくり : 船を作る前に荒立つ広大な海を先に見よ

2011年 秋号(通卷153号)

 

特輯 | 「李明博(イ・ミョンバク)以後」を準備して

 

 

金大鎬(キム・デホ)
社会デザイン研究所所長。著書に『デウ自動車さえも救えない国』、『ある386の思想革命』、『進歩と保守を超えて』、『盧武鉉(ノ・ムヒョン)以降:新たな時代のプラットホームは何か』などがある。itspolitics@naver.com

 

 

 

大観小察

 

米国内の世論調査で、ビル・クリントン元大統領はケネディ、レーガン元大統領と共に在任中の国政運営を高く評価された大統領の一人として選ばれた。彼は、記者にその秘訣を問われると「第一に、自らの導くべき国家に対する完璧な理解が必要である。歴史の潮流の中で自国がどの辺に位置しているのかを見据え、それをベースに国民を統合し、その力量を結集させなければならない。第二に、世界の流れを読み、国家及び世界を如何にして一層繁栄させていくかを知っていなければならない。そして最後に、世界に対する責任意識を持つことだ。」 『朝鮮日報』2005. 2. 24。と答えた。

歴史の潮流の中で国家がどの辺に位置しているかを見据えることを一般的に「歴史感覚(sense of history)」という。これは、過去、現在、未来を繋ぐ線上にて国家の位置と方向を把握することを意味する。また、世界の流れを読み取ることを一般的に「国際感覚」という。自分自身について正確に知るためには他人との比較が必要なように、自国について完璧に理解するためには、他国と世界を知る必要があるのだ。我々がOECD指標を重視し、参考にしているのもそのためである。歴史感覚と国際感覚には、思考の視空間的な拡張が要求される。そうでなければ、自らの位置(位相と客観的な立場)と世界の流れ(方向とスピード)を把握することは不可能である。導くべき国家を正確に理解するためには、物事を近くで顕微鏡で覘くことも、また遠く離れて望遠鏡で見通すことも必要となる。就職事情、企業と家計の状況、健康と犯罪の変化、職業と結婚相手の条件などのような微視的な流れを把握しながらも、産業構造、雇用構造、政治構造の変化などの巨視的な流れと共に世界化、知識情報化、気候変化、中国の浮上などの世界的流れも読まなければならない。

 

2061年に編纂される「コリア」の歴史

 

我々の未来を望遠鏡で見通して見よう。50年後の2061年、我々の子孫が学ぶ「コリア」の近現代史教科書を想像してみたい。21世紀の10年間を集約する場面としてどのような出来事が記述されているだろうか。6・15南北首脳会談、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の当選と悲劇的な死、「魂を売ってでも就職したい」という若者たちの叫び、最悪の出産率や自殺率を表したグラフなどが恐らく記述されているのではないだろうか。その中でも1990年以降の韓国の自殺率グラフと老年層の自殺率の国際比較グラフは間違いなく含まれていよう。OECDは老年層の自殺率(10万人当たりの自殺者数)を表記するため、基本的に5人、10人、15人といった5人単位で増加する目盛りを使用しているが、韓国の急増する老年層の自殺率を表記するために20人、40人、60人、80人(…) 160人と増加する別途の目盛りを作ったほどだ。

1980年代初から現在までの韓国の自殺率グラフを見ると、90年代に入って急増しており、まるで穏やかだった海に大波が押し寄せたかのような推移を見せている。特に65歳以上の老年層の自殺率グラフは、巨大な津波を連想させるほどである。自殺という行為が個人的な行動であるとはいえ、その原因を想像することはそう難しくはない。微視的、且つ直接的な原因は、老齢年金制度の不十分さであろう。勤労所得であろうが、財産所得であろうが、私的移転所得であろうが、老年層が所得を得る機会は殆んどないのである。巨視的、且つ間接的な原因としては、急激な核家族化(大家族共同体の解体)と都市化、家計における教育費の負担、中国発の産業構造調整の圧迫、ベンチャー中小企業の足を引っ張り結果的に雇用の創出を妨げる既得権過保護の労働・金融・流通市場及び元・下請関係、付加価値を国内化する能力(付加価値誘発係数)と雇用を創出する能力(雇用係数)が著しく低い産業構造などが挙げられるだろう。韓半島(朝鮮半島)の気候、及び日射量と韓民族の性情と文化、絶対的な富のレベルなどを総合すると、韓国はギリシャ、スペイン、イタリア、メキシコなどのラテン系の民族のように決して自殺率が高いはずのない国家なのである。このような現在の自殺の洪水、特に老年層の自殺率の高さは90年代後半の北韓(北朝鮮)の大量飢餓事態のように、一種の社会的大虐殺として記録されるのはないだろうか。

しかし、老年層の自殺率の高さを深く掘り下げてみると、我々の現在の苦痛と葛藤の殆んどが、同一の原因から生じていることが分かる。そこには、急激な社会的地殻変動により変化の巨大な圧力が押し寄せているにも関わらず、それを的確に把握することも対応することもできない政治社会的な構造と無能が存在している。そして、その中心には韓国政治と知識人社会の脆弱な現実判断と解決能力、そして低劣な「願」が横たわっている。それゆえに、国家が福祉によって社会的な弱者を十分に保護することも、正義により社会的な強者を十分に支配することもできなかったのである。

 

古きものは枯れゆくが、新たなものは生まれない

 

2061年に「コリア」の近現代史の時代区分を行う歴史家がいるとしたら、現在をどの時代の範疇に編成するだろうか。恐らく、戦後の復旧が本格化された1950年代半ばから1980年代後半までの約30年間は冷戦と分断体制下にて南北がそれぞれ東西両陣営の優等生として発展してゆく時期として記録されるだろう。そして、2010年代半ばからの約30年間は、寿命の尽き果てた南北の発展体制と分断体制を解体し、平和繁栄という新たな発展体制を作り上げていく時期として、その後の約30年間は「コリア」の再統合が行われ、韓民族が世界史的使命を実行していく時期として記録されるかもしれない。是非ともそう記録される歴史を作っていきたい。今が新たな発展体制を模索する大転換期であると主張する理由は、過去30年間、韓国は勿論のこと、欧州、米国、日本、中国、インド、南米などの殆んどの文明国では、それ以前の数十年間とは全く違った変化を求める大衆的な熱望を背景に、民主主義や市場経済を改革しようとする試みが数多くなされたからである。

これまでの韓国社会の政治社会的な最大の関心事は改革と統一であった。1987年の6月抗争と労働者大闘争を主導した民主・労働勢力は、早くから画期的な変化を意味する革命、改革、統一を唱え、叫び続けた。歴代の大統領たちも同様であった。新たな時代(全斗煥(チョン・ドゥファン))、偉大な普通の人の時代(盧泰愚(ノ・テウ))、新韓国(金泳三(キム・ヨンサム))、第2建国(金大中(キム・デジュン))、新たな大韓民国(盧武鉉)、先進化元年(李明博(イ・ミョンバク))などのスローガンがその証拠である。6月抗争と共に大転換の分岐点と見做される金大中政府は、80年代から先進国や中国、インド、南米、東欧諸国、東南アジアなどが共有していた政治(民主主義)と経済(市場経済)改革の原理に誠実に従ったと言えよう。

ところが、主要な経済社会指標である成長率、雇用率、(青年)失業率、上下層10%の賃金の格差、出産率、自殺率、労使紛争、教育関連指標、政治社会的な葛藤などをみると、大韓民国は依然として体制の大転換期に留まっている印象を受ける。勿論、殆んどの国家が1980年以降、経済社会的な危機を迎え、これを打開するために政治、経済、金融、福祉、労働システムなどを改革している。この過程で激しい政治社会的葛藤が生じた。全般的に貧富の差が拡大し、国家負債の比率も上昇した。しかし、現在は自国の進むべき方向に関して、主要な政治社会勢力の間でかなりの一致がなされている。大転換の先頭に立っていた米国と英国では、過去30年間、保守党(英国は保守党、米国は共和党)と進歩党(英国は労働党、米国は民主党)間で2、3度の政権交代が行われている。この過程において、お互いに相手の合理的な核心を吸収したため政権交代による経済社会政策の変化はそれほど大きくなく、政治社会的な葛藤も激しくはなかった。統一後、長い間「ヨーロッパの病者」扱いを受けていたドイツは、持続的な内部改革によって2008年の金融危機以降、「ヨーロッパのエンジン」として生まれ変わった。日本、ロシア、ブラジルも長期間にわたる沈滞のトンネルから抜け出した。さらに、最も劇的な体制転換を成し遂げた中国は1989年の天安門事件など、改革の波に煩いはしたが、難局をうまく収拾し、現在は「今日よりは明日の方が、現世代よりは次世代の方がはるかに暮らしやすく、近い将来中国が世界最大の経済大国になるだろう」という楽観的な見通しが社会全般に広がっているという。

しかし、韓国の30代以上の国民は、自分自身は親の世代よりも教育や職場、収入においてよりよい環境を与えられているが、次の世代は、今よりも恵まれた環境になるとは思えないという悲観的な見方をしているようである。世界最悪の出産率と自殺率がそのことを物語っている。今の大韓民国は、民主、進歩、改革、平和、福祉などにより自分のアイデンティティーを表出してきた人々の望んだ世の中とは全く違うのである。金大中・盧武鉉政府の望んだ世の中でもなく、「失った10年間」や「先進化元年」などを叫び続けた人々の望んだ世の中でもない。そして、何よりも深刻な問題は、誰が権力を握ろうと、いくら待っていようと、我々の望むような社会にはならないだろうと多くの国民が思っているという事実だ。

実際、米国、英国、日本、中国のような政治の安定した国家にも、なかなか解決できない慢性的な問題は存在している。米国の医療費の過重な負担、銃器問題、人種葛藤問題、そして中国の共産党の一党体制、貧富の差、少数民族問題などがそうである。しかし、これらの国家はその主となる政治集団や知識人社会が、自国の問題が何であり、現在どの辺に位置しているのかを大方把握しており、それなりに戦略的な解決方向を定め、比較的誠実に取り組んでいる。ところが、今の韓国の既得権団体は、何が問題で、どこから手をつけていいのかさえも分からず、分かったとしても強固な既得権による秩序に妨げられ、何もできない場合が多い。やっとのことで考え出した解決策も、まるで曲げられたコインの突き出た面は考えず、窪んだ面だけを元に戻そうとするかのような可能性のない試みばかり繰り返している始末だ。このように進歩と保守の核心的な価値及び政策の具現がなかなか進まなかった結果、何の根拠もない「魔女狩り」のようなことが横行し始めた。 社会の元凶としてターゲットになった魔女の名は「左派政権」と「新自由主義」である。例えば、検索エンジングーグル(google.com)で「新自由主義」を打ち込むとハングル文章423万件、「neoliberalism」を打ち込むと英文文章213万件が表示される。一方、「自由主義」と「liberalism」はそれぞれ357万件と1690万件、「民主主義」と「democracy」は2690万件と1億7300万件、「正義」と「justice」は850万件と6億件が表示される。ウェブ文章の絶対量を考えると、韓国では「新自由主義」という言葉が非常に多く使われていることが分かる。はけ口のない怒りと不満は、時に爆発的な噴出を引き起こし、政治的な地震と火山を作り出す。前回の総選挙と大統領選挙での極端な保守への片寄り、その数ヵ月後に沸き起こった大規模なキャンドル集会、そして最近の「希望バス」現象などがそうであろう。これは、結局、歴代大統領たちの任期末と退任後の受難として、そして集権勢力の礼儀なき屠殺として現われている。ゆえに、50年後の「コリア」の近現代史を研究する歴史家は、今の時代を「古きものは枯れゆくが、新たなものは生まれない」過渡期の頂点として規定するのではないかと思われる。

 

1953年体制の解体

 

国家と政治の本領は、外部の挑戦(軍事的侵略、環境的災難など)から共同体を守り、構成員の思考と行為を規律する秩序(哲学、価値、制度、文化など)を定め、物質的・文化的な生産力を極大化することである。この秩序の核心は、勝者も敗者も不満なくその結果に納得できる規則でなければならない。多様な「価値を生産する生態系」を健全にするための社会的な動機付与体制、又は賞罰体制とも言えよう。そのような意味からすると、現在、我々が守り、従ってきた主要な秩序はまさに根本から揺らいでいると言えるのである。大韓民国の建国、産業化、民主化、通貨危機の早期克服など、目覚しい躍進を支えた様々な秩序の寿命は尽き果て、大規模な再建築レベルのリニューアルが必要となっている。政治集団と知識人社会は新たな体制、新たな国家を作り上げるための根本的な省察が要求されているのだ。韓国社会だけでなく、南北全体を規律する最も土台となった秩序である1953年体制の寿命が尽き果てたという事実は疑いようのない事実である。この体制を作り上げ、維持できた決定的な要因であった東アジア冷戦の対立構造は既に終わっている。もはや韓国は「赤化統一」に脅威を感じたりしておらず、体制競争においても圧倒的な勝利を収めた。現在、南北間の緊張関係は保守傾向の企業と金融に大きなリスクとして作用している。さらに、53年体制の形成過程で多くの勲章を手にした人物たちの生物学的寿命も果てつつある。90年代半ばから疑問死されていた北韓の体制の耐久力もある程度は証明され、韓国の北に対する強硬政策の限界も見え始めた。李明博政府が3年余り固く守ってきた「非核・解放・3000」という対北政策の基調を自ら廃棄、及び変更させようとしていたことが北韓の秘密会談の内容暴露を通して明らかになった。「後天性分断意識欠乏症」患者、或いは赤化統一を恐れる「被害妄想」患者でない限り、今後数年間は韓国政治の最優先課題の一つが1953年に公告された分断体制の解体、再編であることに異見はないだろう。その再編の内容は、最低でも2000年の6・15首脳会談、2005年の9・19共同声明、2007年の10・4宣言を実行することである。また、南北が同時に歴史の分岐点となるべく画期的な合意に至ることも考えられるが、この画期的な合意とは白樂晴(ベク・ナッチョン)の指摘通り 、 白樂晴「「2013年体制」を準備しよう」、『實踐文學』、2011年夏号、参照。「平和協定の締結、北米修交、大規模な経済支援と共に北韓の吸収統一に対する脅威を減少させることのできる韓半島の再統合過程を安定的に管理する国家連合の建設」と「韓半島の完全な非核化合意」ではないだろうか。いずれにせよ、南北関係の画期的改善には、外交、国防、財政、産業(南北の分業、物流、北韓のSOC投資など)における秩序の大規模な再編が要求される。

この他にも人類の生活様式全般にわたる大転換が要求される巨大な変化が押し寄せている。気候変化と環境生態の危機、エネルギー・資源の危機、国際通産・産業秩序の変化(FTA、域内経済共同体など)、中国とインドの政治経済的な非常事態、人間の疎通・関係の方法の変化(SNS、インターネット)などがそうである。その一つ一つが我々の生活と国家システムに多大な影響を与える重要且つ厳しい問題あり、これらにどう対応していくかも2012年の総選挙と大統領選挙により構成される新しい行政部の難題となるだろう。

 

問題は1987年体制

 

現在の韓国は、政治の不十分な統合調整能力と強硬な既得権構造のため、実際的な変化を導くことは容易ではないが、国民の大多数は、分断体制の解体、全人類的な危機に対する対応、福祉支出の画期的な拡大の必要性には同意している。けれども朴正熙、財閥、官僚、金大中、民主・労働勢力などが主導的に築き上げた発展体制に再建築レベルでのリニューアルが必要だという事実を痛感している人は多くない。実際現在の韓国人の生活を規律している基本秩序は1953年体制と1987年体制と言える。「株式会社韓国」又は「官治経済」体制と呼ばれる1961年体制は、政治的には1979年の10・26と1980年の光州(クァンジュ)民主抗争により致命傷を負い、1987年の6月抗争、 7~9月の労働者大闘争、直接選挙制への改憲、そして1988年の総選挙により解体された。経済的には、1997年の通貨危機とその後の急激な経済改革により解体された。70年代に入り、限界を見せた「朴正熙システム」を清算しようとする努力は、全斗煥政府から始まり、6月抗争と韓国資本主義への自信回復(3低好況)を背景に民主化・開放化の流れに乗った盧泰愚・金泳三・金大中政府によりほぼ完結された。「官治経済」体制の清算に関しては、80年代の民主・民衆・市民勢力だけでなく、「1盧 (盧泰愚)3金(金泳三・金大中・金鍾泌)」も、財閥大企業も、保守の知識人社会も意見はほぼ一致していた。そのような意味で1997年の通貨危機以降、金大中政府の主導した経済改革は帝国主義の列強が植民地に対して暴力的に植え込んだ秩序とは全く異なったものであった。そのスピードとレベルに対しては意見が分かれており、特に組織労働の反発は強烈であったが、全般的に当時の経済界と市民社会の常識と一致していたとの見方が多数だ。決して、民営化、規制緩和、労組弾圧、小さな政府、福祉の縮小などを特徴とするサッチャーとレーガンのような新自由主義改革ではなかった。要するに、金大中政府の経済改革は、大きな枠組みで見ると、韓国の民主主義と市場経済の正常化を追求した87年体制の延長(経済界)と見做すことができる。勿論、当時の組織労働の反発も、最近の非正規職の撤廃闘争や双龍(サンヨン)自動車と韓進(ハンジン)重工業の籠城闘争なども87年体制の延長(労働界)であるのは同じだ。それは、87年体制自体が、経済社会モデル(国家ビジョン)に対する合意のない独裁権力による国家、市場、社会への不当な干渉と抑圧を撤廃し、個人及び集団の自由な権利と利益追求の自由を保障し、選挙を通して政権交代の可能な国家を目指したものであったからである。「97年体制」という用語を敢えて使わないのは、この用語が通貨危機以降の韓国社会の変化の一側面である自由主義と市場主義だけを過剰に強調しているだけでなく、新自由主義とひっくるめて、代案の曖昧で無謀な「新自由主義に反対」という偶像を国民の脳裏に植え付けてしまうからである。 また、金大中政府の改革が強引ではあったが、基本的に経済民主化、自由化、開放化、国家競争力の強化というものは80年代半ば以降、ソ連と北韓のモデルを追及した一部の急進左派を除く市民社会においては確固たる常識であった。勿論、時代の常識が具現されたからといって問題がないわけではない。時代の常識が具現されたにも関わらず、深刻な欠陥のために韓国社会が誰も望まなかった社会になってしまったということは、常に深く幅広い省察が必要であることを物語っているのである。

 

87年体制の濃い影

 

87年体制は、下からの広範囲な大衆動員(民主化運動)により誕生した体制である。また、独裁勢力及び保守の既得権勢力と野党及び民主化勢力の妥協により誕生した体制でもある。その産物として得た5年単任制の大統領直接選挙という憲法システムは、基本的に独裁の防止にその重点が置かれ、責任政治や有能政治など、その他の多くの価値を失ってしまうものであった。小選挙区の単純多数得票制を採択している国会議員の選挙制は、1区2名の当選を保証していた既存の制度よりも、当時の与党(民正党)にとって不利であったことは確かだ。しかし、基本的には「3金」の分裂を狙う与党の「漁夫の利」策略とソウルと全羅道(チョルラド)に支持層の集中していた金大中の策略が結合したものであった。予想外に反民正党の感情が強く、民正党の「漁夫の利」策略が無力化してしまったが、この制度によって、有力政党の地域分割・独占の構図は一層強く固まってしまった。1995年から実施された地方自治体の首長選挙により有力政党の物質的な基盤は画期的に強化された。現行の国会議員の選挙制は、不動産開発の巨大な利益を私有化することを可能にした土地所有制度及び租税制度と結合し、国会議員を国民全体の代弁者ではなく、道路や橋や空港を新設する予算を国から受け取り、自分の不動産の価値を上昇させる「地域(不動産)開発の仕事人」へと転落させる可能性が高い。これは、進歩と保守の政策的な空振りの連続から生じたものの一つと言えよう。

87年体制は「檀君以来の最大の好況期」と言われた「3低(低金利・低原油価格(原油安)・低ドル(ドル安))による好況期」に生まれた体制であったため、パラダイム上の変化を要求する声は弱くならざる得なかった。さらに6月抗争と7~9月の労働者闘争を主導した勢力は、農業国から僅か30年足らずで自動車や半導体のような商品を先進国に輸出する画期的な躍進を遂げた韓国型資本主義体制と根本的に違った経済社会モデルを持っていなかった。1987年以降の労働運動は、収益性と交渉力の高い大企業の労組によって主導されたが、その哲学と情緒は一言で「団結すれば力が増し、闘争すれば勝ち取ることができる」であった。大企業の労組の先導的な闘争により勤労条件を向上させれば、その影響は周辺地域や同種産業へと波及し、労働者全体の勤労条件の向上につながりながら私益と公益が完全に一致するという安易な仮定をベースにしていた。社会的弱者の奪われた権利を取り戻すことが正義であるという信念を内面化した民衆運動と市民運動の脳裏には、価値を生産する生態系のバランス(持続可能性)や労働の量と質による合理的な不平等(公平)、多様な集団の利害関係による衝突を調和させた国家ビジョンに対する概念などは殆んどなかったと言えよう。つまり、過去30年間、韓国社会の変化を主導してきた民主・労働・民衆・市民勢力は、保守と同じく、相反する利害関係を調和させるような大きなフレーム(国家ビジョン)を持たず、自らを不当に奪われ抑圧されてきた弱者と見做して、左右上下(共同体全体)を見ようとせず、自分の権利を取り戻すことにばかり気を取られていたのではないか。勿論、社会的弱者の権利主張や不当に奪われたものを取り戻すことは正義であり公共性であることは確かである。しかし、その権利を戦闘的に主張する主体がもはや社会的弱者でないとしたらどうだろうか。不当に奪われるどころか、不当に奪う立場になっていたら、そのような主張にはもう正義も公共性も存在しないのである。

韓国社会では、圧縮的な経済発展と民主化過程において、過去の弱者が強者となり、不当に奪われる立場の者が奪う立場になっているようなことは稀なことではない。自分の奪われた権利を取り戻すための各自の躍進が、そのまま公共性となる時代ではないのである。例えば、女性の政治的進出の拡大のための女性政治家「プレミアム」は、青年、障害者、老人、中小企業家などの多様な少数者、専門家、新人政治家の権利と衝突する。また、それぞれ公共的な価値と主張する教権と学生の人権、捜査権と被疑者の人権、検察権と警察権、医権と薬権なども対立している。さらに首都圏(効率性)と地方(バランスのとれた発展)が対立し、肉体労働の権利と知識労働の権利、労働権と資本権、現時代の権利と次世代の権利などが衝突している。財政支出の優先順位をめぐり、数多くの利害関係者が各自「族」(土建族、福祉族、保健族、史学族など)や「マフィア」を構成し、お互いに衝突しあっている。政府の行政機関の間でも同様のことが起こっている。

87年体制は国家と社会の主人顔をしていた独裁権力を追い払い、国民が真の主人になるための体制である。市場と社会に対する権力の不当な抑圧を撤廃し、個人、企業、集団の自由な権益の追求を保障した体制だ。しかし、力のある利益集団による価値生産の生態系の荒廃を防ぎ、合理的な社会的賞罰体系を営むような真の主人と、忠直ながらも有能な代理人(政治、官僚、マスコミなど)のどちらも生み出すことはできなかった。民主化の核心的な価値として、反独裁、脱権威、分権、参与、労働権、道徳的な信頼、きれいな政治などは重視されたが、透明、公正、公平(合理的な不平等)、有能な政治などは相対的に疎かに扱われた。結局87年体制は独裁の防止に重点が置かれ、公共の核心である政治的洞察力、責任性、国家経営の能力などが弱化された体制と言えよう。民主化と自由化の流れの中で、その政治の混迷と無能の隙をついて、財力、組織力、専門性、マスコミの捏造力などを備えた官僚(検察やモフィア(MOFとMafiaの混成語)など)、財閥、土建族、マスコミ集団、職能協会などの政治社会的パワーが急成長した。相対的に選出権力は弱化し、特に進歩的な選出権力は、この巨大な勢力に二重、三重に包囲され、捕縛・包摂される危機に陥ってしまった。個人と企業の優れた変身・適応能力に比べ、国家と社会システムの取るに足らないレベルは韓国政治の相対的な弱化と密接な関連があるのだ。

1979年の経済破綻と政治破綻という状況下で側近に射殺された朴正熙を懐かしがる声が持ち上がっているのは保守マスコミのせいだけではない。朴正熙政府が主導的に築き上げた61年体制が、あちこちで不調和と不協和を引き起こしている現在の87年体制とは違って、かなりの期間、調和と安定を保っていたからであり、その矛盾の爆発時期に朴正熙が悲劇的な死を迎えたからである。さらに、持続不可能な道理に外れた方法ではあるが、経済発展の核心資源である金融・人材・労働力の流れを、より生産的な分野である輸出・製造業・民間へと導こうとし、そのために官僚と利益集団に対する政治の優位を保とうとしたからである。一言で言えば、朴正熙は「家を丸ごと盗むことができるから、自分のものになる家の窓を割るようなことはしない」大泥棒、もしくは大物の役割を果したのである。

進歩陣営の金大中に対する郷愁も根本的な意味で同じである。金大中が圧倒的に多数の持ち分を保有していた帝王的な総裁として君臨してた時代、民主党の利益は金大中の利益を意味するものであった。ゆえに、金大中は党の全国的な支持率の上昇に役立つような在野人物、慶尚道(キョンサンド)出身の民主的人物、386世代の学生運動の指導者、各分野の専門家などを自らの持ち分を渡しながらも、積極的に迎え入れた。また、党のために死地のような慶尚道地方などで出馬した落選者たちに対する配慮も忘れなかった。しかし、金大中以降の民主党内では、多くても5~10%レベルの持ち分の中堅たちがお互いに競り合っている。彼らにとっては、民主党全体の利益は自分にとって多くても5~10%ほどの利益でしかない。却って新しい政治勢力が党に入ってくると、自分の持ち分が減るかもしれないのだ。そうなると当然、党全体の利益よりも自分自身(自分の派閥)に有利なことに積極的にならざる得ない。啓蒙君主はいなくなったが、党員や支持者が主人になれない民主党の気風は過去に比べて遥かに退行している。民主党の気風は、実は韓国社会全体の雰囲気と非常に似ている。従って、87年体制を築いた勢力は、民主主義がまともに作動するための前提条件を綿密に検討せずに、先進国で運営されている制度の取り入れや奪われた権利を取り戻すことに全力を尽くせば暮しやすい世の中になると思い込んでいるという批判を受けても仕方ないのである。

 

新人医者による重病患者手術の後遺症

 

現在我々の生活を規律する経済・金融及び福祉における秩序は、最終的に金大中政府によって整えられた。金大中政府の改革はIMFと米財務省からの圧力が加えられはしたが、基本的に1961年体制を改革しようと持続的に努力してきた経済官僚や金融専門家、改革的な知識人の長年の願いを、通貨危機を逆に跳躍の機会として強引に具現したものである。盧武鉉政府は、金大中政府によって敷かれたレールの上を忠実に走った。システム改革の過渡期と見做し、じっと待つという戦略を取ったのである。参与政府が発表した「ビジョン2030」は、このシステムによって実現される2030年の未来図を財政計画と連繋して描いたものであった。

李明博政府は盧武鉉政府の殆んどを無視したが、実は、金大中政府が完成させたシステムに朴正熙的な要素(管理経済、為替捏造、暴力的な抑圧)を加え、本人が現代(ヒュンダイ)建設社長とソウル市長時代に見せた強引な推進力と変則、便法までを用いたと言える。しかし、これもやはりうまく作動しなかった。1987年以降の韓国政府の経済改革の原則は、欧州、日本、中国、インド、ブラジルなどの国家とあまり変わらなかったため、新自由主義だからといってうまく作動しなかったわけではない。一体何がどこから狂い始めたのだろうか。そのような意味において、金大中政府が力を注いで推進した4大分野(企業・金融・労働・公共)の改革と福祉改革の成果、限界、誤りを究明することが2013年体制デザインの重要な要素となろう。

「4大分野の中で最も力を入れたのが金融改革だった。金融改革の焦点は銀行だ。銀行が改革の中心であるべきだった」 金大中『金大中自叙伝』2、三仁、2010、54頁。そのために多大な公的資金を投入し、数多くの不良銀行を素早く閉鎖し、銀行同士の合併とリストラにより早期に財政の健全性を回復させようとした。しかし、金融改革を終えて10年過ぎた今も経済の心臓である銀行はまともな役割を果せずにいる。庶民や中小企業に対する資金仲介役としての機能はかなり低下し、安全な不動産担保ローンを優先したため、不動産投機を促す頼もしい資金供給者となってしまった。従って、2013年以降に築かれる新たな発展(平和繁栄)体制は、金大中政府がやり残した金融機能の正常化なしでは考えられない。

労働改革の核心は労働市場の柔軟性の向上を通して企業の負担を減らし、リストラによって急増した遊休労働力を成長しつつある産業や企業へと移動させることであった。そのために労働基本権(労組の政治活動への許可、教員労組の合法化)と共に、基礎生活保障制度や雇用保険などの社会安全網を強化した。しかし、雇用の柔軟性は、強力な労組が存在する大企業と公企業、そして公務員は避けて通り、力のない民間中小企業にだけ貫かれた。一時期は財閥企業が人材流出を懸念するほど巻き起こったベンチャー企業(dot.com)ブームは2000年以降は下火となった。企業・金融改革や中国特需などにより実績の上がった企業は雇用を増加させる代わりに、在職中の役員への報酬を大幅に引き上げた。さらに大企業は費用節減や柔軟性向上のために、工程分割が可能な業務や周辺的な業務をできるだけ外注・下請け化した。向上した経営実績を新規雇用の創出ではなく、従業員の高年収へと転換することに労組と経営陣の完全な一致がみられたのである。従って、民間の中小企業が労働力を調達する外部労働市場(城外)と大企業や公企業、公務員などの良い職場(城内)との格差が一層拡大し、両者の間の往来はほぼ断絶された。城内の人々を城外へと押し出すリストラは、不十分な福祉や極端な落差により、2009年の双龍自動車、2010年の韓進重工業におけるリストラで確認されたように一種の殺人行為のようになってしまった。当然、城内の人々は決死で抵抗し、経営陣も城内の雇用維持に尽力し、新規採用は最小化、外注・下請け化は極大化した。これに比例するかのように良い職場をめぐる競争は一層熾烈化した。大企業が占めている雇用率も徐々に低下している。1987年以前とは違い、高卒者が良い職場(生産職)に入社できる機会は完全に閉ざされ、大学進学が必須となり、大学進学率は世界最高レベルに達した。「魂を売ってでも」良い職場に就職しようという殺人的な「青年失業」現象が巻き起こった。しかし、この独特な韓国的矛盾に対して進歩勢力は、福祉の拡大(2次分配構造の改善)、公共分野の積極的な役割(青年雇用割当制など)、例外のない定年保障(リストラ及び非正規職の撤廃など)など以外にはこれといった代案を示すことができないでいる。新たな発展体制の難題であると言えよう。

企業改革の核心は、「5+3」原則に集約されている。これは1998年1月、金大中当選者と大企業の総裁たちが合意した「経営の透明性の向上、相互保障債務、財務構造の改善、業種の専門化(核心事業の設定)、経営者の責任強化」という5原則と1999年8・15 祝辞で発表した「第2金融圏の経営支配構造の改善、循環出資の抑制のための出資総額制限制度の復活、不当内部取引き及び変則相続贈与の遮断」という3原則をいう。「5+3原則」は企業が実行する能力さえあれば、非常に望ましい基準である。しかし、望ましい基準だからといって、強引に実行に移していいものではない。当時は、金大中の言う通り、「政経癒着により特恵貸付けを提供されていた企業は、貸付けを厳重にすると即座に崩れてしまうような状況」であり、責任をもって構造調整を行わなければならない銀行は、自らの手で不良企業を整理した経験がなかったからである 。金大中、前掲書、58頁。にも関わらず、この機会を逃しては企業改革を行う機会は二度と得られないと判断した金大中政府と銀行は、新人医者と同様であったが、生命の危うい重病患者に思い切って(?)メスを入れた。そのために大切なものを多く失ってしまった。代表的なものが大宇グループなどの攻撃的な経営を行っていた財閥及び中堅企業とそれらが先導していた積極的な経営マインド、重要企業の国内持分率などである。しかし、最も深刻な問題は低価格部品の最強国中国と先端部品素材の最強国の日本の間に挟まれた状況で、韓国特有の高費用構造を解消できなかったため、企業のグローバル戦略が進行するにつれて国内産業連関効果が急激に弱化されたことである。これは、好景気の企業の実績(売上げ、利益、輸出)と国内の雇用及び付加価値との連繋性が非常に低いことを意味する。さらに、財閥大企業への経済力集中度が通貨危機以前よりも高くなっているが、財閥大企業は海外売上げの割合が圧倒的に多く財務構造も健全であるため、もはや政府が統制する方法も特にない。その上、政府が握っている公正の刀も鈍く、切り方も下手なので、金勇澈(キム・ヨンチョル)弁護士の暴露 金勇澈(キム・ヨンチョル)『三星を考える』、社会評論、2010。で明らかになったように、不当内部取引きや変則相続贈与に対する対策において大した進展はなかったことが判明された。結果的に産業生態系の疲弊により財閥ではなく独立企業が成長上昇することは非常に難しくなった。韓国は先進国とは違い、大企業及び公企業、公務員、国家試験を通過した専門職に対する待遇が非常に良いので、ベンチャー中小企業が青年人材を引き寄せることは難しく、その上、財閥大企業の人材スカウト、技術の奪取、大企業の流通網を利用した搾取、連帯保証制度などの債権者を過保護する金融方法まで、二重苦、三重苦を背負っている。

公共改革の核心は規制改革と公企業の民営化による「小さいが効率的な政府」を具現することであった。金大中政府時代に浦項(ポハン)製鉄、韓国重工業、韓国総合化学、韓国通信などの8つの公企業が民営化されたが、そのため料金が引き上げられるなど、消費者の厚生が悪化したことはなかった。却って民営化により企業の持つ多様な潜在力が発揮されたという評価が一般的だ。規制改革の場合、なくすべき規制はなくし、維持すべき規制は維持させるとしたが、なくすべき規制は「利益集団の必死のロビー活動と国会の同調」により大幅に縮小、変質したとされる 。金大中、前掲書、66頁。 一方、金大中政府は通貨危機により破綻に至った家計緊急救済策及び景気扶養策の一環として不動産の分譲価格とカードローンを自由化した。しかし、適切なタイミングでブレーキを踏めなかった結果、民生に多大な打撃を与えた。このように金大中政府の公共改革は規制改革や民営化のスピード、範囲、レベルなど、あらゆる側面において問題がある。特に最も重要な問題は、果たして公共改革の核心をついていたかということである。2009~11年に集中的に表面化した検察と金融監督機関の後進性を見る限り、答えは「NO」だ。韓国の公共分野が抱えている問題は、基本的に公共が行うべきことと行ってはいけないことを的確に区別できずに、官僚の立場で「お金になること」ばかりを行っている点である。勿論、これは公共の核心である政治に対する無知と無能から生じたものと言えよう。

一方、「生産的福祉」と命名された福祉改革は、基礎生活保護制度など、選別主義も稼動したが、その骨組みは4大社会保険料に基づいた普遍主義だった。しかし、社会保険料(国民年金など)さえも支払えない500万人の人々は福祉の死角に放置されるしかなかった。彼らは福祉が最も切実に必要な自営業者や小規模中小企業に勤める人々である。数百万人に至る人々の所得を引き上げたり良い職場を与えたりすることが現時代の最大の課題であるが、進歩にせよ保守にせよ、そのような代案を出せないでいる。福祉システムの浅さもあったが、何よりも死角が大きすぎた。

要するに金大中政府の4大分野の改革と福祉改革は、優先順位、スピード、前提条件の確保などにかなりの問題があった。しかし、新自由主義であったから、もしくは選別主義であったから失敗したわけではない。通貨危機のせいでもない。現在の韓国社会の問題の殆んどは、新人医者の重病患者の手術による後遺症である。新人医者とは、単に金大中政府や構造調整の先頭に立った銀行や官治経済からの脱皮を呼びかけた多くの経済改革者だけを指すわけではない。1987年の6月抗争と労働者闘争を主導した勢力も旧体制を思い切って手術した新人医者と言えよう。勿論、盧泰愚・金泳三政府も当てはまる。今は、1987~88年の民主主義に対する強引な手術と1997年以降の数年間にわたる市場経済への強引な手術の後遺症が合わさって深刻な合併症を起こしている状態である。この合併症は、ただ単に進歩と保守の政治勢力の手術(改革)や未熟な収拾のせいだけではない。急激なグローバル化、知識情報化、中国の世界工場化、分断体制再編の失敗などが加わって、病勢が益々悪化しているのである。勿論、これらの中心には国内外の環境変化に応じてシステムを適切に変えられなかった南北、そして進歩と保守の政治的無能が横たわっている。

 

省察と模索を建国の父、母のように

 

盧武鉉政府も李明博政府も、過去10~20年間に行われた未熟な手術による深刻で多様な後遺症を認知することも癒すこともできなかった。その上、李明博政府は南北関係、内需の拡大、中小企業の活性化、民主主義などにおいて完全に逆走し、却って悪化させてしまった。民主化や87年体制の影が濃いからといって、朴正熙・全斗煥体制をその代案とできないように、自由化・開放化や金大中改革の影が濃いからといって、それを全面的に否定した体制(正しく有能な朴正熙システム、ドイツ・スウェーデンシステムなど)をその代案とすることはできないのである。2013年体制は87年体制と金大中改革の合理的な核心を継承且つ発展させるものであり、同時にそれを否定するものでもある。従って、憲法、政党法、選挙制度、官僚制度、教育制度、租税・財政構造、民主・労働運動の文化と慣行などの数多くの秩序を原点から再検討すべきだ。金大中の残した未完の4大分野の改革、福祉改革、分断体制の再編は持続させながら、さらに4大、もしくは6大分野の改革(憲法・選挙法・国会法などを含めた政治、司法、租税・財政、教育など)を追加すべきなのである。

2013年体制は、87年体制が見逃したり軽視した価値である分断体制の再編、雇用率と賃金勤労者の比率向上、生産力レベル(一人当たりのGDP)や労働の量と質にも相応した保障システムの構築、 (労働と資本の間の再分配、租税・財政による再分配と共に)労働間の再分配による平準化、若年層人材の移動の健全化、企業の国内投資及び雇用に対する恐怖の低減、輸出及び売上げに相応した国内雇用と付加価値誘発効果の向上、庶民とベンチャー中小企業金融の正常化、不動産による不労所得の最小化、中国発の構造調節の圧力に対する対応、柔軟安全システムの構築、政治の有能化(官僚及び利益集団に対する民主的統制の強化)などを核心的に考えるべきである。2013年以降の韓国を責任取っていく政治集団と知識人社会は省察と模索を「建国の父、母」という心持ちで働かなければならないだろう。

 

助走は行っているだろうか。はしごは用意してあるだろうか。

 

総選挙と大統領選挙により誕生する中央権力は、市場(企業、金融、労働、不動産、通産)秩序、政治秩序、司法秩序、租税・財政秩序、外交・安保秩序などの個人と国家の命運を左右する問題を取り扱うことになる。その一方、地方選挙により誕生する地方勢力は個人や企業や国家の命運を左右するような問題は取り扱わない。地方自治体の首長の党籍の違いを地域住民がそれほど感じないことからも分かるように、裁量権の行使範囲が非常に狭いからである。従って、地方権力を勝ち取るための野党の連帯と中央権力を勝ち取るための野党の連帯は参加する政治主体は同じかもしれないが、国民にとっては違った意味として受け止められる。総選挙と大統領選挙で国民は、保守と進歩がそれぞれ作った秩序の枠組みを地方選挙よりも遥かに注意深く検討することになる。進歩陣営内にて徐々に力を発揮し始めた進歩左派は、反新自由主義の旗の下、価格規制(分譲価格の上限制、利子率の上限制、家賃の上限制、最低賃金の大幅上昇など)と進入障壁(大型スーパーの入店制限、自営業の許可制、非正規職の使用の制限)を志向する傾向を見せている。しかし、そのような政策がもたらす問題点を綿密に考慮しなければ、支持者となり得る「限界企業」に勤める数百万人の労働者を労働市場から追い出し、保守へと移動させてしまう可能性もある。現在の貧困、葛藤、絶望、自殺の元凶である「まともに作動していない国家と市場」の原因は、単に規制が少ないからでも、経済主体者の自由が過剰だからでもない。

2012年の総選挙と大統領選挙により誕生する議会と行政部が解決すべき課題は非常に困難で且つ重要である。気候変化、エネルギー・資源危機など、世界共通の難題を韓国に合わせて解決するだけでも手に余るのに、他の国家は既に解決、もしくは最初から存在しない分断体制を解体し再構成する課題までも抱えているからだ。ところが、政治集団や知識人社会の準備レベルは余りにも不十分である。2013年以降本格化される改革は、偶然見つけた巨大な油田―新たな産業もしくは本当の油田―から莫大な富が生じるか、或いは次世代の持分を略奪するような野蛮な行為を犯さない限り、如何なる形にせよ、誰かの既得権を侵害するしかないのだ。しかし、自分の正当な権利であれ、不当な権利であり、それを守るための決死的な抵抗は進歩や社会的弱者だけの専用物ではない。韓国が生産力レベルに比べ、これほど暮らしにくい社会となってしまったのは、社会的強者が自らの権益を守るためには非常に勤勉ながらも有能でしかも徹底的であったからであろう。これは一人当たりのGDPを基準として各産業、企業、分野、職能の待遇を他の国と比較すると一目で分かる。

2013年以降の韓国の旧秩序に対する再建築レベルのリニューアルが非常に困難であることは誰でも承知している事実である。ゆえに改革は、無教養で執拗で強引でなければならないと思っている人も多い。しかし、実は李明博政府こそ、このような考えから作られた政府ではなかっただろうか。結果はどうであったか。成し遂げたものは何であったか。恐らく、今後誕生する如何なる政府も李明博政府のような腕力は持ち得ないだろう。圧倒的な支持率と国会の議席数、保守傾向の検察、司法部、財閥大企業、市場支配的なマスコミなど。これだけの腕力を手に入れながらも制度的な改革における成果は殆んどない。勿論、「非核・解放・3000」や4大河川事業のような非常識な目標を独占的且つ強引に推進したための結果なのかもしれない。しかし基本的に、現在の韓国の矛盾の強固さに比べ、政治という斧の柄は余りにももろく弱いからであろう。朴正熙時代の経済開発が、莫大な利益を容易に生み出した1960年代の江南(カンナム)開発に象徴されるとするならば、今の改革は「龍山(ヨンサン)惨事」を生み出した旧都市の再開発のようなものと言えよう。ゆえに、総体的な腕力が李明博政府よりも遥かに弱い進歩政府が持つべき武器と姿勢とは何か、容易に察することができよう。それは「大観小察」から生じる「深謨遠慮」の知恵と根気、そして、先進的な市民と行動する良心の強固な連帯であろう。その中心には国家経営を長期間準備してきたしっかりと組織化された政治集団と知識人集団が存在しなければならない。これらを備えていない執権争いは、政治的墓場に陥るための争いに過ぎないだろう。

韓国政治が2013年以降、直面する障害物は、助走なくしては渡れない広い深淵であり、長い棒やはしごがなければ超えられない高い壁である。助走やはしごとは、2013年体制を構成し運営する準備の整った政治集団と知識人集団を示す。助走のない野心溢れる挑戦の結末は悲惨な墜落である。ゆえに、2012年に繰り広げられる競争に挑む人々は、欲望と抱負を抱く前に自らのすべきこと、そしてできることが何であるかを繰り返し自分自身に問わなければならない。船を作る前に荒立つ広大な海を先に見なければ、どのような船を作り、何を準備すべきかを知ることはできない。野党圏連帯、もしくは政治連合の問題は、この重大な民族史的な課題と自分自身の弱小な力を認知した時、白樂晴の言った通り「願を大きく立てると」多くのことが解決されるのである。2012年の大会での成敗の鍵を握っているのは、時代と国民を理解する「大観小察」、自分自身を見つめる「自我省察」、国民に誠心誠意仕える「至公無私」、分裂と自惚れを超えた「求同存異」と言えよう。

 

翻訳 : 申銀兒(シン・ウンア)

季刊 創作と批評 2011年 秋号(通卷153号)
2011年 9月1日 発行

 

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