東アジア文学のトポスとアトポス―上海の討論会に参加して―

2012年 夏号(通卷156号)


文學評論

 

陳恩英(ジン・ウンヨン)詩人。2000年『文学と社会』で登壇、詩集『七つの単語でつくられた辞典』、『我々は、毎日毎日』などがある。dicht1@hanmail.net

 

 

唯一、具体的で実際的な人間、すなわち隣人だけが実際的である。神は、隣人を通して我々を妨げるし、我々はこうした神の活動に直接露出されている。
―カフカ―

 

 

東アジアにおける地域文学が可能なのか。

 

今年の2月25日、中国の上海大学において、文学理論家である陳思和、王曉明の両氏と本誌の編集委員らが会った。二人の中国学者の発表を聞き、互いの意見を交換するために設けられた場であった。

チャンビでは、2011年冬号の東アジア文学関連特集(中国語に翻訳した資料集)を、この日、参加者に提供した。「東アジアの地域文学が可能なのか」というタイトルの資料集には、様々な考え方を持つ五つの論考の他、これら論考における論旨を考慮し密度のある議論を行うために、韓基煜(ハン・ギウク)の発表文も掲載されていた。資料集の論考は、真剣な省察の痕跡がみられるものが多かった。また、これらの論考は、まるで異国における採りたての果物の味のように新しく感じられたが、それと同時に「曖昧さ」も感じられるものであった。ところが、上海の浦東空港に到着した頃、私は、自分がこの資料集のタイトルを読み間違えたことに気付いた。タイトルは、「東アジアの地域文学が可能なのか」ではなく、「東アジアの地域文学は可能なのか」であった。東アジア文学の可能性を打診する真剣なニュアンスを、私の無意識が、疑いと反問のニュアンスに変えてしまったことであった。

この疑いと反問には、ある種の魅惑と好奇心が混ざっている。ルーマニア出身で、フランスで活動したエミール・シオラン(E. Cioran)は、ある時、愛国主義的な心を込めて、次のように発言した。「私は、フランスの運命と中国の人口を持つルーマニアを夢見る」。

弱小民族としての苦痛と怒りに満ちた青年期を過ごした知識人であれば、多くの人口と巨大な領土、帝国の運命を持つ祖国に対する願いを、一度は持つかもしれない。しかし、これについて、フランスの比較文学者のカサノヴァ(P. Casanova)は、小さい民族、小さい文学における「存在論的な劣等感」としたこともあった。

東アジアをめぐる言説に懐疑的な人々の心の中には、カサノヴァの言葉が残っているかもしれない。「東アジア論や東アジアの地域文学という観念は、結局のところ、経済大国である日本と、政治大国である中国に便乗して、世界の中心に浮上しようとする野心から始まる」、「その野心とは、小さい国の知識人が持っている存在論的な劣等感の攻撃的な表現である」、「それは、貧弱であると同時に、危険な欲望である」、などなど。こうした理由で、私は、中国の学者らとの語り合いがとても楽しみであった。なぜならば、存在論的な劣等感とは無関係で、大きな地域的な規模を持つ国の知識人としての彼らが、東アジア文学に対して、どのような立場を取るのかが、この議論において、もう一つの重要な視点を提供すると考えるからであった。

 

世界文学としての中国文学

 

会議は、白永瑞(ペク・ヨンソ)の司会と、白池雲(ペク・ジウン)・徐黎明(ソ・ヨミョン)の通訳で行われた。最初の報告者であった陳思和は、東アジア文学の可能性を、中国の国際的な地位の変化と関連付けて言及した。10年ほどの前までは、生硬だった東アジア論が、今は意味深く感じられることは、中国の経済成長と無関係ではないという。9・11以後、アメリカの攻撃がイスラム世界に向かう間、中国は、世界化の局面において、主導権を持っている東アジアの国家として実質的な内容を揃えるようになった。「世界に、我々を受け入れるようにする」というスローガンとして開放政策を実行してきて30年が立っている今、中国の人々は、もうこのようなスローガンを使わない。すでに、自分たちが、世界の一部分であると感じているからである。こうした変化は、文学における言説においても、新しい流れを生み出した。比較文学の長年の伝統は、現代文学としての英米文学が、周辺に及ぼした影響関係を研究することであった。たとえば、魯迅がヨーロッパのどの作家に影響を受けてきたのかが、主なテーマであった。しかし、今のようにインターネットを使うことで、広範囲で情報交換が行われている状況の中で、影響関係を比較する研究は、必要ではないかもしれない。この数十年間の変化により、中国文学にはすでに世界性が存在していると見なされている。

陳思和によると、現代における国民文学は、モダニティという普遍性に対する文学的反応であり、中国のみならず全ての国民文学に、共同の普遍的な世界文学性が存在している。80年代、中国の文学界においては、中国に輸入されたモダニズムを「正」と「偽」のとの位階を問題とする論争があった。しかし、現時点においては、こうした論争自体がナンセンスである。なぜならば、根源や原本を問題視することが、無意味になったからである。出発地のモダニズムと、異なる到着地のモダニズムは、その自体で近代化の風景に過ぎない。なので、西欧モデルに立脚して、文学の現代化を目指すべきという目標よりは、現在の中国文学に関する強調と関心が大きいのだ。

そうした点において、陳思和は、白樂晴(ペク・ナクチョン)の国民文学―地域文学―世界文学という論議 白樂晴(ペク・ナクチョン)「世界化と文学:世界文学、国民/民族文学、地域文学」『文学が何なのかと再び問い直すこと』チャンビ、2011年。 に興味を持ちながらも、その世界文学運動が、ゲーテ―マルクス的な企画という点に対して、疑問を提起している。中国と日本の文学を、世界文学の一部として認めたゲーテとは異なり、マルクスは、階級的な観点において、民族文学の消滅を予見した人である。だとしたら、国民文学と東アジア文学を通じて、新しい世界文学を構成しようとする白樂晴の提案は、マルクスを超えてゲーテに行く企画であることが妥当ではないかと、彼は指摘する。イデオロギーの問題として文学を規定することの盲点は、中国文学界が十分に経験したことである。彼は、これを、中国において台湾文学をみる観点の変化を取り上げて説明した。80年代における台湾文学の一つの潮流であった郷土文学は、「良い文学」としての呼応が高かった。なぜならば、彼らの政治的な立場が、反/蒋介石・国民党を標榜しながら、中国との統一を目指したためであった。現在、郷土文学系列の作家たちは、未だに台湾政権に批判的な左派作家である。しかし、彼らは、両岸関係においては、台湾独立派の路線を従うため、中国においては、「郷土文学=良い文学」という今までの等式に対して曖昧な立場を取っているのだ。

陳思和の論議は、中国文学の発展と拡散を、その自体で東アジア地域文学の成し遂げと同一視しているように見える。したがって、東アジア文学の世界文学化と関連して、彼にもっとも重要なことは、言語と翻訳の問題である。自生的な伝統文化や地域的な文学が、地域性を活かしたまま翻訳されることは難しい。ノーベル賞のような世界的な文学賞の受賞結果によって、正展としての進入が決定され、世界的な流通網を確保していくような状況において、東アジアと西洋の平等な文学的疎通のためには、翻訳と言語の問題が必ず解決されなければならないと強調している。

 

東アジア文学、虐げられた人々の共通感覚

 

王曉明は、陳思和とは異なる角度から、世界化の問題を言及しながら、東アジア文学の必要性に共感している。彼は、民間レベルにおいて起きる中国と日本における対立と誤解が、深刻なレベルであるとみていた。インターネット上の民族主義的な論争と国粋主義的な態度は、どの時代よりも加熱している。しかし、同時に、インターネットは、趣向と消費の類似性を生み出している。こうした状況は、世界文学の状況と符合しているようにみえる。創造産業を通して具現される全地球的な資本主義が、文学をはじめとする文化全般に浸透しているのである。しかし、東アジア人たちは、ドストエフスキーの小説のタイトルである「虐げられた人々」のように、ある共通感覚(common sense)を持っているが、これにより、東アジア文学は、この非可視化された虐待を、可視化する文学的な活動として構成できる。
また、王曉明は、世界文学の基礎は、共同の理想と分裂的な現実の乖離、その自体であると見なしている。東アジア的な次元において、世界文学の理念を実現することは、この理想と現実の間を行き来しながら発生する文学的な活動かもしれない。彼は、安天の論考 安天「戦後日本における文学談論とアジア的視覚:歴史的想像力と資本主義的想像力」『創作と批評』チャンビ、2011年冬号。 が、東アジア文学の観念性を指摘していることに注目しており、また、むしろこの観念性が重要なことであり得ると主張した。ある意味において、現実ではなく観念としての東アジア文学が必要であるということかもしれない。強力な理想が現実を作ることは、東アジアだけの地域的な伝統でもあるのだ。

また、陳思和が言及したように、世界文学の次元において言語の問題は、もっとも重要である。言語は、人を分離・断絶させる体制である。言語は、各地域の差異、思惟と感情を保存する器である。言語の、この保存された差異が、世界文学の基礎となる。差異があるために、より深い疎通が可能であることだ。エスペラントを、平等な世界市民性を実現する普遍的な言語としてみる見解もあるが、事実上、普遍語として成された文学は、質が低いかもしれない。したがって、言語的な障害は世界文学の必要条件である。王曉明は、言語的な障害が疎通のきっかけを作ってくれるとみているのだ。

 

ゲーテ的な、しかし、決してゲーテ的ではない世界文学

 

中国共産党ですら資本主義の世界化に貢献している今、この世界において、我々に残されている文学的な可能性は何なのか。白樂晴は、文学の固有な理念性を通して、根本的な運動性を強調する方式としてのみ、その可能性が開かれると確信している。陳思和は、開放的な世界文学を強調したゲーテ的な企画だけでも、十分、文学の理念性が確保されるとしたが、白樂晴はゲーテの世界文学論において重要な点は、単純な開放性ではなく、運動性が内包された世界文学の概念を提起したことだと主張する。世界化の初期段階において、国境を超える頻繁なる交流を体験したゲーテは、知識人と文学人が積極的に世界文学を作り出していこうと主張することで、文学の運動的な性格を強調したということだ。

こうした見解の差は、マルクスが「共産党宣言」において、世界文学を言及した内容に対しての解釈の差から始まる。白樂晴は、マルクスの言及を画一化した世界文学に対して予言していることだとする場合のみ、陳思和の主張が妥当であると指摘した。しかし、マルクスは、資本主義によって形成された今日の全地球的な文化を予見し、その文化を基盤とした文学的な傾向の出現を肯定したことではない。むしろ、世界文学に対する、そのいくつかの文章において、マルクスが意図したことは、王曉明が言及した通りに侮辱され虐げられる人々の苦難を可視化する世界文学であった。マルクスは、偏狭な民族文学が消えていくとしたが、それがすなわち、差異に対する否定ではなかったのだ。マルクスの弁証法的なスタイルを考慮する際、その文章は、資本主義の成し遂げと限界に対する認識の中で、革命運動として進んでいこうという運動性の強調として理解すべきかもしれない。

ゲーテの世界文学理念を肯定しながら、マルクスを付加しなければならない理由はどこにあるのか。エドワード・サイドは、抵抗の人文学(Humanism and Democratic Criticism)において、現代の人文主義の優れた先駆者としてゲーテを挙げている。1810年から、ペルシアの詩に魅了されたゲーテは、ヨーロッパのワイマール的世界とイスラム信者らの世界の間で動揺していると、同僚のチェルタに告げた。この動揺から10年後、彼は、世界文学に対して確信した。彼は、民族文学の席は、荘厳な交響曲を構成している世界のすべての文学という普遍的な概念に代替されるべきというユートピア的なビジョンを展開した 。エドワード・サイド著、キム・ジョンハ訳『抵抗の人文学』マティ、2008年、137頁。しかし、サイドは、ゲーテが「激変、しかも変化自体に対する嫌悪、貴族的文化に対する関心、全ヨーロッパにおいて起きている「革命的な素養」が根絶されるべきという根強い願望」を持っていると、激烈に攻撃したアワーバッハ(E. Auerbach)に共感しながら、ゲーテ的な企画の限界を指摘する。万が一、「ゲーテが現在からの視線をやめていなければ、または、ドイツ文化を力動的な現在として持っていくためのお仕事をしていたらば」、ドイツとヨーロッパ、世界の現実は異なっていたかもしれないことだ 。 前掲、160頁。こうした側面において、白樂晴は、他者の異質性から豊かに刺激された文学的世界空間というゲーテ的な理念を強調しながらも、実践と変革の運動を一般化するマルクス的な企画の重要性を浮き出させようとしたかもしれない。

 

文学のトポスとアトポス

 

場所という意味のギリシャ語の「トポス」(topos)が、文学において修辞学の用語として使われる際には、反復的に表れる固定形か、または古臭い文句であるという意味だ。「topos」に否定の接頭語の「a」をつけた「アトポス」は、場所がわからないところ、確認できないところ、という意味だ。文学は、アトポスである時のみ世界的であると呼ばれる値があるかもしれない。文学は、一つの場所を忘れて、またもう一つの場所を去っていき、そして、すべての場所を失っていた時に、より普遍的になれるということ。そうした点において、世界文学と文学の地域性を同時に強調する考えは、一種のパラドックスにみえる。何のために、世界文学の一環として文学のトポス、露骨的な場所性を持つ地域文学について語るのか。

地域文学は、特定の地域の作家らの傾向を分析し、その作品を一種の家族類似性として合わせ、類型化するのに、もっとも効果的である。しかし、こうした分析的・認識的関心を超えて、地域文学が理念型として目指され、実践されるべきであるということについては、戸惑うし、ある種の反問が湧いてくるかもしれない。「アジア」は、西洋によって一つの地域として他者化された単位であるだけだ。本当は、我々は、特定な場所性の中において隣人として存在しているが、事実上、互いを隣の怪物として感じている。紛争と植民の経験として滲まれた記憶、冷戦以後にも解決されない軍事的緊張関係が、そうした感応の土台を形成している。

こうした隣人―怪物の感応に対する実践的な提案のために、崔元植(チェ・ウォンシク)は、東アジアと文学における鋭い「間」に注目している。東アジアの「地域」と「地域」文学は、共通の地域という概念として、無理なく繋がるものではない。東アジアにおける国家の間の経済協力が増大されていっているのにもかかわらず、政治的な葛藤が深刻化している「政冷」現象が存在している。また、政治と同様、文学においても、「文冷」というものが深刻である。ところが、彼はこれを、東アジアにおける地域文学の不可能性の兆候として読むことではなく、むしろ実践的な契機として把握している。「意外に、文学は政治のごとく領土的である。各国民文学の領土性を脱領土化するためには、異なる東アジアの到来を夢見る政治的な想像力が要求されるところであるが…、「政冷」が解消できれば、「文冷」も解消できるし、「文冷」が解消できれば、「政冷」も解消できる。おそらく、東アジア文学の出現は、その最後の段階もしくは最高の段階を示す」ようになるかもしれない 。 崔元植「東アジア文学の現在/未来」『創作と批評』2011年冬号、18頁。

崔元植にとって地域文学というトポスは、アトポスの文学のために要求されるものである。東アジアにおいて純文学の衰退は、国民文学の疲労を見せてくれる現象である。その間、ガラパゴス的な孤立の中で、西欧文学のみをみていた日中韓における地域文学は、孤立状態を突破するための一つの方式になり得るかもしれない。この時、地域文学は、特定のトポスの中において、類似な文学的な流れを合わせようとする試みではなく、国民文学の狭小なトポスを越境しようとする試みである。こうした脈絡で、文学のコンタクトはもっとも重要である。それは、国民国家の「線分」の中においてのみ、動いていた作家たちのトポス的な個人性に新たな前景を開かした。ここで言う個人性は、異なる民族と国家を理解すると同時に、その理解を乗り越えさせる窓である。個人と個人との出会いが、国民国家的なイデオロギーの単純性を突破し、世界の複雑性に進入するもっとも重要な機会になり得ることだ。彼は、中国語を話したがり、漢族の食べ物を食べたがる朝鮮族の弟子から受けた衝撃について言及した。観念的な民族意識に基づいて、朝鮮族を漠然とした同一者としてみていた視線は、彼らがおかれた環境に対して実感できる理解に変わった。こうした分裂の経験から発生する差異のある実存に対する認識と確認が、連帯の基礎になるかもしれない。東アジア作家たちは、様々な形で出会うべきである。その出会いは、国民国家的な政治と文学の回路を循環する視覚と思惟に破裂を加え、互いの差異と新自由的な資本主義の流れが、各国家を制覇しながら残した「生きること」の廃墟とともに直面しているという「共感帯」を形成すると考えられる。

出会いの複合的な感応は、真なる国際主義文学の基礎を形成する。文学を媒介とした東アジア人たちの出会いは、地域文学の必要性に対する認識の共有からはじめ、実践的なアジェンダとして展開されるのであろう。そして、これが各種の賞と制度を動員する資本主義の出版流通の流れの中で、特定な方式として固着されていく世界文学を代替しなければならない。東アジア文学を通じて獲得される地域主義の視覚は、地域的な利益に立脚したことではなく、特定の階級が欲求する地域的利益の生産・流通回路を作動不能の状態として作る民衆的なものである。この点において、それは、文学の世界市場主義に向かい合う国際主義的な文学活動である。また、東アジアの地域文学を通した国民文学の越境は、単純に文学的なアトポスを促進する活動を超えて、文学と政治が互いに関係ないこととみている純粋モダニズムのトポス的な二分法を克服させるかもしれない。

 

東アジアという空間のアトポス

 

東アジアの「地域」文学の強調が、東南アジアや他地域の文学を排除し、固有な文学的な「認識の枠」として東アジアの地域を目立たせるのに、その焦点があることではない。東アジアは、空間性を持つ概念でありながらも、確定的な空間性を乗り越えるアトポス的な概念である。これは、以前から「知的実験としての東アジア」と「流動する東アジア論」を展開した白永瑞(ペク・ヨンソ)の議論から確認できる。白永瑞は、東アジア文学の理念性の下で刺激を受けた連帯の可能性と関連して、東アジアが近代日本の談論の中において、大きく破壊された概念ではあるが、東北亜プロジェクトの活性化を通じて、新しい関心が発生しているほどの連帯活動の可能性が徐々に高められていることを指摘する。
しかし、アトポス的な連帯活動を妨害する難しい壁が残っていることも事実である。韓基煜は、東アジアの歴史的葛藤とともに、イデオロギーの葛藤の深刻性を喚起させる。韓国と北朝鮮、中国と台湾の関係はもちろん、なお韓国文学の中においても、純粋・参与の論争が激烈な形態として進行され、文壇が両分化した点を考えれば、理念対立が地域的文学の連帯運動に、意外の伏兵になれる可能性も大きいことである。しかし、この点に対して、中国の学者たちは、最近中国が権威のある散文賞を台湾の作家に授与した一例を挙げながら、国家が利益によって動く傾向が大きくなり、イデオロギー葛藤が弱化される傾向であると楽観的にみているのだ。

このように、トポスとしての東アジアは、近代を経て、様々な破裂が発生した場所である。東アジア地域の伝統と文化は、もっとも乱暴な断絶の契機を経験した。しかし、崔元植は、東アジア各国における悠久なる厳粛文学を記念し、その文学の間における影響関係を照明し西欧と線を引くことが、東アジアの地域文学の建設ではない点を再び強調した。同時に、現在の資本主義的な創造産業に基づいて形成される一種の感覚的・感性的類似性に立脚して、東アジア的な共通性を回復しようとすることも間違っていると指摘した。近代の地殻変動を通じ、崩れたトポスの記憶を組み合わせ一つの単一空間を作ることでもなく、また、全地球化の遠隔化や脱文脈化現象による東アジアにおける文化産業的なトポスを確認することでもないとしたら、「そのトポス的な流れを超える東アジアの地域文学とは何か」という関心に、論議は集約できるかもしれない。

 

マルクス的ではない、しかしもっともマルクス的な企画

 

東アジアの地域文学を実践的に規定しようとするときに、提起されるもっとも重要な問いは、東アジアという単位の有意味性である。東アジア文学が単純な伝統の共有を超え、現在の搾取に対する抵抗の地域的な拠点を予備することであれば、世界化された搾取に関する一般的な抵抗に還元できない東アジアの独特な同一性を保証することは何なのか。王曉明は、これを、最近の東アジアにおける経済発展から見つけている。今まで、ベトナムとシンガポールを含めて、東アジア人は、高度資本主義を成長させるのに、ヨーロッパ人よりも優れた能力を除いては、すべて被植民の経験の中において、目覚ましい発展を成し遂げた。この点において、東アジアはヨーロッパより資本主義の問題が、より僭越に表れている地域である。したがって、東アジアの反資本主義の闘争は、東アジア地域の問題であると同時に、全地球的な抵抗の重要な輪を形成する。まさにこれが、東アジア文学が成立されない理由であり、また東アジア文学を建設しなければならない現実的な理由である。

しかし、他方、王曉明は、マルクス主義的な前提に対する省察を要求する。マルクスは、世界を一つの全体として把握する観念を持っている。この観念の実態は、資本主義の発展が、社会主義に移行する物質的な布石を敷くという。王曉明の世代は、子どものときから、物質的な財産の極大化が、人間の自由と解放の条件という共産主義の標語から学んだ。しかし、物質的な財産の極大化とは現実的には不可能であり、我々が本当に追及することが、それでならば、共産主義も人類の解放も絶対に訪れないかもしれない。資本主義のもっとも大きな問題は、こうした絶対的な不可能性が可能であると、すべての人々が信じるようにすることにある。我々は、様々ところから、この資本主義が、万人のためにある財産の極大化ではなく、もっとも悲惨な窮乏と苦痛をもたらしたことを目撃してきた。中国は、急速な発展の中で、韓国と日本がすでに体験してきたことよりも、より巨大で驚くほどの規模で、資本主義の弊害を経験している。アフリカや南米の地域においては、その弊害が東アジアほど深刻ではない。

ここで明確になることは、東アジアの地域文化の企画が、マルクスと距離をおこうとする点である。マルクスや彼の継承者たちが持っていたと見なされている、過剰の生産力主義的な偏向を克服しようとする点、そして、歴史の中において、マルクス主義の名前で存在していた文学運動の偏狭性を脱しようとする点において、そうであろう。しかし、未だに反資本主義的な運動の観点において、文学人の連帯と文学を媒介とする多様な連帯を悩むという点においては、それは十分にマルクス主義的な企画であるかもしれない。

 

「もっとも、より身近な気分(感じ)」の文学

 

長時間の議論をみていた記憶が、遠く感じられる。どの大都市にも劣らないほど華麗なる資本主義の姿として輝いていた黄浦江の夜景も、心の染みのように残った。しかし、不思議にずっと思い出してくるのは、昔から東アジア文学論を提案してきたある二人の学者の素朴な話である。長い年月、外国文学を研究してきた学者が次のように言った。「東アジアにおける知識人たちと、連帯活動や交流をしてみると、費用のことをはじめ、交流の容易性がもっとも大きいということがわかります。言語の壁があるのにもかかわらず、親近感があります。私は、ヨーロッパや英米圏の知識人に会うと、たとえば言語疎通に難しさを感じないですが。でも、いつも実践的な悩みを分け合うことが難しかったのです。虐げられた民衆と東アジア文学に対して深い関心を持っている方々とも、少し話し合ってからは、それ以上、繋げられる話題がありませんでした」。また、長年、韓国文学を研究してきたある学者が次のように話した。「中国や日本の知識人たちに会うと、より身近な感じがします。東アジア文学が、単純に、昔にあったものの復元ではなく、新しい文学の建設という点は事実でありますが、私たちは、すでに分かち合っていた「往年」のものがあります」。

この「もっとも、より身近な気分(感じ)」が、おそらく、東アジアの地域文学を提起させる根本精神になっているかもしれない。こうした巨視的な提案に、「気分(感じ)」の重要性を話しているのか、というかもしれないが、ハイデッカ(M. Heidegger)が言ったように、「気分(感じ)」(Stimmung)は、重要な問題である。なぜならば、世界は、認識に先立って、気分(感じ)を通じて我々に開かれるためである。それは、まだ明瞭な形態として実現されていないどんな思惟や活動が、不意に襲撃するように現れる「開かれ」であるかもしれない。この二人の学者は、若い世代がよく知らないかもしれない隣人―怪物としての中国と日本を経験した世代である。にもかかわらず、彼らは、この隣人に、親密な感情を感じると告白している。多くの人々が、東アジアの中における冷淡と葛藤を乗り越え、共通の感覚を形成していく地域的な連帯や地域文学が可能かどうかには懐疑的であるが、彼らの「もっとも、より身近な気分(感じ)」は、そうした懐疑を、再び考えさせてくれるかもしれない。

たとえば、こんなことではないだろうか。我々は、お互いに対して、不和という先入観を持っている!苦手な隣人と会って、不和を払拭しようとする心、よそよそしさの中で共通の問題で話し合おうとする心は、初対面の誰かと、天気やブラックティーの味について優しく会話する心より、お互いをより深く理解し共感できるようにする。もっとも、より身近であることが、ただ好感を持っているだけを意味することではない。むしろ、それは、我々の間に、何かの事件が起きて、必ず解決しなければならない問題があるという意味を持っている。イギリスのサッカーに熱狂する韓国の若者が、ヨーロッパの若者に会って熱狂に近い一体感を感じて、また、その韓国の若者が日本の若者とは歴史的なイシューで熱狂に議論を行ったとした場合、それだけで、前者の関係にある一体感の「粘性」の濃度が高いとは言えないのだ。

この「もっとも、より身近な気分(感じ)」に対し、様々な種類の社会科学的な資料を収集することもできる。我々は、資本主義の全地球的な拡散と流れに対して話したりしているが、その実行課程において、未だに地域的ブロックが維持されていることは事実である。遠距離ディアスポラが存在しているとしても、労働力の移動と搾取は、近い隣接地域を中心に行われる。韓国において、移住労働者のもっとも大きい比率は、中国の朝鮮族が占めている。搾取と虐待が、西欧によってのみ行われるとは言い切れない。東アジア人が、東アジア人を搾取し虐待している。虐待と搾取が似たような形式で、東アジアの様々な所において発生するとしたら、東アジア人は、もっとも、より類似な状況が作り出される同質な問題意識と抵抗の連帯意識を持つことができる。だとしたら、近くて、頻繁に喧嘩をしてきた東アジアにおける国家間の不和、近いということで植民化し、また搾取しやすかったし、未だにしやすいと思われている東アジアの東アジアに対する虐待に注目すること、なお、それに対して読んで書いて表現することが、東アジアの地域文学の、もっとも重要なアジェンダの一つになるのではないか。

 

往年の出会い、また到来する出会いとしての文学

 

王曉明が言及した虐げられる人々の共通感覚としての東アジア文学は、彼が最初に提案したものではない。その提案は、「我々がすでに分かち合えてきた往年のもの」である。彼は、このアイディアが、19世紀末の中国学者の章炳麟から始まったことを明らかにしている。梁啓超を初めとする同時代の知識人たちに影響を及ぼした章炳麟のアジア論の特徴を、彼はこのように整理している。「アジアは、ただ一つの地域だけではない。それは、一つの状況、抑圧、植民化という共有された経験でもある。だから、日本が侵略者、植民者になった瞬間、アジアに対するこうした正義から除外された」 。 Wang Xiaoming, “The Concept of ‘Asia’ in Modern China: Some Reflections Starting with the 2007 Shanghai Conference,” Inter-Asia Cultural Studies, Vol. 11, No. 2, 2010, 199頁。「もっとも、より身近な気分(感じ)」を感じられたのは、韓国の学者だけではない。東アジアのトポスを言及しながらも、そのアトポス的な実践性を強調する韓国学者の論議において、王曉明は、彼が憧れていた中国の近代知識人の声に注目した。
そうした点において東アジア文学は、ドゥルーズ(Gilles Deleuze)が話した意味としての文学的記念碑になり得るかもしれない。「一つの記念碑は、過去に発生したある事件を記念したり、祝賀したりすることではない。それは、事件に身体性を付与する持続的な感覚を、未来の耳に聞かせてあげることである。絶えず蘇る人間の苦痛、再びスタートする人間の抗拒、余儀なく再開される闘争を、苦痛が耐えないからといって、革命が勝利した後に消えていくといって、すべてのものは無駄なのか?しかし、一つの革命の成功は、ひたするそれ自体の中にあるだけである。正確に言うと、それが発生した際に、人々に与える振動と抱擁、開かれ、まさに、その中にある。そして、それが、いつも生成の最中にある一つの記念碑を構成する。毎回、新しい訪問客が石をおいておく石墓のように。革命の勝利は、それが人々の間に、位置付けられる新しい連帯の中に内在し、その中にある」 。 Gilles Deleuze & Felix Guattari, What is Philosophy?, trans. Hugh Tomlinson & Graham Burchell, New York: Columbia University Press, 1994, 176~177頁。

私は、上海で、東アジア文学という文学的記念碑に、真心の表情で石をおいておく人々に出会った。その風景は、少なくとも、私が抱いていた疑問のニュアンスを変えた。「東アジア文学が、果たして可能なのか?」を、「東アジア文学が、何を通して可能なのか?」という、多少介入的な質問に変えたのである。今回の出会いに関する感応はここまで。ある理念の身体を作り出す永遠なる感覚を、未来の耳に聞かせてあげるために、何が必要なのか?これからはこれについて考えていきたい。

 

翻訳: 朴 貞蘭(パク・ジョンラン)


季刊 創作と批評 2012年 夏号(通卷156号)
2012年 6月1日 発行

 

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