「私たち」を探す巡礼

2015年 春号(通卷167号)

 

 

「私たち」を探す巡礼
-徐京植『私の朝鮮美術巡礼』パンビ、2014

金楠時 / 梨花女子大学造形芸術学部教授

題目だけを見て、「徐京植先生がついに朝鮮時代の美術までを扱うんだな」と考えた。ところが、目次にある名前のうち、「朝鮮時代の美術家」は申潤福一人だけだった。日本留学後、人民軍従軍画家として活動し、その後北朝鮮に渡った越北者の李快大、看護師として派遣されたドイツで美術作家になった宋賢淑、「現実と発言」の同人である申炅浩と民衆美術家の洪性淡、ベルギーに養子縁組された後、作家になったミヒ、第1世代フェミニスト画家の尹錫男、そして今日の大韓民国美術作家の鄭然斗。著者は、このように多様な時代と年齢、成長背景を持つ美術家と彼らの作品を「朝鮮美術」と称したがる。「韓国美術」という言葉は、ここで扱う越北者、移民者、養子、さらに朝鮮族美術家の活動を包括することができないという理由からである。

これを十分理解するとしても、疑問が残った。生まれた背景も、生きてきた時代や場所も、当然作業内容や方法も異なるこの作家たちを、著者はなぜ、あえて「朝鮮美術」としてまとめて呼びたがるのだろうか。彼らが「韓国人」と人種的、遺伝的同質性を持っているからだろうか。歴史の紆余曲折の中で散らばって生きてきたが、それでも彼らの作品において「朝鮮的」と称される固有の美意識を見つけることができるということだろうか。もしそうであるならば、「韓国人」との遺伝的同質性を持たない、例えば、大韓民国に住んでいる外国人労働者や移民者の美術は「朝鮮美術」に含まれないのだろうか。

このような疑問を抱き、本(チェ・ゼヒョク訳)を読んでみると、ここでの「朝鮮美術」とは、事実上不在する、それゆえ、これから探索していかなければならない開かれた概念であることがわかった。例えば、日本で生まれて育った著者が、光州出身で5・18を経験した画家のシン・ギョンホの作品に興味を感じる理由は下記の通りである。

「私はシン先生の作品に大きく興味を感じる。しかし、その興味は自身の『根源に内在するリアルなもの』と、『私たちの伝統に呼吸する美感』を発見したという喜びとは少し違う。『私が無くしてしまったのはこのようなものだったのか……』という思いから来る、すでに無くしてしまったリアリティをさかのぼって探索し、再構成するための興味なのである。」

「韓国人」の遺伝子は共有するが、「言語、文化、風習にとどまらず、美感と音感までも」異なる(59頁)著者にとって、シン・ギョンホの作品が持つ魅力とは、人種的同質性に基づいたある種の超越的美感から出るものではない。それは、著者が「無くしてしまった」と感じる、それで不在の、これから「さかのぼって探索し、再構成」しなければならない「リアリティ」に対する興味のためである。

日本で教育を受ける間、著者は「言語と習慣にとどまらず、美意識のレベルまでも完全に日本人に同化され」(243頁)ることに拒否感を持つほど、「朝鮮人」としての強い自意識を持っていた。ところが、後で彼は自身が受け入れることを拒否した「日本的美意識」というものが、彼が必死に守ろうとした「朝鮮的美意識」ほど、ある「実体ないし本質が存在するはずがな」い「イデオロギー」(244頁)であることに気付くようになった。それは、内部的には多層的で、多様な階級やジェンダーの違いを見えなくさせ、外部的には自身と「他者」を「優劣」の基準によって区分する「自民族中心主義」(245頁)へつながりがちである。階級とジェンダー、階層と地域を超越する「美的共同体」が近代国民国家の理想として追求され、「美術史と美学という領域は国粋主義の培養地」(246頁)だったのもそのためである。

このような著者に「朝鮮美術」のアイデンティティが、「特定の民族や人種が本質的に(遺伝的に)共有した固有の美意識」に基づくものであるはずがない。それは、「むしろそのようなイデオロギーに反対するところから始まる。言い換えれば、ある地域や民族の持つ特徴的な美意識はある(特定の―評者)政治的、社会的、風土的条件によって形成され、変容されていく」(245頁)、生活の「文脈」から由来する。ガソリンスタンドやアイスクリームショップで働く若者やダンス教室でダンスを習う中年男女、「クレヨポップ」のようなアイドルグループが登場するチョン・ヨンドゥの作品を、著者が「韓国的」という理由もここにある。チョン・ヨンドゥの作品が「韓国的」な理由は、「韓国という本質を主張するからではなく」、「『韓国』という『文脈』を生きる人々」(121面)を上手に取り出しているからである。

ところで、「我が国」を「韓国」と、「私たち」を「韓国人」と呼ぶ際、私たちは具体的に誰を思い浮かべるのか。「朝鮮民主主義人民共和国」はもちろん、在日や在中同胞などのコリアンディアスポラ」(8頁)は、知らず知らずの間にそこから排除されているのではないか。著者は、「韓国」という呼称と結び付けられた「私たち」がこの歴史の文脈を盛り込めるほど、より広がることを求める。

例えば、韓国人の母と日本人の父の間から生まれた作家のミヒは、幼い頃ベルギーへ養子縁組されたが、今は養父母と別れて暮らしている。コリアン養子だが、父が日本人という理由で韓国でも境界の外へ追放される。「ミヒは『私たち』に含まられることができるだろうか。ミヒの国籍はベルギー、血統の半分は「日本人」のようだ。10年以上韓国で暮らしたが、ウリマル(韓国語)を上手に話せない。キムチが食べられない。それでも、このようなミヒを『私たち』の一員といえるだろうか。そしてミヒの美術は「わが美術」に含まられることができるだろうか」(326~327頁)。

ミヒを「私たち」として受け入れ、彼女の美術を「わが美術」として包摂することができれば、「私たち」は今よりいっそう広がると思われる。著者は、いつかその「私たち」が「南北同胞は言うまでもなく、コリアンディアスポラまでが平等な構成員として参加する民族共同体」(9頁)に拡張されることを望でいる。著者の提案した「朝鮮」と「朝鮮美術」という名称は、その時に初めて、今は不在する生活の文脈によって満たされるだろう。(ところが、私は、「朝鮮」という名称が大韓民国を「移民国」や「夫の国」として迎えた人々までを抱擁する共同体を称するには依然としてどこか不適合ではないかと考える。)

著者の以前の著作(『私の西洋美術巡礼』、『私の西洋音楽巡礼』)の題目にも登場した言葉「巡礼」は、本書で新しい意味を得ている。ここで著者は、すでに存在する「朝鮮美術」を巡る観覧者ではなく、「朝鮮美術」で結ばれ得る「私たち」とは誰であり、誰になるべきか、苦心しながら作家を探し回る巡礼者だからである。彼が見つけ出した大半の人々が、著者のように自分の意思であれ、他者の意思であれ、内外的ディアスポラを経験したか、あるいは経験しているという事実は決して偶然ではないと思われる。

 

翻訳:李正連(イ・ジョンヨン)