〔対話〕平等な世界は平等な過程で: レベッカ・ソルニットへのインタビュー / レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)・白英瓊

 

創作と批評 178号(2017年 冬)目次

 

レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)

芸術評論や文化批評をはじめとする多様な著述で注目される作家、歴史家であり、1980年代から環境・反核・人権運動に熱烈に参加した現場運動家である。特有の機転の利いた筆致で、一部男性たちの「メンスプレイン」現象を痛烈に批判して、全世界的な共感と話題を呼んだ。韓国に紹介された著書として、『男たちは私を教えようとする』『女たちは同じ質問を受ける』『闇の中の希望』『遠くて近い』『歩きの人文学』『この廃虚を凝視せよ』があり、グッゲンハイム文学賞、全米図書批評家賞、レノン文学賞、マーク・リントン歴史賞などを受賞した。

 

白英瓊(ペク・ヨンギョン)韓国放送通信大学校文化教養学科教授(文化人類学)。主要論文として「知識の政治と新たな人文学――「公共」研究の拡張のために」「社会科学的概念と実践としての「危機」」などがあり、共著に『フランケンシュタインの日常』『孤独な私から、ともにある私たちに』などがある。

 

 

白英瓊 『女たちは同じ質問を受ける』(The Mother of All Questions, 2017、創作と批評社2017)韓国語版の出版を機にソウルを訪問されました。こちらでお会いできて光栄です。

レベッカ・ソルニット(以下ソルニット) 私もソウルに来ることができて光栄です。

白英瓊 様々な著作が韓国語にすでに翻訳されていますが、韓国であなたが大衆的な名声を得ることになったのは、やはり『男たちは私を教えようとする』(Men Explain Things to Me, 2014, 韓国語版・創作と批評社2015)と「マンスプレイン」(man + explain)という言葉を通じてだったかと思います。『男たちは私を教えようとする』の韓国語版の出版が韓国のフェミニズム・リブート現象と相俟って、本書の大衆的人気とフェミニズムの拡散が、互いを強化し合う効果を産みました。そのような面で、韓国においてあなたに対する関心は、まずフェミニズムと離しては考えにくいと思います。

ソルニット それではそのあたりからお話しすることにしましょうか(笑)。

 

フェミニズムと反核・環境運動の間で

 

白英瓊 あなたはいろいろと興味深い活動をしてきましたし、作家の他にもジャーナリスト、活動家、歴史家など多様な役割で知られています。したがって、あなたにとってフェミニズムが何であるかを示すためにも、あなたがやってきた活動の中で、一見、フェミニズムと関連がないように見える部分を紹介しながら、それがフェミニズムとどのようにつながっているかを示す方が、意味あることかと思います。

ソルニット 興味深いお話しです。ここでフェミニズムとは何か、まず考えてみる必要があります。私は何よりもフェミニズムを、人権とすべての存在の解放を追求する流れの一部として定義すべきと考えます。他の闘争と分離されたものではなく、女性嫌悪やジェンダーの不平等、また伝統的な役割から女性を解放することで、ひいては人権とすべての存在の解放を追求する闘争として見るべきだということです。女性の間には人種的・階級的な違いが存在し、性的指向の問題もあって、その他に異なる利害関係もあるので、実際に女性たちの闘争と他の闘争が分離して進められたことはないと見るべきでしょう。ですが、性差別は、私が生まれて育ってきた家庭で、生きてきた世の中で、仕事をする過程で、私生活の領域において、到底、何とも言えないほど大きな影響を及ぼしてきました。そのような面で、私にとって性差別とはきわめて個人的な問題です。私はアメリカ原住民の権利運動や気候変化の防止運動をはじめとする多様な活動をしてきましたが、フェミニズムは、本を書く以前にも、つねに私の著述活動の一部でした。1985年頃、あるパンクロック雑誌に初めてフェミニストに関する記事を書きました。

白英瓊 そうですね。あなたの様々な著書を見ると、環境問題に大いなる関心を傾けてきたことがわかりますが、反核運動にも依然として関与しておられますか?

ソルニット 依然として反核運動は重要だと思いますが、最近は活発に活動していません。でも、原子力が気候変化に対する解決策になりえないと発言することは、たびたびあります。後世に対して気候変化というおぞましい問題を押し付けないためにも、原子力廃棄物という、もう1つのおぞましい問題を押し付けてはいけないのではないかと思います。とにかく、核兵器や原子力発電、また廃棄物に対する私の以前の活動、またそれと関連する多くのことが、依然として私に影響を及ぼしているのは事実です。友人のカウフマン(L. A. Kauffman)が最近、アメリカ左派の歴史に関する本(Direct Action: Protest and the Reinvention of American Radicalism, 2017)を出しましたが、そこで驚くべき話が出てきます。組織運動に対する私たちの考えを革命的に変えた契機が、まさに反核運動であったという事実です。1970年代の反核運動の中でフェミニストが登場し、クエーカー派や他の領域から新たな闘争方式を借用することによって、政治的組織運動の過程に新たな手段を提供し、新しい種類の柔らかさと平等を付与したということです。それ以前の組織運動が、権威主義的でカリスマあふれる男性たちによって支配され、多くの人々に疎外感を抱かせたとすれば、反核運動を契機に組織運動は「予示的政治」(prefigurative politics)に、換言すれば、政治は、自ら標榜する価値に符合すべきという考えに変化していくことになりました。さらに平和な世の中を作りたければ、その過程も平和的である必要があり、さらに平等な世の中に出会いたいならば、その過程も平等でなければならないということです。そうした点で、当時の反核運動において少なくとも一部は、単に核兵器の問題だけでなく、私たちがどのように互いに疎通するのか、組織運動や政治権力をどう理解するべきかという問題を提起したことで、その影響はこれまで、世界各地の様々な運動を通じて確認されてきました。カウフマンは、直接行動に対する当時のそのような動きがどれほど重要なのかを指摘しますが、まさにそのことが、私が『闇の中の希望』(Hope in the Dark, 2004, 韓国語初版2006, 改訂版2017, 創作と批評社)で言おうとしたことでもあります。

さきほどお話しした戦術を作り出した、まさにその運動は、1970年代にシーブルック(Seabrook)原発の建設を阻止するためのものでした。シーブルック原発は、結局、建設されてしまったので、そのように考えれば「運動は失敗した」とも言えるでしょう。ですが、別の見方をすれば、彼らが作り出した運動は、数百の原発計画を廃棄させ、原発や核兵器、核戦争の危険をクローズアップし、多くの運動の触媒になっただけでなく、以降、多くの運動の一部となるテクニックを作り出しました。ですから、彼らは直接的には小さな失敗を産みましたが、間接的には数え切れない莫大な一連の成功を作り出したのです。私もやはり、その運動の結果であるという点で、このような過程に関心を持っています。『野蛮な夢』(Savage Dreams, 1994)で触れたその反核運動で、私はネバタの核実験場に行きました。私がものを書く方法をきちんと学んだのも、アメリカ原住民の運動家と出会えたのも、私の人生がいい方向に大きく変わったのも、まさにそこにおいてでした。そのような意味で、私が反核運動にどう寄与したのかは明らかではありませんが、その運動が私に何を与えたのかは確かなものがあります。

白英瓊 最では、気候変化の防止運動を活発にやってこられたと理解していますが、この運動との関係はどうなのでしょうか?

ソルニット これまで10年間、多様な方式で活動してきたのは事実ですが、先日、ついに国際石油代替機構(Oil Change International)に理事として合流し、これから何か直接的で明確な役割が果たせるようになって、とてもうれしいと思います。私は気候変化の問題を扱う多くの環境団体に寄付していますが、気候変化はどこでもすべてと関連しているという点で実に圧倒的な事案で、現在、大きな転換が進んでいるのも事実ですが、充分とは言えません。興味深いのは、2000年代初期でさえ、「解決策がない」と考える立場が支配的でしたが、これまでに革命的な変化がありました。その変化としては、これ以上、化石燃料を使わなくてもいい可能性が開かれたという点を上げられます。メディアの環境がますます悪化し、このような事実は正しく報道されないのですが、エネルギー問題に対する社会的認識が日々高まりながら、工学的な解決方法も急速に発展しています。実際には、アメリカ、ロシア、サウジアラビアなど少数の強大国の中で、化石燃料産業界という少数の勢力があり、彼らが残りの多数国に対してパリ気候変化防止協約を履行しないよう働きかけています。いわば私たちは現在、気候変化にどれほど強力に対応するのかについて、全地球的な闘争中にあると言えます。もちろんご存じのように、気候変化の影響は各国ごとに異なっており、サハラ砂漠以南のアフリカ国家や、熱帯および南極・北極地方ではさらに深刻な被害が予想されます。他の地域で、あたかも自分たちには気候変化の影響がさほど大きくないかのようにふるまえてしまえるほど、気候変化に対する体感が異なるのも事実です。

白英瓊 フェミニストとして、気候変化の防止運動に対して、特に強調する部分がおありですか?

ソルニット 気候変化が女性たちをさらに弱くするだろうと憂慮します。たとえば、子連れの女性たちは、移動性は落ちますが、責任はより多く負っています。飢謹や日照りで生活の基盤から駆逐されながら、日々、起きている様々な貧困の状況において、さらに弱くならざるを得ないということです。化石燃料の体系を一種の権威主義体制と見ることもできます。少数の男性たちやロシアやサウジアラビアのような家父長制国家の手に、権力を集中させてきたということです。気候変化の防止運動が興味深いのは、この運動が単に、悪いことを阻止するところで終わらず、いいことを作り出すという点です。私たちが家を暖めて火を灯す動力を分権化するならば、このことを通じて、現在、いくつかの化石燃料企業に集中している権力を分散させることができます。風や日光はどこにでもあるからです。このことはアメリカのブッシュ政権を動かし、現在のトランプやロシアのプーチン政権の相当部分をやはり動かしている、破壊的勢力との決別を意味します。そのような意味で気候変化の防止運動は、フェミニズムと直接的ではなくても互いに関連があります。独特かつきわめて家父長的な権力を解体する作業ですからね。

 

アメリカの歴史と伝統にどう接続すべきか

 

白英瓊 あなたの著作の中で、アメリカの西部の歴史を扱ったものと、都市の図鑑化作業など、景観に対するものが、個人的に好きです。『無限の都市』(Infinite City: A San Francisco Atlas, 2010)も興味深いものでした。表面に見えるものを越えて、1つの場所に含まれた重層的な意味を明らかにする作業は、私たちが、ある場所と関係を結ぶスタイルを変化させると思いますが、都市についてこのような作業をすることになった契機や、そのことに特に付与する、何らかの政治的な意味がおありですか?

ソルニット 私は、私たちの直面する問題の相当部分が、近視眼的な視野から始まっていると考えます。かつて所得の不平等が小さく、健康保険や教育・住居費用がより安く、今のように大規模な路上生活者の集団が存在しない過去があったということを、アメリカ人は記憶できていません。したがって、歴史知識を持つこと自体がほとんど革命的なことになるだろうと思うのですが、状況が可変的なものであるという展望を提供するという点で、そう言えます。フェミニズムについても、前の週に何を成就したか、あるいは前年に何を成就したかというように見るならば、別に成果がないとも言えますが、これまでの50年を見るならば、世界のあちこちで女性たちの生には、ジェンダーや権力問題、多様な不平等、家庭や仕事に対する観念などをめぐって、ものすごい変化がありました。「場所」についての私の作業は、このような長期間の変化を理解するためのものでもあり、私が「異なる愛」(other loves)と言っている一種の喜び、ある意味では関係についてのものでもあります。私は、場所というのは、関心を傾けて接続しさえすれば、両親のように、友人のように、恋人のように、相手を支え育てられるものだと思います。人々が、SF小説のくすんだ一場面のように、1日中、小さなスマートフォンの画面だけを覗いているのを見ると悲しくなります。これ以上、自分がどこにいるのかさえ分からないようです。サンフランシスコ近隣のシリコンバレー地域において、すべての人々は、自らを会社とつなぐ小さな箱を凝視しています。すべての対話は通信装備を通じてやりとりされるように感じられます。移動は主として自家用車で行ないます。このような文化の中で、人々は、共同体意識や場所それ自体から隔離されることになります。それとともに、長期的な歴史の展望から遠ざかることになります。周辺の人々に対して、変化が理解できる長い時間の流れに対して、一種の物質的で文化的な存在としての場所と、私たちはいくつものレベルで、長時間の流れの中でつながっています。

『歩くことの人文学』(Wanderlust: A History of Walking, 2000, 韓国語初版・民音社2003, 改訂版・創作と批評社2017)で、工場労働者がただ仕事の速度を遅らせるだけでストライキを進めた経験について言及したことがありますが、ものを書くこと、歴史学・人類学の学習、また友達と付き合って子供を育てることは、すべて速度を遅らせて注意深い関心を傾けるべきことです。だからといって、資本主義や家父長制がすぐに崩壊するわけではありませんが、これもやはり一種の抵抗であることは明らかで、このような抵抗が私の考える自分の作業の核心です。

白英瓊 真の日常の抵抗は、時間や場所について異なる感覚を育てることだというように聞こえます。

ソルニット ええ、まさにその通りです。よく整理して下さいました(笑)。

白英瓊 歩くことと場所について重要と考えるもう1人の作家として、ヘンリー・デイビッド・ソロー(Henry David Thoreau)がいます。実際に多くの読者が、あなたとソローの間に多くの共通点があると感じているようです。あるインタービューで、あなたもそれを認めていたのを、どこかで見たような気がします。

ソルニット 今、ちょうどソローの伝記を読んでいるんですが、膨大な伝記(Laura D. Walls, Henry David Thoreau: A Life)が、今年、アメリカで新たに出ました。ソローとバージニア・ウルフ(Virginia Woolf)の2人は、他のいかなる作家よりも、私にとって重要な意味があります。彼らがともにノンフィクションの散文を書いたという理由もありますが、2人とも政治的であると同時に抒情的・詩的で、私的であるという、その2つの面を分離せずにものを書いたからです。英文学の中では、詩とは政治とまったく関連がないもので、政治は退屈で、抽象的で、義務感からやることであって、美しさや主体性、人生の経験などとは関係ないと考ることは珍しくありません。そのために私は、私たちをそのような枠組から解放する作家であるならば、誰であっても重要であると考えます。また、ソローは奴隷制廃止運動に参加した、アメリカ抵抗史の草創期の人物です。それ以降、ガンジーやマーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラをはじめとして世界各国の運動に影響を及ぼす、市民の不服従を概念化した人です。私は、自分もそうだと思いますが(笑)、彼は反骨の気質が強い人物であり、直接、目で行なう観察に関心がありました。そのために、伝記を通じて、彼が、自らの母親や妹も参加した当代の奴隷制の廃止運動と、いかなる関係を結んでいたのか、当時、流行した思想はどのようなものだったのか、確認することができてよかったです。あれこれと掘り出す面白みがありました。歩くことに対する内容はもちろんです。

白英瓊 あなたが場所に付与する重要性は、実際にアメリカ原住民の生き方にも見出すことができます。人は、自らが生きる場所と分離され得ず、自らが生きる世界の一部であるという考え方に基づいたものだと思いますが、あなたの著作を見ると、アメリカ原住民についての内容がかなり多く出てきます。そのような関心は、いつ、どのように始まったんでしょうか?

ソルニット 私はカリフォルニアで育ちましたが、この街はもちろん西部に該当します。両親はともに大都市で育った移民者であり、アメリカ的な風景に大きく関心を持ったようではありません。母は木が好きなので、たびたび私に木の絵を描いてくれと言いましたし、都市設計者であった父は環境保護に多くの努力を傾けました。ですが、私が育つ時、カウボーイとインディアンはともに過去の存在でした。幼少時、私はこの場所に、自分より先にいた人々は誰だろうか、誰がこのような場所で生きる方法を悟ったのか気になりました。彼らがまさにそのような人たちだったわけです。興味深いのは、私が幼かった時、原住民は主流文化においてほとんど消えかかっていた存在でしたが、私の知的な人生と想像力の形成に最も大きな影響を及ぼした出来事の1つが、1992年にコロンブスの新大陸到着500周年記念式の頃に展開された原住民運動であるという点です。ここでは最初にコロンブスの新大陸到着は「発見」であると称賛される予定でしたが、原住民が、自分たちは「発見」されたのではなく「侵略」されたのだと語りました。「500年間の抵抗」というスローガンがこの運動の組織化にきわめて強い力を発揮しました。それとともに、この人たちはここにつねに存在し、侵略され、依然としてここにあるという対抗的な物語ができ始めました。彼らが文化の中でうち消され、あたかも一度も存在したことがなく、荒野がもともと空き地であったかのように見なされた状況では、ただ彼らがここにまだいるという事実を叫ぶだけで急進的でした。ある意味では、彼らが駆逐されて消えたことが悪いのだと言っても、あくまで先祖の誤りにすぎず、私たち自らの責任は問われない状況です。したがって、このような変化を目撃することの影響には、ものすごいものがありました。環境に対して異なる関係を結ぶべきだと主張し、時間と場所に対して異なる感覚を持つ人々、強い口述の伝統と、産業社会で見出しにくい世代間関係、また自然に対する畏敬を持つ人々、物質的なものと霊的なものが分離したり対立したりすると信じる西欧文化とは異なり、それが分離できないと主張する人々の出現は、途方もない影響力を発揮しました。

ネバタ州の核実験場で核兵器に反対した時期に、ショショーニ族(Shoshone族)の土地権利運動に出会うことになったんですが、アメリカ連邦政府は、実際に自分たちの土地を強奪できなかったし、だから、その土地は依然として自分たちのものだと主張する小規模な原住民運動でした。私はそのキャンペーンの一員になって、ネバタで多くの牛や馬を飼って牧場を経営する家母長(matriarch)の2人とかなり密着して仕事をしました。それは私を変化させ、開眼させた、教育的で素敵な経験でした。この経験をたどりながら、私は大きく変わりましたし、それまで暮らした西部の海岸を離れて、内陸に居所を移すことになりました。本当のカウボーイやインディアンのように、家畜を育てて暮らすことになったというわけではありませんが、土地の権利をめぐる政治があり、砂漠と山でかこまれた美しく広大な空間……最も近い食料品店が数百マイル離れていて、車で半日走っても家一戸見えない場所、私がかつて愛し、依然として愛しているその場所に居所を移したわけです。

白英瓊 昨年、アメリカ・ノースダコタ州のスタンディングロック(Standing Rock)地区で起きたスー族(Sioux族)の闘争に見られるように、アメリカ原住民の闘争は現時点で新たな連帯のための重要な軸として、あらためて浮上しているようです。

ソルニット カナダでも、現地の原住民は送油管の建設阻止に不可欠の役割を果たしました。それによってカナダは、莫大な量の化石燃料を有しながらも、そのまま放置せざるを得ない興味深い状況に置かれました。トルドー首相(J. Trudeau)の石油政策はきわめて醜悪です。多くの人々は、彼がハンサムで人権を重視し、フェミニズムに対してもいいことを言うと評価しますが、実際には私たちを破壊しようとしています。ですが、カナダの原住民は自らの主権と努力で、特に瀝青炭がどこにも移せないように移動を阻止してきました。これまでに起きたことを見ると実に驚くべき運動です。自らが暮らす地に忠実な人々は、それを守る方法を探さざるを得ません。現在の私たちが北米で目撃している環境破壊は、相当部分、何も気を遣わない人々が犯していることです。彼らは、この場所が暮らせない土地になれば、もともとここの人間ではないので他所に行ってしまうでしょう。言ってみれば、この場所がどうなろうと何の関係もない人々と、いつもここで暮らしてきたし、どこにも行かず、この場所が暮らすに値するところであり、この場所がいつまでも健全で破壊されてはならないと考える人々との間の戦いなのです。おっしゃられたスタンディングロックの闘争は、ウォール街の占領運動やアラブの春のように、新しく急進的な分析を可能にしましたし、私たちがどのような存在であり得るのかについて、根本的に異なる展望を触発させ、新たな声で溢れることが可能な空間を開く、運動の1つであると考えます。イギリスの『ガーディアン』(The Guardian)紙に寄稿するために、私もそこにしばらく訪問する機会がありましたが、当時は雰囲気が、きわめて暴力的かつ苛酷になる以前でしたが、そこで人々が享受した喜びは、本当に彼らを変革させるほどのものでしたし、とても特別なものでした。北米の歴史上、最も多くの人々が集まった原住民集会だったと思います。声なき見えない存在ではなく、支持と連帯の中で力を有していることから来る雰囲気が、きわめて興味深かったです。彼らはオバマを説得しましたし、勝利する雰囲気でした。トランプの代わりにクリントンが当選したとすれば、大きな勝利を収めることができたでしょう。まさに選挙で見られた近視眼性でもありますが、多くの人々が、ヒラリー・クリントンの気候に対する公約が完璧でないと騒ぎ出しました。もちろん完璧ではありませんでしたが、トランプの公約よりは百万倍いいものだったのにです。英語に「完璧を追って、いいものを逃すな」という言葉があります。清教徒的に完璧さを追求する左派運動の周辺に私も長く身を置いていますが、完璧さはときに怒りと破壊で「いいもの」の敵になってしまうようです。

 

アメリカと韓国、フェミニズムと政治的状況

 

白英瓊 では、アメリカと韓国の現実の政治状況とフェミニズムの問題に話題を変えましょう。あなたは『女たちは同じ質問を受ける』で、2014年がアメリカ・フェミニズムの分岐点だと言っていますが、韓国の場合、フェミニズムは2015年に新たな転機を迎えました。韓国でフェミニズムのリブートは、ろうそく革命で新政権を誕生させるために、そしていまだ終わっていない市民革命として、市民の権利を拡張させる流れの誕生に貢献しました。反面、アメリカでヒラリー・クリントンは選挙で敗北し、彼女の敗北が、アメリカに蔓延した女性嫌悪のせいであることを否定することは困難かと思います。世界のあらゆるところで、フェミニズムの勢力拡大を目撃することになりますが、各国の政治的状況はかなり異なります。このような違いはどこから来るとお考えですか。

ソルニット アメリカ史上、最も大規模な行進が、トランプ就任の翌日に行なわれた女性たちの行進でした。政治的状況が違いますが、実質的には類似した点もあると思います。今、トランプ政権に抵抗する人々がどのような人たちかを見ると、議会に電話をかけて意見を表明して圧力を加える人の87%が女性だといいます。多くの女性が運動を組織しており、民主党の党籍で議会に進出しようと、候補者として初めて選挙に乗り出した人もいます。他の領域を見ても、民主主義の過程に参加している人の大多数が女性なので、いったい男性は何をしているのか、どこにいるのか、何が起きているのか、問わざるを得ません。女性嫌悪が選挙に大きな影響を及ぼしたのも事実で、ヒラリー・クリントンを批判する理由ももちろん数多くあります。彼女の政策は、オバマ、バイデン、ゴアのような、多くの中道派の民主党候補たちと大きく異なりませんでしたが、彼らが立候補した当時は、今のような水準の、神経質で、狂気や怒りに満ちた憎しみが表面化していませんでした。主として男性たちは、クリントンに対して感情的に激しく反応しながらも、自らは物静かで合理的であり、感情はまったくないと主張しましたが、これらすべてのことが選挙の重要な一部でした。このような現象は集団的な狂気に近かったと思います。みなが自己破壊的な狂乱にまで突き進みましたし、近視眼的な群衆心理を示したと思います。そのような中で、トランプがどれほど危険な人物か、何をしようとしているかは見ようとしませんでした。クリントンを憎悪するのに忙しくてそうだったようです。トランプ支持者だけがそうだったのではなく、中道派や左派も同じでした。選挙以降も、ロシアの介入をはじめとして、選挙に影響を及ぼした他の影響についても論じようとしない人々が多数います。これは結局、トランプが選挙で正当な方式で勝利したようにすることで、結局、本質的に彼を擁護しているのです。そのような人々にとっては、トランプがどれほど人気がなく、選挙を横領したかを認識したり、トランプの犯罪の疑惑を明らかにすることよりも、ヒラリー・クリントンが弱かったという事実の方が重要でした。「弱い」(weak)という表現自体が、実はとてもジェンダー化されたものですが、その表現を使い続けました。ここで、彼ら多数の男性には、結局、家父長制や男性アイデンティティ、男性権力が、他の何よりも重要なものだったかがわかります。50年あるいは100年過ぎた後で見れば、人々は「なぜあのとき、気候変化に対して何もしなかったのだろうか?」「21世紀の最後の機会の瞬間に、なぜもっと多くのことをしなかったのだろうか?」と問われるだろうと思います。その問いに対する1つの答えは、あまりにも多くの人々が1人の女性をあまりにも嫌悪し、きちんと決定を下せなかったということでしょう。クリントンは完璧ではないかもしれませんが、なかなかいい気候政策を掲げていただけに、オバマにそうしたように圧力を加えて、送油管の建設プロジェクトを中断させることができたでしょう。ですが、トランプは、今、すべてのものを破壊しています。

白英瓊 トランプとクリントンが質的に異なることは否定できません。

ソルニット ええ、その違いは相当のものです。ですが、クリントンを擁護することが困難でしたし、特に女性たちには沈黙が強要されました。このことが結局、選挙を支配した女性嫌悪の情緒だったと思います。その女性嫌悪は客観性を標榜しましたが、きわめて主観的な感情に過ぎませんでした。本当に耐えられないほど奇怪な光景でした。ロシアがアメリカの様々な州で選挙システムをハッキングしたことがわかっています。公式的にはハッキングで選挙の結果は変わらなかったと発表されましたが、実際に変わり得るのかどうか、きちんと調査したことがあるのかと問わざるを得ません。ただ、そうであると考えているだけです。私の知るかぎり、選挙の過程で本当にどのようなことが起きたのか、きちんと調査した州もありません。トランプは実際の投票数でクリントンに300万票余り下回りました。歴代のどの選挙でも、敗者がそのように大差で勝利したことはありません。トランプと彼の選挙チームが、プーチン政権と様々な方法で結託したように見えるという事実はさておき、選挙結果に対する判断を留保せざるを得ない、多くの理由があると思います。敗北を認めることが問題だという点は言うまでもありません。もちろん、この話は、多くの左派が受け入れようとしない、論争の種でもあります。

白英瓊 反面、韓国人は、最大230万人が平和に集会を持ち、政権を交代させたことに対して誇らしいと考えています。

ソルニット 延べ人数ではなく、同時に230万人ということでしょうか?

白英瓊 ええ、そうです。

ソルニット あなたもろうそく集会に参加しましたか?(周囲の編集陣に向かって)他の方々はいかがですか?

白英瓊 ここにいる人々はみな参加しました。

ソルニット みなさんですか? 本当に驚くべきことです。大衆が政権を打倒した出来事は数えきれないほど起きましたが、実際に政権がどう倒れるかを説明できる公式は存在しません。私は、人々が情熱に燃えて恐怖を克服し、参加の条件を長く羅列せず、通りに出る瞬間が好きです。純粋な怒りの表現が、ときに戦略的分析の力よりも、はるかに強力です。

白英瓊 昨年10月から今年3月まで、毎週土曜日に開かれたろうそく集会を通じて、市民は怒りを表出することもしましたが、全体的には奇抜なスローガンや創意的なスタイルの批判がかなり目につきました。家族同伴で出てきた人々をはじめとして、市民は概して互いを配慮する成熟した態度を示しました。単に義務感からでなく、デモに参加することが面白く元気が出るのでやってきたという人々も多かったと思います。

ソルニット 『この廃虚を凝視せよ』(A Paradise Built in Hell, 2009, 韓国語版・ペンタグラム2012)で私が言おうとしたことが、まさにそのような喜びでした。それは、私たちがある社会や共同体で行為する能力、声、また所属感を持つ一員になることを、どれほど心深く望んでいるかを示すと思います。私は、このような喜びが災難の後にも可能で、さらに戦争や政治的な危機の中でも生じるのを目撃します。安全や、俗に言うウェルビーイングよりも、私たちは何者か、私たちの深い熱望は何かという問題の方が、より重要であると感じる人々が多いにもかかわらず、このようなことを説明できる言語や枠組は充分ではありません。にもかかわらず、そのような熱望は実際に存在します。驚異的なことです。

白英瓊 ですが、いまだ市民自治を成就するには前途遥かといった感じです。むしろ、激しくなる女性嫌悪の文化や脱核の問題など、課題が随所に散在しています。アラブの春をはじめとして、私たちはさほど古くない過去に目撃した、成功的な政治革命の中でも、その成果を制度化できない出来事が数多くあります。ろうそく革命の政治的エネルギーを通じて、成功的な改革を成就するためにどのようなことが必要だとお考えですか?

ソルニット 政権を打倒したら、多くの人々は目的を達成したと考えますが、実際はその後に何が来るかの方が本当に問題です。東ヨーロッパは革命以降、すぐに自由主義的民主主義と資本主義に進み入ってしまいました。革命に成功してから何をするのかを考えていくほどに、大衆が明確な展望や規律を持つ場合はさほど多くありません。フランス革命、ロシア革命、またアラブの春も、やはり革命当時の理想はものすごいものがありましたが、組織的一貫性は充分でない場合が多かったですし、そのうちの一部は改善されたものがまったくありませんでした。異なる視角から見ることもできますが、私が好んで話すエピソードがあります。1970年代に中国で周恩来がフランス革命に対してどう考えるかと聞かれて、「語るにはまだ早い」と答えたといいます。実際にアメリカでウォール街の占領運動が何であったのかを語るにはまだ早いです。長期的にいかなる結果を産むかは分かりません。ですが、私たちの政治的言語を完全に変革したことは明らかです。革命が起きれば、権力に飢えた人々が押し寄せてきて革命を堕落させたりします。結局、最初に持っていた展望は消失してしまいます。ですが、この話を異なる観点から考えることもできます。『この廃虚を凝視せよ』を書いた時期に、美しいエッセイを読んだのですが、フランス革命が何を成就したのか? 最初に意図した目標を成就してはいない、だが、フランスは絶対君主政治には決して戻らなかったし、代わりに平等と民主主義と共和主義に対する理想が世の中に広がり、そこで大きな影響力を発揮したということです。大革命だけでなく、その後のフランスで相次いで起きたすべての革命は、厳密に言えば失敗でしたが、それぞれの革命は普通の人々にとって、より多くの権利をもたらしました。私はそのために、私の友人である環境運動家チップ・ワード(Chip Ward)の表現を借りるならば、数字化できるものの圧制を克服する必要があり、間接的な結果と、長期的な、また遅れてやってくる勝利を祝福するべきだと思います。多くの場合、政治的変化はそのような形で起こるからです。

白英瓊 希望を与えるお話しです。ですが、実際に韓国の改革に大きな障害物になる存在の1人がトランプ大統領です。トランプが戦争をちらつかせながら、韓国社会に存在する分裂の溝はさらに深くなっています。

ソルニット トランプが世界のあちこちに及ぼしている悪影響は、いちいち挙げるのが困難なほどです。アメリカが世界の警察の役割を果たすべきとは思いませんが、それでもこのような形で突き進むのも問題だと思います。フィリピン出身の同僚の気候変化防止の活動家が「フィリピンの大統領は、問題が多くてもフィリピンだけに影響を及ぼすが、トランプが大統領になるならば、世界の他の国に及ぼす影響がかなり深刻だから、よく考えてほしい」と訴えたこともあります。

白英瓊 アメリカの選挙結果が、世界に影響を及ぼす問題とか、アメリカ市民でなくても、私たちもやはり投票権を持って当然だという話まで出たりもします(笑)。

ソルニット 英国の『ガーディアン』紙も同じことを言いました。実際にアメリカの極右イデオロギーを共有する人々は世界にそう多くなく、オバマ大統領の当選時に全人類に投票権を与えたとすれば、95%程度の票を集めただろういうことです。前回の選挙でも、ロシアをはじめとする数か国の極右政権だけがトランプを好んだと思います。

白英瓊 逆説的ですが、トランプのおかげでアメリカの現実に目を開く人々がいて、そのような面で啓蒙的な成果がないわけではありませんが、それを望みながら、彼の政権をいい結果と見るには困難な状況です。一部では朴槿恵と同じように、トランプもやはり任期を満了できないだろうという話も出ていて、実際にアメリカでも、彼の露骨な人種主義や性差別などに抗議し、市民的不服従の動きも見えますが、どうお考えですか?

ソルニット 未来において起きるだろう問題に対して、現在ほど不確かに感じたこともありません。私がはっきりと認識しているのは、彼が個人的にも政治的にも信じられないほど不安定だという事実くらいでしょうか。彼の政権はスキャンダルと解任で騒がしいですが、政治的に成功した大統領になるために親しくすべき、すべての人々を疎外させながら、総体的な難局に陥っています。情報部署やマスコミ、軍隊、与党、州政府、公共領域、外国の指導者などは、大統領が享受できる最も強力な権力のネットワークですが、トランプはこれら全体が自分に背を向けるように仕向けています。品格面でも健康面でも、明日、すぐにどのようなことが起きてもおかしくないと思います。彼は政治権力を私的利益を詐取するための手段として使っています。資本主義の属性が絶えざる蓄積であるとしても、このようにすでに途方もない富を持つ人々が、より多くのものを持ちたがる理由を、私は理解できません。おそらく仏教式に考えれば、つねに飢えている悪鬼が、いかなるものにも飽き足りずに、より多くのものを望んでいる状況なのかもしれません。

白英瓊 アメリカでトランプが勢力を伸ばすことになった要因には、アメリカに広まった反知性主義もあると思います。アメリカ社会で公共の知識人はどのような位置にいますか? また、公共の知識人の1人として、あなたはどのような責任を感じていますか?

ソルニット 興味深い指摘です。実際に反知性主義はいつもありました。1940年には、はなはだしくは「何も分からない」、つまり、無知を党名に掲げた移民反対運動もあったほどです。党の名前としてもあきれますが、無知を公開宣言しているわけです。ですが、最近起きている現象は、人々が無知を越えて、言語自体を信頼しなくなったためのように思えます。「あなたはあなたが望む何でもすることができる」という自由市場のイデオロギーは、いまやFox TVと右派が作り出した世の中で、「あなたが望むものが、まさに真実である」という形に進化しながら、現在の右の論理の文化が大半を占めています。言語は真実や事実、科学と同じように1つの体系であり、その体系の中には責任性という要素が不可欠です。誰も物理の法則を自分で勝手に作り出したりはしません。自らの生涯を勝手に作り変えることもありません。もちろんそのような人が、最初からいないわけではないのですが。

トランプは原因というよりは兆候として見るべきです。一種の反知性主義の兆候であり、啓蒙主義的な企画の破産を示す兆候でもあり、因果関係の一貫性であるとか、事実関係や真実を計る慣性とかいうものなどが、これ以上作動しなくなったことを示す兆候であるわけです。気候変化という現象自体を否認する人々を見て下さい。彼らは化石燃料の産業界の経済的な利害関係を代弁しているだけです。極右イデオロギーの基盤は、関連性を否定するところにあります。彼らは、貧困を個人の責任として処理するだけで、その他には原因を否定します。環境的な真実も同じです。自分の工場で起きることが、あなたの子供たちの健康や川の魚に影響を及ぼすならば、これはすべて関連していることです。その事実を否定するのは、ある存在が他の存在とつながっている事実を否定することであり、ひいては、言葉は事実につながっていて、事実は事実同士つながっていることを否定するのです。ですから、虚無主義のように流れます。結局、このような状況がトランプの当選を可能にしました。オバマの出生申告書の書類や出生地の問題についても、トランプは意図的に嘘をつきました。これほどの激しい嘘は、情緒不安定な子供にも見られる行動です。言い換えれば、私はこのことが、あることの原因であるというよりは、何か大きく誤っていく兆候の極端な姿であると考えます。他の地域でも起きることですが、これまでの数十年間に成就してきた肯定的な変化を無に帰そうとする、人種主義的・女性嫌悪的な逆風の中で、憎しみの文化が極端に出た事例なのです。伝統的な共和党員は自らを、教養があってきちんとした精神状態のように装うことに長けていた人々でしたが、いまや堂々とおかしなことをしています。天下に公開的にです。このような状況は、長期的には興味深い結果を作り出すだろうと思います。今、共和党員はかなり当惑していますが、このおかしなトランプとずっと手を握ることが、自らを亡ぼし得ることになってしまったからです。健康保険の問題でも、オバマケアを中断したのは政治的にきわめて人気のない決定であったように、共和党所属の議員は自らの再選が危険に晒されるか恐れています。これはきわめて興味深い混乱状況を作り出しています。ですから今後、どのようなことが起きるかはわかりません。大きな恐怖とともに、いくばくかの希望の余地がある、くらいに言えそうです。

 

苦痛を通じた連帯という希望、そしてものを書くこと

 

白英瓊 あなたの作業で最も興味深く感動的な部分は、あなたが苦痛と災難の中で開花する連帯の可能性を絶えず模索してきたということ、そして、その探索の方法として、まさにものを書くことを通じて、新しい物語を作り出すという点です。あなたにとってものを書くことは、ある可能性を感知し、新たな世界を迎える行為のように思われます。また、希望を持つためには、すでに起きた惨事を記憶するのと同様に、私たちが行動したために起きなかったこともあることを記憶し記録することも、やはり重要であるということを、あなたの作業を通じて学んだと思います。

ソルニット かなり以前、私は環境主義者がやっていることや、私たちが成就した勝利の中で、多くの部分は目に見えないという事実を悟りました。現実に起きていないこと、起きないように私たちが阻止したことは目に見えないですからね。絶滅しなかった種、汚染されなかった水、毀損されなかった山林、病気にかからなかった子供たちのようにです。このような勝利を記念する方法は、物語として書くしかありません。軍事的な勝利のように目に見えるわけではないので、ここのこの城を誰かが占領したという形で語ることも困難です。政治の現実を論じるとき、物語を作り出すことも最大の目的は、新たな可能性と新たな観点を開くためだと思います。アメリカ原住民の運動、フェミニズム、環境主義的な思考のように、私たちの考えの中に内在する物語や隠喩を分析する様々な流れを通じて、私は、古い物語から脱却する作業を行なう、世界の多くの人々の中で1つになることができました。古い物語は、これまで私たちがどのような人間になることができ、世界をどのような方法で別のものとして想像できるのか、どのように新たな生の方式を見出せるかを制約してきました。もちろん、ときには古くなった物語が新しさを作り出したりもします。古くなった物語を聞きながら、私はこの物語は事実だろうか、私たちに役立つだろうか、問題をさらに明らかにする物語なのか、あるいは何かを隠蔽する物語なのか、このように絶えず評価します。結局、物語を作り出す作業は、新たな物語を取り出す過程でもありますが、古くなった話を解体する過程です。私たちは物語ならば、みないいように言いますが、男性優越主義や人種的優越主義、ジェンダー優越主義、異性愛優越主義など、優越主義を含む物語は破壊的です。ですから、このような物語を解体する作業は、破壊的な権力や制度を解体することほど創造的な行為です。私たちが行うべき戦いの一部です。

私は早くから作家になると決心したのが大きな幸運だったと感じます。実際に作家になりましたし、今でも何かを書いていて、その文章が世界的に読まれるという点でもです。今、このように生きているだろうとは、まったく予想できませんでした。韓国でも私の本が読まれるだろうとは想像もできませんでした。幼少時、誰かが私に「君のフェミニスト本が韓国でよく売れる日が来るだろう」と言っていたら、まったく信じられなかったでしょう(笑)。

白英瓊 あなたは、世界がとても早く、軽く、考えずに軽薄になっていると言いましたが、このような世の中で読み、書き、考える技術は、特権に近いように思えます。ですが、実際に最近、世の中では、読み・書き・考えることを実践する人、実践できる人の数字が減っていっている感じでもあります。その数が絶対的に減っているわけではないとしても、最小限そのような人と、そうでない人との間隙が、とても大きく見えます。作家生活30年の間、どのような変化を感じ、今はどのような挑戦に向き合っているとお考えですか?

ソルニット 他の多くの人のように、私もインターネットに巻き込まれて生きていると感じています。特にトランプ時代に、このような不安がさらに増幅されるようです。世の中を理解しようとする時、過去には本を読んだとすれば、いまやインターネットが一種の近道のように感じられます。少なくともニュースについてはです。私はインターネットがとても恐ろしい空間だと思います。ハッキングやmalware、ランサムウエア、私生活の侵害など、あらゆる危険に晒される問題もあります。一時、インターネットはすべてのものをつなぐユートピアのように語られましたが、今のインターネットは、ディストピア的な悪夢に変わりつつあります。前回のアメリカ大統領選挙で、ロシアが行なったことも、やはりオンライン世界の脆弱性を示した事例だと言えます。フェイクニュースを生産するのも、国家情報機関をハッキングするのも、とても容易な世の中です。わずか20年前に、私たちがどのように暮らしていたかを考えてみても、あたかも19世紀の話をしているかのように感じられます。いまやすべてのものがとても早く可能で、本を読む間にも妨害を受けます。若い人々は何か食べるときも、その場ですぐ写真を撮ってインスタグラムにアップするでしょう。現代は過剰につながった、おかしな世の中になりました。もちろん最近の世代は、フェイスブックで「いいね!」を通じて認められたい欲求に満ちている、このような環境では、独立的な思考や批判的な精神が不可能である――このように言うのは、過度に旧態依然な態度のようです。実際にアラブの春やウォール街占領の当時に、インターネットが肯定的な方向で使われた事例もたくさんあります。ですが、私生活の侵害や行き過ぎた広告をはじめとして、インターネットには破壊的な側面が数多くありますが、そのような側面に対する規制がまったくできていません。かと思えば、私が暮らすサンフランシスコ地域では、インターネット産業が発展して、途方もない金持ちが新たに登場し、彼らの政治的影響力が増加しましたが、同時に長く暮らした人々が都市から追い出されて、1つの場所で暮らすことの意味が何か実感もなく、それを分かろうともしない人々だけが集まってきています。彼らは自分の暮らす場所と関係を結ぶこともせず、貢献しようとすることもありません。そしてその結果、人々の実際的な死として出ています。シリコンバレーでは、新たに転居してきた技術専門職が、隣りに住む有色人種を見て、侵入者であると感じて銃で撃ち殺した事件もありましたし、100歳になった老人が退去させられて死亡した事件もありました。シリコンバレーのこのような醜悪な様相は、彼らが地球的に行っていることと似ていると感じます。そのように大きな富を享受しながらも、私たちは、私たちが誰なのか、地域で私たちはどのような存在になり得るのか、理想主義的に考えて行動することができなくなっているのです。

白英瓊 このような状況で、私生活の持つ重要性はより大きくならざるを得ないと思います。個人的にもそうですし、政治的にもそうです。

ソルニット そうですね。私生活というのは、つながらず、電気プラグを抜いた状態を意味したりもします。私たちはいまや私生活の意味をさらに理解する必要があります。エドワード・スノーデン(Edward Snowden)は、私たちが私生活をすでに喪失しており、政府が私たちを監視していることを知らせるために内部告発者になりました。グーグルやフェイスブックがどのようなことをしているのかについても、さらによく理解する必要があります。きちんと話す機会がありませんでしたが、トランプの当選は、フェイスブックが使用者情報を売ったためもあると思います。

白英瓊 では、このような現実においてフェミニストは何をするべきでしょうか?

ソルニット フェミニストならば家父長制を打倒するべきです(笑)。

白英瓊 急激に変化する世界で、新たな連帯を作り出すために、フェミニストは何をするべきでしょうか?

ソルニット アメリカのフェミニズムは奴隷制の廃止運動から始まりました。今の観点で19世紀のフェミニストを人種主義者だったと非難したりもしますが、もちろんフェミニストも、やはり当代の一般的な思考を共有するところがあり、一部のフェミニストが人種主義者であったことは事実です。ですが、他の一部は積極的に人種主義に反対しました。フェミニズムは女性のための企画であるのと同様に、男性のための企画でもあり、他の種類の解放とも分離して考えることはできません。暴力は被害者だけでなく加害者も破壊するという点でもそうですが、男性たちも女性とは異なる方式で沈黙させられてきたこともやはり事実です。結局、フェミニズムは環境主義と同じように「あなたが飢えて、はじめて私がよく暮らせる」と考える、疎外された客体が集まってできた資本主義的な世界を想定するのではなく、世界を分離不可能な体系として考えながら、多くの人々の安寧がつながっていると考える世界観の一部ですからね。そのような面でフェミニズムには、暗黙的にいつも連帯の精神が込められています。そして私は、若いフェミニストが、50代である私が想像できない方式で、フェミニズムを押し進めるだろうとと考えます。本当に期待が大きいです。彼女たちのフェミニズムは、人種、階級、トランスジェンダーの問題や性的指向の問題をともに提起する、相互交差性のフェミニズムですから。

白英瓊 フェミニストの間で、女性として存在することがどのような意味を持つのか、女性とは何者なのかをめぐって葛藤があったりもします。

ソルニット 女性の定義に、生殖器官の存在がどれほど重要か、トランスジェンダーの女性が女性かをめぐる論争でしょうか? アメリカも同じことです。女性という存在を定義する方式にはいろいろあり得るでしょう。1つのことだけが通じる時代ではないと思います。私が若い世代をすばらしいと考える点の1つは、彼らは性的指向と同じようにジェンダーもやはりスペクトラムとして見るという事実です。ジェンダーが必ずしも固定的なものではなく、そのなかに境界が不明な、広い地帯があるということです。ある人々は1つだけに属さなかったりもします。両性愛者であることもあり、私の親族も含めて、トランスジェンダーであることを宣言する人も多くいます。今、このような状況が、ジェンダーと関連して、何らかの不適応現象が起きているためなのか、あるいは、本来このように数多く存在したものの、今や自由に可視化できるようになったのか、また、これが永久的に固定される新たな方式なのか、あるいは過ぎて行く時期なのか、私にはわかりません。今後、ある人の性愛的な役割やアイデンティティ、何かを語ったり服を着たりする方式が、ジェンダーにまったく束縛を受けなくなるのか、あるいはジェンダーが何かを規定するものの、鉄格子の檻の中に入れるのではなく、コスチュームパーティーのようなものとして見ることになるのか、私にはわかりません。ですが、過去とは違うということだけは明らかです。

白英瓊 最後の質問を差し上げます。現在、なさっている作業や今後の計画についてお聞かせ下さい。

ソルニット ひとまず作業の時間がもう少しできたらいいと思います(笑)。まだ具体的に言うのは早いですが、時間ができるならば、『遠くて近い』(The Faraway Nearby, 2013, 韓国語版・創作と批評社2016)のような省察的な作業をもっとやってみたいです。ですが、今、世界は危険と可能性を合わせ持つ、大きな変化の時間が過ぎているところで、さきほど話したように、公的な政治領域で行なうべき発言も数多くあります。ですので、ひとまず現在としては、私たちの時代の危機を打開する、可能性と力に対する感覚を維持するよに努力しながら、示唆的な性格のエッセイ、希望を込めて政治的な見解について語るエッセイをさらに書くことになりそうです。

白英瓊 長時間ありがとうございました。

ソルニット ありがとうございました。

〔訳=渡辺直紀〕