ろうそく革命が進むべき道 / 李南周

 

創作と批評 182号(2018年 冬)目次

 

2年前の冬、毎週末街を明るく照らしたろうそくは、正当性を失った権力を弾劾し、新政権を誕生させた。この劇的な変化を多くの人々がろうそく革命と規定し、新政権もろうそく革命の継承を公言した。ところが、2年という時間はこのような時代的感覚を少しずつ摩耗してきた。革命という性格規定にふさわしい変化が韓国社会において進んでいるかに対する疑問が投げかけられており、ろうそく革命という表現をよそがましく感じる人々も増えた。

革命に対する想像は、現実において完全に実現されがたい熱望を含みがちであり、それゆえ革命的事件に対する歓呼は、時間の流れとともに失望または幻滅に変わったりもした。ろうそく革命も同じ運命を繰り返さないという保障はない。しかし、ろうそく革命は、急進的に新しい社会モデルを実現しようとした過去の革命とは異なる方式で進められた。憲法的手続きに基づいて平和的方式で権力を交替した事件が、革命という感覚と接続されることができたのは、その裏面に韓国現代史におけるどの事件よりも過去と断絶しようとする意志が強く働き、それに多くの人々が共感したからである。それゆえ、ろうそく革命は与えられた社会モデルによって生活の条件を一気に変えるような変革ではなく、変化の方向に対する共感に基づいて具体的社会改革を一つひとつ実現させる長期的作業としてとらえなければならない。したがって、ろうそく革命を評価する際は、このような方向に進展が起きるかを基準としなければならず、ろうそく革命を大転換へとつなげていくためには、何がこのような進展を防いでいるかを識別し、それを一つひとつ克服していかなければならない。慣習的または浪漫的革命論によって状況を判断し、革命という命名に盛り込まれた大転換に対する意志と熱望を矮小化するものすべてが、ろうそく革命の進展において警戒すべき態度である。

ここ2年間意味深長な変化が起こった。何より韓半島(朝鮮半島)において南北が平和的・漸進的・段階的に協力を拡大し統合していく、つまり韓半島式統一過程が始まったのである。わずか1年前まで韓半島の軍事的緊張が極めて高かった状況に比べれば、劇的な転換といわざるを得ないが、ろうそく革命がなかったら想像できない変化である。弾劾審判を控え、国軍機務司令部が戒厳令を検討したことを考慮すれば、もしろうそく革命が起こらなかったら、極端な軍事的・政治的対立はクーデターの企みに、より確実な名分と条件を提供したであろう。幸いにもろうそく革命が韓国社会の発展経路を完全に変えており、それを背景に行われた南北関係の変化は、再びろうそく革命を進展させる動力を提供している。この流れを退行させず、韓半島式統一過程が順調に進むようにすることが、ろうそく革命の継承において最も重要な課題である。

我々の社会内においてもこれまでとは質的に違う社会をつくるための動きが下から始まった。各種の差別と抑圧に対する社会的感受性が飛躍的に発展し、強固に見えた家父長的で性差別的な意識と慣行に真正面から挑戦する活動が活発に行われている。いわゆる「パワハラ(カプチル)」に対する持続的暴露と社会的公憤の表出は、生活空間における民主主義を進展させる重要な契機を提供してくれる。ろうそく革命を経験しなかったら、現れにくかったと思われるこのよう変化が、最も隠蔽されていた韓国社会内部の差別と抑圧構造を崩している。まだ克服すべき問題は多いが、変化に対する意志と動力がいつにも増して強く形成されつつあるという点からみれば、ろうそく革命は前進し続けていると評価できる。

ところが、進展が当然起こるべき領域において変化の意志が弱まり、方向感覚を失う様子に対する憂慮が深い。とくに、ろうそく革命を継承すると公言した政府与党の責任を指摘せざるを得ない。経済社会分野において政策言説及び人事問題をめぐる論争に巻き込まれ、ろうそく革命の過程で提起され、合意された成長パラダイムの転換という課題が五里霧中に陥った。政府与党として短期的経済実績を無視したまま国政を運営することはできず、経済状況に対する国民の憂慮を解消するために努力しなければならないことは事実である。とはいえ、財閥の協力を期待するやり方の景気対策にこだわったり、ろくに実行もできなかった所得主導成長論を経済的困難をもたらした原因として指摘する批判に連れまわされたりすると、正しい道は見つけにくい。韓国社会と経済がろうそく以前とどのように変わるべきかに対する真摯な政策が必要であるが、とくに単純な量的成長ではなく、共に生きる社会に対する熱望に基づいた経済社会政策の基調を確固として立て、それを一貫して進めなければならない。

何よりろうそく革命の成果を制度化できなかったことが、現在ろうそく革命の進展を難しくさせる最も重要で直接的な原因となっている。全政党が大統領選挙過程において改憲を公約したのにもかかわらず、改憲が行われなかったのは野党の無責任な態度と同様に政府与党のろうそく革命の継承意志が弱かった要因も大きい。改憲と選挙法改正は、政府与党が既得権を放棄するという決心がなければそもそも成功しがたい問題であったが、政府与党はその意志を明確に示さなかったのである。もし地域区を大幅縮小し、民意が選挙結果により正確に反映される選挙法の導入に明確な意志を見せていたら、改憲論議の動力もより大きくなり、協治(ガバナンス)のための政治的信頼も高めることができた。ところが、このような期待とは反対に支持率に酔って、自分らの既得権をより強化しようとするという印象を与えており、それは野党が政争を拡大する原因の提供になった。いま再び選挙法改正が議題として提起されているが、政党間・政党内の利害関係が衝突し、事実上改悪される前例が繰り返されるおそれが大きい。今からでも政府与党が先に既得権を諦めるという意志を明確に見せて突破口を開いていかなければならない。

2020年4月の総選挙を控え、そのような変化をつくりあげることができるかが、政府与党がろうそく革命の継承者になる資格があるかを決定する試金石になる。ところが、選挙が近づいてくるほど政治圏では既得権の声がいっそう高まりがちである。分断体制の既得権を延長しようとする守旧勢力がろうそく革命を貶そうとする動きはより活発になり、ろうそく革命を継承するという集団内でも自身の政治的利害関係によって事実上ろうそく革命の進展を攪乱させることが拡散され得る。ろうそく革命が重要な局面に来ているといえる。ろうそく革命が2周年を迎える今、市民が今後のことについてより関心を持ち、各自のすべきことを再点検しなければならないわけである。

 

新しい形態の革命は新しい感受性を求めるが、このような感受性の発見と発展は世界と自己の生活に対する感覚の変化を細密にとらえ、その中で真に新しいことを発掘する作業を通じてのみ達成できる。ろうそく革命という大転換の場合も例外ではないので、ろうそく革命に対する論議が狭義の政治または政策言説に閉じ込められてはならない。今号の特輯は、文学の中で新しい感覚または感受性を発見し、それを高めるための奮闘の持続である。韓基煜は、主体の変化を中心にろうそく革命にふさわしい文学の可能性を黄貞殷、チョン・ミギョン、キム・グミ等の作品において探し求める。主体の自己変化または新しい主体の形成について議論しながら、それ自体では肯定と否定両方に作用できる存在力量である情動の否定的要素を受け入れ、生活に新たな生命力を発現させることのできる心の役割に注目する。輝かしい人生の瞬間を二度と振り返すことができないのなら、人々が関係を持続するようにさせる力は何かを、恋愛関係を通じて問うなかで「心中心の叙事」という新しい発想を提示する。

 ろうそくを革命として意味づけするためには、いま私たちがどこに立っているかを省察し続けなればならないが、文学作品を読むこともその方法になり得る。ろうそくを経た最近の文学批評も自己閉鎖性を壊すために奮闘中である。梁景彦は、この奮闘を意味づけするために「このままでいいのか」という挑発的な質問を投げかけ続ける。フェミニズム文学が女性の人生に対する想像を遮断させる逆説や、文学制度の「外」を想像してみようという公共性論議がむしろ批評の超越的な地位を固着化し得るという指摘は興味深いだけでなく、傾聴すべきである。

姜敬錫は、来年100周年を迎える三・一運動以後民族的課題に対応する社会的模索と文学の間の拮抗関係を追跡しながら、文学が今日すべきことを喚起させる。とくに、未堂(徐廷柱)の親日詩を事例として文学における自律性の追求が植民性と対面する過程において屈折する様相を分析する部分は、未堂に対する評価をめぐる論争に新たな批評的準拠を提示するだけではなく、ろうそく革命が開いた新しい局面において文学の可能性を求めることに重要な示唆を提供する。

「文学評論」には、危機にさらされた批評の位置と役割を熟考した英文学者のフランシス・ミュルハーン(Francis Mulhern)の論文を掲載した。ミュルハーンは、批評精神の復元を念頭に置き、現代文学研究を三つの時期に分けて分析したジョゼフ・ノース(Joseph North)の論議に対する批評的読みを試みる。英米圏の革新的文学研究パラダイムの克服という実践的議題が、文学と批評の性格と位置、さらに進んで全体社会の行方等の根源的な問題に拡張されながら、多くを考えさせる。李仙玉の評論は、文学がフェミニズム運動とどのように接続してきたかを時代別に金鎮玉、朴婉緖、チョ・ナムジュの作品分析を通じて検討するが、これは特輯の論議とも非常に緊密な問題意識である。ここでマーサ・ヌスバウム (Martha Nussbaum)の感情概念を用いてフェミニズム文学の変化を区分する論法が興味深い。

今号の「対話」は韓半島の情勢、とりわけ南北関係の変化の中でどのような平和教育と統一教育が必要なのかについて文雅鍈、張容勳、鄭道相、鄭容敏が議論する。抽象的なレベルにとどまらず、私たちの現実に合う平和教育のみならず、民族的同質性を回復するレベルを超え、韓半島の未来志向的ビジョンを共有できるようにする統一教育がどのように行われるべきかについて真摯に討論する。平和と統一の関係について多角度から行われたこの議論は、「論壇」でより本格的に行われる。徐輔赫は、前号の特輯で南北連合の戦略的意義を多角度から説破した白楽晴の論文を受け継ぎ、南北連合の持続可能性と統一に向けての展望を検討する。関連論議が今後も続くことを希望し、本誌も必要な役割を果たしたい。

「現場」欄では、アメリカの中間選挙と地域文学の問題に焦点を当てた。アメリカで長年韓国人の市民運動と有権者運動を展開してきた金東錫は、トランプの選挙戦略がどのように動くのかと、今回の中間選挙の結果がアメリカの韓半島政策に及ぼす影響を現場からリアルに報告する。孫南勳は、地域という水平的概念さえ漸次他者化し、ついにはソウル中心主義から脱することをできなくする厳重な現実を多様な例を挙げながら提示し、このような状況を打開するために地域感受性を育まなければならないと力説する。

「創作」欄も多彩に構成された。新鋭の崔智恩から元老の申庚林までそれこそ幅広い12人の詩の世界に出会うことができる。「小説」欄は、朴玟貞、朴善友、崔恩栄の短編と朴相映の中編で豊富であり、一年間読者からの多くの関心と愛情を受けた金呂玲の長編が幕を閉じる。「作家スポットライト」では、最近小説集『誰にも親切な教会の兄ちゃんカン・ミンホ』と長編小説『モギャン面放火事件顛末記』を続けて出版した小説家の李起昊を文学評論家の鄭珠娥が訪ねた。自身を登場させるストーリが多い小説家と小説の中に登場する小説家、その間の壁を話題にして行われる「対話」が、李起昊の小説をいっそう深く豊かに理解できるように導く。私自身を問題とする形式から抜け出したいという彼の話が今後どのような作品世界へ展開されるか、好奇心を生じさせる。「文学フォーカス」は、前号に引き続き黄静雅、李永光のお二人が進行を担い、文学評論家の李京在をゲストとしてお招きして話を交わす。6冊の新作詩集と小説を多角度から検討し、活発な討論を通じて作品の理解を手助けする。

多様な読み物を紹介し、注目すべき部分を鋭く分析する本誌の「寸評」欄は、世界を見るもう一つの窓といえよう。とくに、今号には朴熙秉の『凌壺観 李麟祥の書画評釈』を専門家的な識見と鑑識眼で評した兪弘濬の論文をはじめ、重みのある長編と学術書を扱った論文が収録され、いっそう豊かである。ここ1年間固定筆者としてご尽力いただいた金起興、李貞淑のお二方に感謝申し上げる。

第33回萬海文学賞は、民衆的情緒の詩的刷新と発想の転換を成し遂げた金海慈の詩集『海慈の占い屋』に贈られた。なお、第20回白石文学賞は、自然と調和する生活本然のリズムをつくりあげた朴城佑の詩集『笑う練習』に与えられた。韓国文学の価値のある成果を上げた受賞者の皆様にお祝い申し上げたい。

2018年は屈曲の多い韓国現代史にもう一つの分水嶺をつくった。この坂の向こうにどのような状況が待っているかはわからないが、分断の桎梏から抜け出す道は平坦ではないであろう。今年私たちが成就したのは何か、これから残された困難はどのようなことなのかを冷徹に考え、2019年を準備するところに本誌が少しでも役に立ちたいという思いで今号を読者の皆様に披露する。この冬が終わったら、少しは暖かい春が待っていることを、そしてそのような春をつくるために、私たち皆が熱い心で冬を過ごしてほしい。

 

訳:李正連(イ・ジョンヨン)